64話

 


「グルルルルルッ」


 目の前の敵を屠った銀狼は、辺りを見回し次の標的を探す。


 殺し甲斐のある奴、この場所で一番強い奴、水を操る人間?違う。光を操る人間?違う。

 時計台から自分を見下ろす……。


「――ッル」


 地将軍の頭を投げ捨て、ボロボロの身体など気にも留めず、一直線で白猿へと地を駆ける。


「……」


 白猿は自分に向かって来る犬を見て、加藤へのちょっかいを中断する。


 まさかあの二人が殺られるとは、正直予想外であった。

 戦力を見誤った自分は、まだまだ未熟という事。それを教えてくれた彼等には、少なくとも敬意を払うべきだ。


 使えない猿共では役不足というもの。


「……ヒヒっ」


 自分自身で、直々に手を下そう。


 微かな敬意と、最大の嘲りを以て。


「グガルァッ‼︎」


 時計台の頂上へと一瞬で駆け上った銀狼は、白猿へ向けて爪を振り抜く。

 しかし、


「ァ?」


 白猿の身体に刻まれた紋様が光ると同時に、奴の姿が一瞬で消えた。


 直後後ろから聞こえる、パンパンという戯けた音。


 振り向き見れば、先程まで自分の立っていた場所に、挑発する様に手を叩く白猿がいた。


 銀狼は時計台に足をつけ、衝撃で破壊しながら跳躍。大きく顎を開けた。


 白猿の紋様が発光。


 ――バギンッ。


 顎に確かな手応えを感じるも、違和感。

 見れば、自分が咥えているのは、白猿の身体の物と似た紋様が描かれた瓦礫の一つであった。



 人間を一気に形成不利にし、現在進行形で追い詰めている、白猿の瞬間移動術。

 その絡繰はこうだ。


 事前に『入口』と『出口』を定め、その場所に白猿の魔力が通った物で呪言を綴る。


 白猿含め、猿達の身体に刻まれた紋様は『入口』である。

 そして白猿は、あらゆる場所に一瞬でいけるよう、部下達に自身の血液を渡し、それを媒体として特区の至る所に『出口』を書かせたのだ。


 移動の際、どの入口からどの出口に出すかは白猿の思うがまま。


 これが一つのcellでは無く能力の一端だというのだから、『呪言戯画久遠図』がどれ程馬鹿げたcellなのかは想像に難くない。



 銀狼は瓦礫を噛み砕き、腕をぶらぶらと揺らす白猿を睨みつける。


 岩は砕いた。時計台は吹き飛ばした。近場に目視できる『出口』は、もうない。


「ガルァアッ‼︎」


 ジグザグに駆け的を絞らせず、更にフェイントを挟み渾身の一撃を振り被る。


 案の定白猿は自分の動きについて来れていない。背中を向ける白猿に、勝利の笑みが漏れた。


 しかしそこでふ、と思う。

 ……先の瓦礫、いつ用意した?


