ジャリ、ジャリ、という砂を踏む音が、やけに煩く耳に響く。


 彼女の声音で、漂う空気で、全員が察した。……彼女が今、途轍もなくキレているということを。


 東条は気圧されながらも、1歩を踏み出


「さ、紗命、久しぶ」

「黙り」


 そうとし、固まる。


 いつも笑っている、怒った時ですら微笑み、余裕を見せる紗命。

 そんな彼女から、表情が抜け落ちていた。先までの笑顔など、疾うに消えていた。


 紗命は固まる東条から目を逸らし、灰音に微笑む。


「……やってくれたなぁ、黒百合」


「随分早かったじゃん?経路ぶつかってから、道中のモンスター全部君に向けたんだけどなぁ」


 良い笑顔で微笑む灰音を、紗命が鼻で笑う。


「抜け駆けて取ったキスは美味いかぁ?」


「ああ美味いねぇ、とっっても」


 舌舐めずりをする灰音に、紗命の口元がピク、と我慢する。


「て言うかさぁ、抜け駆けってどの口が言ってるわけ?僕のライブに出発日ぶつけて勝手に捜索行ったの、君の方だよね?まさか国も桐将君の位置情報特定してるとは思わなかったけど」


「ベラベラと、ほんまうるさいわぁ。情弱を他人の所為にせんでくれへん?」


「実力不足を他人のせいにしないでくれよ?」


「……」

「……」


 不敵に笑う2人の影響で、空気が重みを増し呼吸がし辛くなる。膝を着き過呼吸になる報道陣をフロルが庇う。


 そんな一触即発の空気の中、2人の間に、冷や汗を垂らしながら東条が割り込んだ。


「……何?今話してるんやけど」


 向けられたことの無い紗命の目を前に、


「っ本当に、申し訳なかった!」


 東条は思いっきり頭を下げた。

 これは、言い訳とか、そんなことを考えている場合じゃない。心のどこかで、いつも通り許してもらえると、そんな風に思っていた自分が甘かった。


 紗命はその情けない姿を数秒見てから、口を開く。


「……申し訳ない、と。ふむ、……それは何に対して?東条はん」


「っ」


 東条の胸がズキリと痛む。


「……ホテルに放置したことです」


「……それだけ?」


「2人に何も言わず、新大陸に行ったことです。あと、電波が通じるようになってから、すぐに連絡しなかったことです。あと、……」


「女遊びな?」


「はい……」


 紗命は頭を下げ続ける東条を見つめ、


「…………はぁ、」


 溜息を吐き近づく。


「座り」


「はい」


「顔上げて。私を見なさい」


 正座して顔を上げる東条。


 そんな彼を見下ろし、紗命は若干表情を緩める。


 その怒りに隠された悲しみを見て、東条は彼女から目を逸らしそうになる。


「……私は、そんなに頼りない?」


「ッそんなことっ」


「あるでしょ?そう思っちゃうでしょ、普通」


「……」


「あの戦いで重傷を負って、行方不明になって、2ヶ月以上過ぎて電話がかかってきた時、私達がどれ程嬉しかったか……あなたには想像つかなかったんでしょうね?」


「……」


「ノエルのことで頭がいっぱいで、ノエルを傷つけた奴らを殺すことだけを考えて。私達に会いに来たのも、恋人としての義務でしょう。いち早く京都に向かったのが良い証拠よ。

 ……あの場で、あの状況でノエルを最優先に考えるのは分かる。虫唾が走るし、否定し続けるけど、そこをつつくつもりはない」


「……」


「……その後、少しでも私達のことを考えた?」


「そ、それは考えた!ずっとお前達のことは考えてた!」


「そう。……まぁ、そうね。考えてはいたでしょうね。

 あなたは私を愛してくれている。そこに嘘は無いと信じているし、疑ってもいない。

 あなたはきっと、新大陸に入った後も、モンスターと戦っている間も、ハワイで楽しんでいる日も、ノエルと笑っている時も、私達のことを想ってくれていたんでしょうね」


「ああっ」




「きっと私達は大丈夫で、準備を整え、必ずあなたを追い、辿り着く。だからあなたは何もしなくても良い。なぜなら私達は強いから。

 そう想っていたんでしょうね」




 紗命のその言葉に、東条は言葉を続けられなかった。喉が音を呑み込んだ。


 ……図星だった。


 紗命は顔を伏せる東条を軽く笑う。


「あなたの想像は正しいわ。現に私達はあなたを追い、ここまで来た。あなたを前にして、今すぐにでも抱きしめてもらいたい自分がいる。

 笑えるわ、私ってこんなにチョロい女だっのね。ふふっ」


「っ紗」


「たぶん、いや、……確実に、それはこれからも変わらない。私はどこだろうとあなたについて行くし、あなたに優しくされたら、それだけで全てを許してしまう。

 私はあなたのことが大好きだから、愛しているから。

 ……そこの女がどうかは知らないけどね、ふふっ」


 仕方なく黙っている灰音の額に青筋が走る。


「私は強い、私達は強い。そこら辺の女なんかとは比べ物にならないくらい、力が、覚悟がある。

 ……でもね、1つだけ教えておいてあげる」


「……」



「私達もね、あなたを想う心はただの女なのよ?」



「っく、」


 東条は唇を噛み、足元の土を握り潰す。

 己の不甲斐なさに、己の恥に耐えるように。


「怪我したら心配するし、電話が繋がらないと悲しいし、他の女といたら嫉妬するし、自分のいないところで何をしているのか、たまに怖くなる。

 ただ、あなたを信じているから、我慢できるだけ、耐えられるだけ。

 …………ねぇ、」


 顔を上げる東条の、今にも泣きそうな顔を見て彼女は笑う。







「……桐将は、私の婚約者なの?」







「――ッッ」


 その笑顔はとても苦しそうで、悲しそうで。


 彼女の頬から一雫の悲しみが落ちる前に、東条は立ち上がり紗命を抱きしめた。強く、強く、彼女の嗚咽を抱きとめ、胸の痛みに刻む。


 疑問を持たせてしまったッ、最もしてはいけないことをしてしまったッ!あの夜有栖が言ったことが全てだった。こんな感情にずっと耐えられる人間がいるものか。


 何が2人を信じてるから大丈夫だ。

 何が2人のことを分かっているだ。

 そんなもの信頼じゃないッ。

 酷く浅ましく自分勝手な、ただの期待じゃないか‼︎



「っお前は俺の婚約者だッ。紗命っすまねぇっ、もう絶対に、こんな思いさせねぇからッ。許してくれっ」


「ぅん、ぅんっ、」


 2人の嗚咽が潮風に運ばれ、雲1つない晴天の中へと消えてゆく。


 乾いた暑さが肌を湿らせる常夏。



 照り差す太陽に目を窄め、灰音は苦笑した。

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