黄戸菊 紗命

 


 涼風が肌を撫で、木の葉が頬を染め始める10月半ば。


 空を見上げながら、着飾った彼女は男を待つ。


 裏路地の木陰に佇むその女の妖艶さたるや、巣を張り獲物を待つ蜘蛛が如く。

 通りゆく男共が目を奪われる中、今日も今日とて意図せず愚かな虫が巣にかかってしまった。


「ねぇねぇオネェさん?今何しとるん?」

「え、やば、めっちゃ美人さんやん?」


 男達の下卑た視線に、紗命は柔らかく微笑み、顔を上げる。


「……人を待っとるんです」


「え〜男?良ければこれから一緒にどっか行かへん?」

「俺ら楽しい場所めっちゃ知ってっからさ!」


「……遠慮しとくわぁ」


「えー冷たー、オネェさんめっちゃクールやな?」

「美人でクールとか最強やん!オネェさんモテるっしょ?」


「……そんなことあらへんよぉ」


「今彼氏とかおるん?」

「お前おるに決まってんだろ?こんな美人男がほっとかねぇよ」


「……」


「えーじゃあこうしないオネェさん?俺らと1回デートしてもらって、つまらんかったら即帰ってええから!」

「お、ええやん!俺めっちゃ良い飲み屋知ってんのよ」


「……」


「どうオネェさん?損はさせぇねか」


 とその時、



「お〜れも混ぜてくれよ〜?」



「「あ?」」


 虫2人の肩がガシ、と後ろから捕まれ、引き寄せられる。

 強引に肩を組まれ、虫2人は眉を顰めた。


「誰おま……」「離せやおっさ……」


 しかしその瞬間、間にぬん、と出てきた顔を見て虫が固まる。


 男はダラダラと冷や汗を垂らす虫の肩をパシパシと叩く。


「……どうした?ほら続けようぜナンパ?」


「あ、いや……」


「……す、みません……」


「何謝ってんの?へいへいオネェさん、この後どう?暇?茶しばいて飯キメた後、夜景見ながらフィーバーナイトしない?」


「ふふふ、魅力的な提案やわぁ」


「お!てことは?」


「……ちょうど、秋風が身に沁みてきたとこやったさかい、……ご一緒させてもらいます」


 クスクスと笑う紗命に、男はニッ、と笑う。


「おいおい成功しちゃったよ!ごめんね君達、この子貰っていい?」


 震え立ち尽くす虫に顔を寄せ、男は微笑む。


「ナンパって楽しいねぇ?こりゃやめらんないねぇ?」


 ギリギリと強くなる肩の上に乗せられた手に、虫の表情が青ざめカチカチと歯がなりだす。


 男はパッと手を離し、すまんすまんと笑った。


「じゃ、行きましょうかオネェさん?俺が京の都を案内しますよ。全然知らんけど」


「ふふふ、しっかりエスコートしとくれやっしゃ?」


 差し出された男の腕に嬉しそうに捕まる彼女の背中を見ながら、虫は己の小ささを知るのだった。



「危ねぇ危ねぇ、もう少し遅かったら明日のニュースの見出しが『恐怖!京の街に2つの怪死体が⁉︎』になってたわ」


「なんやぁ?うちの心配してくれたんちゃうん?」


 ジト目で睨む紗命を、東条はケラケラと笑いながら見つめる。


「なぁ紗命?」


「ん?」


「今日も綺麗だぜ?」


「……ふふふ、ありがとさん。桐将もカッコええで?」


「当然」


 互いに和装を羽織った2人は、細い路地を抜け鴨川に向かう。

 京都では着物を着ていようと、風土柄ただのオシャレとして受け入れてもらえる。周りでは着物デートを楽しむカップルも多いのだが、


「……しかしまぁ、目立つな」


「そらそうやろ」


 街行く人の驚きと疑念の視線に晒され、東条は頬を掻く。


「でもなんか、今日はあんま声かけられねぇんだよな」


「ブーム過ぎたんちゃう?」


「マジで⁉︎」