 自分は一度も警戒を外さなかった。文字を書かせる隙など、与える筈がない。


 嫌な予感に追撃を止めようとするが、――遅かった。


 振り返る白猿の両手には、マントの下から取り出した印判が握られている。


 銀狼の一振りをぬるりと躱した白猿は、ニヤリと笑い、二つの印判に魔力を流し彼の胸に押し当てた。


――』『――』「『――』」

「ッガギャガガガハァッ⁉︎」


 全身に電流が流れると同時に胸部が切り裂かれ、次の瞬間途轍もない衝撃に吹き飛ばされた。


 意識諸共吹っ飛んだ銀狼は地面を何度もバウンドし、瓦礫の山を蹴散らし、それでも止まらない。


 そしてその先には、隙を見て移動を開始していた加藤一団がいた。


「っ⁉︎亜門さん!」


 加藤はいきなり飛んできた亜門を、水のクッションで間一髪受け止める。


 既に変身の解けた彼に意識はなく、白目を剥き、何よりその満身創痍具合が戦闘の苛烈さを物語っていた。


 隊員と医者がすぐに駆け寄り、応急処置が始まる。


 しかし加藤、新、嶺二、胡桃、猫目、氷室の六人は、最大の功労者である亜門への労いを後回しに、苦い顔で同方向に目を向けていた。


 亜門が瀕死で飛んできたということは、つまりそういうことだ。


 ――白猿が水盾を挟んで、加藤の目の前に着地。


「……」

「……」


 残り少ないゴリラと猿が、一斉に後ろへ下り跪いた。


 訪れる二度目の沈黙。


 避難民の一人はガク、と腰を落とし、乾いた笑いを浮かべた。


 最早抵抗する体力も、逃げる気力も残っていない。一周回って笑えてくる。

 彼等の殆どが、今この場で生を諦めた。


 加藤と睨み合っていた白猿は、一度目を逸らし、六人をぐるりと見回す。


 すると、


「……ぁ」


 新を見た途端、口を開けて呆けた。


「は?」


 加藤以外の四人は一斉に新を見る。


 当の新も当然困惑していた。そんな彼等を他所に、白猿はマントの下をゴソゴソと漁り、ある物を取り出す。


 それは現代人なら知らぬ者などいない、文明の利器、タブレット端末であった。


「……何を」


 ポチポチと慣れた手つきで端末を弄る白猿を、誰もが静かに待っていると。


あぁ――あった


 目当ての物を見つけた白猿は、再生ボタンを押し、タブレットを新の方に向けた。


 ――静かな空間に響く、場違いな説明口調。


 ――その声を知らぬ者などここにはおらず、避難民達はその声を日々指針にしていた。


 ――他者の為に戦い、他者の為を思い生きてきた彼。



『今から皆さんに、魔力で身体能力を上げる方法を教えます』



 新は画面の中の自分に、息を呑んだ。


「な、何で、お前が、っ」


 驚愕を向ける先の白猿はしかし、ニッコリと頬を歪め、新を見つめ返している。


 その笑顔は敵に向ける嘲りではなく、どこか優しさが滲んでいて。


「っ答えろ‼︎なんでお前がそれを持ってる⁉︎」


 言いようの無い不安と苛立ちに声を荒げるも、白猿は笑みを絶やさない。

 再び問い正そうとした、直後、


 ……続く白猿の言葉に、新は絶句した。




「アりガ、ぉ。……あり、ガとぉ……」




「……は?」


 誰もが耳を疑う。モンスターが人語を解したという事実もそうだが、それよりも、その言葉の意図が理解できなかった。


 ……しかし、新を含め、事情を知る数人は違う。今の一言で、最悪のケースが頭を過ぎった。


「ぉ、おい……まさか」


 白猿はスマホを仕舞い、新を指差す。


「オ、まエ、の、オかげ、ワレら、ツヨク、なっタ」


「……」


 拙い日本語が、呪詛の様に新へ届く。

 彼は落ち着けと自分に言い聞かすが、心臓が早鐘を打ち、身体中から冷たい汗が滲み出るのを止められない。


「オまえ、オしえ、て、くれタ。チカラ、ツかいかた。ヒト、コロシかた」


「ぅそだ」


 自分は苦しむ人を助ける為に、涙を流す人を減らす為に、あの動画を拡散したのだ。断じて、断じて、悪に武器を与える為ではない。


「オまえ、コロさない。ワレら、カンシャシてる」


「やめろ」


 新はまさとの口論を思い出してしまう。


 彼はずっと葛藤していたのだ。自分がとんでもないミスを犯してしまった可能性、自分が大量殺人を助長してしまう可能性を、心のどこかで理解しながらも、それに蓋をし人の善性を信じた。


 モンスターが動画を見るなど、誰が予測できる?そう、これは不足の事態だ。誰にも、まさにも予測できなかった、不足の事態だ。自分のせいじゃない。自分のせいじゃない。


 胸を締め付ける黒い塊を押さえながら、新は自分に言い聞かせる。

 そうでもしなければ、立っていられる自信がなかった。


 しかし次の瞬間、彼は知ることになる。自分が何をしたのか、何をしてしまったのかを。



 ――「ドウホウ。コっち、コイ」



「……は?」


 こいつは今、何と言った?手を差し出す白猿を見て、新は放心する。


(同胞?……俺が、こいつの?何を馬鹿な……)


 そこで彼の脳内を、今までゴリラに殴殺されてきた人達がフラッシュバックした。


「ォオオオェえええッ、ゲェっゲェええ」

「新君っ⁉︎」「新‼︎」


 胡桃と嶺二が、嘔吐する新に駆け寄る。背中をさすられる彼は、目眩を圧して何とか立ち上がる。そして、


「――っ」


 今度は自分を見る、避難民達の目に固まった。


 怒り、憐れみ、侮蔑。今まで慕いついて来てくれた彼等が、黒い感情の全てを自分に向けている。


 新はようやく理解した。



(……俺は、間違えたのか……)