 肩を落とす東条に微笑みながら、紗命は全身から見えない警告を飛ばす。


『邪魔するな』と。


 途端サインを求めようとしていた背後の女学生、写メをねだろうとしていた男性、握手欲しさにと近寄ろうとしていた学生達が恐怖に足を止め、回れ右する。


 道が空きなぜか歩きやすいその理由に、彼が気づくことはないのである。



 祇園の寿司処入った2人は、舌鼓を打ちながら談笑する。


「そーいやすみませんね大将、この前はうちのバカが無理言ったそうで」


「いえいえ、ご贔屓にしていただいてますし、東条さんのチームメイトを無碍には出来ませんよ」


 ノエルに見せられたベロベロに酔っ払った有栖とゆまの写真を思い出し、東条は苦笑し頭を下げる。


「あいつらには今禁酒の罰を与えてるので、こっそり来たら追い返してください」


「あはは、程々にしてあげてくださいね」


 その隣で紗命は上品な所作で寿司を口へと運び、嚥下する。


「ふふふ、有栖はん、おもろい人やわぁ」


「だろ?あいつおもしれぇんだよ。見てて飽きないぞ」


「……」


「ん?何だよ?」


「別に?」


「……お前まさか、有栖にも嫉妬してんの?」


 ふい、と顔を背けお茶を啜る紗命に、東条は吹き出す。


「おま、プフっ、どんだけだってっ」


 紗命の目がジトーと細められる。


「……もし、うちが他の殿方と1つ屋根の下で暮らしとったら?」


「え?殺してバラしてモンスターの餌にする」


「そーゆーことや」


「……おぉ、なるほど」


 ポン、と手を叩く東条に、大将やスタッフも苦笑する。


 紗命は丁寧に口を拭き、溜息を吐いた。


「うちもこの前会って、有栖はんが良い人やゆうのは知っとるし、それよりもず〜と前から、桐将がそないな感情を抱いていないのも分かっとる。

 やけど、ただでさえあんさんには面倒な虫が匹もくっついとるさかい、これ以上増えようもんなら、……分かっとるな?」


「は、はい」


 微笑む紗命に、東条は大将と一緒に唾を飲んだ。


「ハーレムなんて夢は漫画の中だけで見なさいな。想い人を独占したい思う心は、男も女も同じなんやさかい」


 大将と一緒にシュンとなる東条を見て、紗命はクス、と笑う。


「……やけど、そないな女に目が無い桐将に、うちは惚れてもうた。……結局、それが全てなんよ」


「……紗命ぁ」


「はいはい。やめぇやもぅ」


 東条は呆れる彼女の胸に顔をうずめながらカードを取り出す。


「大将ぉ、お勘定ぉ」


「あ、はい。まったく、お連れ様?これは苦労しますよ?」


「ふふふ、……知っとります」



 それから2人は散歩がてら八坂神社に行き、恋みくじを引く。


「お、大吉じゃん」


「……」


 紗命は大凶のみくじを笑顔で引き千切り、cellで跡形もなく消し去る。


「紗命は?」


「……自分の恋すら神頼みなんて、人ってほんま愚かやわぁ」


「どした?引きたいって言ったのお前だぞ?」



 ラウンドワンに入りカラオケを楽しんだ後、ゲームセンターで一喜一憂する。


 パンチングマシンを壊しスタッフに謝り、スポッチャに入る。


 テニスでは人外の身体能力で交わされるラリーの応酬に人目を引き、バッティングセンターでピッチャー返しをしてマシンに穴を空けスタッフに謝る。



 それから東条は彼女の実家を訪ね、紗命の両親に挨拶してから、夕飯を誘われる。


「よろしいのでしょうか?」


「ええんよええんよ!こないな立派なお家まで用意してもろうて、もてなしもせずに返すなんて出来ひんわぁ⁉︎それにもう用意しちゃっとったしねぇ、断られたらどうしよっ⁉︎てヒヤヒヤしとったわぁ!」