 あの日から今日までの殺人には、全て自分が加担している。


 一体どれ程の人間が自分のせいで死んだのか。想像するのも恐ろしく、そしてこれからもその勢いは止まらない。


 新が振り返るとそこには、大量の屍が自分の足を掴んでいた。


 一人では到底背負いきれない、失われた他者の人生。考えれば考える程、その罪は重く肩にのしかかる。


 ……故に、彼は考えるのを辞めた。


「っ新君⁉︎」

「おいっ、どうした⁉︎新!」


 足腰から力が抜け、その場に崩れる新を二人が支える。


 見かねた白猿がマントを翻すと同時に、左手で赤い瓶を近くのゴリラに投げ、右手を振り被る。それを見た加藤が水の防壁を固めた。


 しかし、


「くっ」


 強引に押し込まれた右手が、盾の内側へと貫通する。


 少しだけ血の滲んだ腕に、加藤は苦い顔を浮かべた。

 奴がその気になれば、こんな盾など一瞬で破られてしまう。打開策を見つけるべく頭をフル回転させる加藤は、それ故に反応が遅れてしまった。


 ――白猿の右手から、印判が弾き出される。


「っ躱せ‼︎な⁉︎」


 加藤が振り向くも、新の目の前、既にそこには転移した白猿が立っていた。


 奴は、自らが放り投げた印判に向かって転移したのだ。


 加藤以外がワンテンポ遅れて行動する中、白猿は新に触れ、再び転移を発動。


 そして今度は、先程渡した血で書かせた呪言の上に姿を表した。


 瓶を投げ渡されたゴリラは、何とか間に合った事にホッとする。もし少しでも書くのが遅れていたら、問答無用で殺されていただろう。


「え?」「は?」


 当然目の前から新が消えたことに、二人は驚愕する。次いで防壁の外に白猿といる新を見て、さらに驚愕した。


「あ、新君‼︎」


 焦る姫野を、汗を垂らす加藤が宥める。


「姫野さん、落ち着いて下さい。新君に危害が及ぶことは無いと思います。それより今は私達です」


 今の今まで、白猿の気まぐれで時間が持ってるだけ。その対象を取られた今、自分達に待つ未来など目に見えている。


 加藤は唾を飲み、一か八かの行動に出た。


「……白猿殿、話しをしませんか?」

「……」


 白猿が不思議そうに此方を見る。加藤はそれに合わせて、水の大盾を解いた。

 何してるんだ⁉︎、と避難民が騒つくが、加藤の怒気の籠もった睥睨が問答無用で黙らせる。


「白猿殿の目的は何です?」


 会話が成立するなら、交渉も出来るかもしれない。自分達が生き残る道は、それしかないのだ。


「……コの、シロ、ほシい、ウバウ」


 加藤は内心でガッツポーズする。


「(よし、乗ってきた)それならばお渡しします。私達はただ、安全な場所に移りたいだけなんです」


「……クれる?」


「はい」


「アり、あり、ガとぉ」


「いいえ。それで、もし宜しければ、そちらの方を返していただきたいのですが」


「……コれ?」


「はい」


 白猿が新を覗き込む。


「……ダメ」


「……そうですか」

「――ッふざ⁉︎ムゥん‼︎ンンンンん!」


 怒り叫ぶ胡桃を、自衛隊の一人が押さえつける。あと少しなのだ、ここで白猿を刺激するのは愚策。加藤と自衛隊が目配せする。


「では構いませんので、ここを通してはくれませんか?もう二度と、貴方の縄張りに近づかないと約束します」


 嶺二は悔しさに拳を握りしめる。


「……ココ、出てく?」


「はい」


「ナぜ?」


「……安全な場所に、行きたいので「ヒツヨウなイ」……」


 白猿は首を傾げた。


「オマエ、たち、エサ。ヒツヨウ。カリ、タのしイ。ヒツヨウ。デてイく、ヒツヨウ、なイ」


 加藤は一つ勘違いをしていた。モンスターにとって、人間の大多数は食物連鎖の底辺、餌。それ以上でもそれ以下でも無い。


 同じ言語が使えるからと言って、その相手が同じ価値観を持っているとは限らないのだ。

 ましてや相手が人と相反するモノならば、まず持つべきは希望ではなく、殺意であった。


「……どうしても、ダメ、ですか」


「くひひ、ダメ、ダメ、ひひ」


 ――大学内に浸水し、皆の足元に波打っていた水。それが今、加藤を中心にして凪いだ。


 刹那、


「すぅぅ、走れェッ‼︎」


 彼の叫びと共に、水魔法で構築された五匹のウツボが打ち上がり白猿に噛み付いた。

 地面が破裂し、大粒の雨が降り注ぐ。


「ヒッヒッヒ」


 寸前で新をゴリラに投げ渡した白猿は、追撃してくる鱓をバックステップで躱していく。


 一斉に走り出す人間。

 飛び掛かる二十匹前後の猿とゴリラ。

 臨戦態勢に入った加藤。

 笑う白猿。

 場は一瞬にして乱戦に包まれた。

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