 ママさんのテンションに、東条は苦笑する。


「ではお言葉に甘えて、ご相伴に預からせていただきます」


「やったぁ!今日のために良いお肉買ったんやから!」


「私も何か手伝いますよ?」


「ダメよ!ダメダメ!東条くんはあっちで紗命の相手したって?ほら、寂しそうにこっち見とる」


「やめてぇやお母さんっ」


「ひゃあ〜怒られちゃったっ。ほら東条君は休んでて!あなた何やっとんの!手伝って!」


「……良いだろう」


 若干悲しそうなパパさんを見送り、東条は紗命の隣に座る。


「堪忍なぁ、お母さん浮かれてもうてて、」


「楽しい家族じゃねぇか。お?どした?」


「ミニャ〜」


 足元に擦り寄って来た猫を撫でながら、東条は顔を上げ、来てからずっと気になっていたことを訪ねる。


「……で、何でお前がいんだよ?」


 そう言う東条の前に座るのは、


「前も言うたろ、うちだって家族の一員や。ここにいて何が悪い?」


 ぶすくれる紫苑である。

 大阪での一件の後、病院で見たのが最後だったか。


 紫苑は心配そうに紗命の手を取り、諭すように訴える。


「なぁ紗命?今からでも遅ない。目ぇ覚まそ?」


「おい、人が気合い入れて挨拶来てんのになんて事言いやがる」


「やかましいわロリコンが!変態に家族売る奴がどこにおる!」


「ぶっとばすよお前⁉︎」


「ほら見てお母さん⁉︎これがこいつの本性や!紗命が危ない‼︎」


「っ⁉︎いや違うんですお母様⁉︎私はロリコンですし必要とあらば女性も殴るフェミニストですが!紗命は特別なんです‼︎」


「何自分から墓穴掘ってんねん⁉︎アホなん⁉︎」


「やべっ、つい本音が」


「ッお母さん⁉︎」

「あ、いや違うんですお母様⁉︎」


「ウフフっ、賑やかになるわぁ〜」


 ルンルンと準備するママさんの後ろで、転移しながら逃げ回る紫苑を捕まえ外にぶん投げる東条と、それを腹を抱えて笑う紗命であった。



 賑やかな夕食を終えた後、東条と紗命は実家を後にし、予約したホテルへと向かう。

 見送るママさんがニヤニヤしていたのが何とも恥ずかしかった。歯軋りしていた紫苑は無視した。


 手配したハイヤーの中で、東条はぐったりとシートに背を預ける。


「あんの野郎、今度会ったら絶対にぶっ飛ばす」


「ふふふっ、楽しかったなぁ」


「……ククっ、ああ」



 ホテルに着き、お風呂に入った後、


「ん〜とりまシャンパンでも頼むか、んぁ?」


 紗命は間接照明を残し部屋の電気を消し、


「……」


 ルームサービスのメニューを見ていた東条に後ろから襲い掛かった。




 ――バスローブに着替えた2人は、バルコニーから最上階スイートルームの夜景を見下ろし、シャンパンが揺れるグラスを合わせる。


「ん?あれ?そういや紗命未成ねっ」


 重大なことを忘れていた東条の唇に、彼女の人差し指が添えられる。


「ここまで来て、無粋ちゃう?」


「いやでも、俺まだ捕まりたくないぞ?」


「誰があんさんを捕まえられるん?」


「あー……だな!飲め飲め」


 吹っ切れた東条は考えるのも面倒になり、模範的クズと化した。


 紗命は酒気に頬を染めながら、眼下に広がる夜景を、いや、どこまでも広がる夜空を、ぼー、と眺める。


「……この自由が欲しくて、うちらは計画を立てとったんよね」


「……ああ。懐かしいな」


 東条は思い出す。紗命と一緒に冒険の道筋を考えた、あの日々を。


「……はぁ……、ほんと、悔しいなぁ」


 紗命は大きく溜息を吐き、酒気を空に逃す。

 ずっと隠していた本音が出てしまったのは、きっと慣れない酒のせいだ。


「まぁそう言うなって。こうやって生きて再会出来たんだ、俺はそれだけで嬉しいぜ?」


「……そうだけどぉ」


 東条は口をへの字に曲げる紗命を笑う。


「……でも、俺を絶望から救ってくれたのは、紛れもなくノエルだ。お前もちゃんと仲良くしろよ?……な、何だよ?」


 ジー、と睨みつけてくる紗命にたじろぐ。


「ちぇー、何でもないしー」


「あいつはそういうんじゃないって。……俺の頭ん中見てんなら分かるだろ?」


「……」


 目を伏せ口籠る紗命に苦笑し、東条は彼女に身体を寄せる。


「……ま、嫉妬ってのは、そう簡単なもんじゃねぇよな?」


「……ふふ、」


 寿司屋で学んだことを早速生かしてきた東条。

 そんな彼を紗命は笑い、大きな肩に寄りかかる。


「……桐将は、あの子が大事?」


「ああ」


「私とどっちが大事?」


「……」


「ちょっとぉ、即答してよそこは?」


「ダハハっ、悪い悪い、勿論紗命だよ」


「本当?」


「本当本当。神に誓う」


「……」


 紗命は彼のはだけた胸元に残る火傷痕をなぞり、頬を寄せ心音に耳を澄ます。


「……傷、増えたね」


「カッケェだろ?」


「……ふふ、……寝よっか?」


「だな。今日は疲れた」


 2人は軽くキスをし、ベッドへと向かった。

















 ――「……紗命です。夜遅くに堪忍やわぁ。…………うん、ええよ。あの話乗ったる。やけど勘違いせんといてな?うちはあの人のためだけに動く。くれぐれも忘れんといてや。……ほな」










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