39話

 


 放ったのは一番最初に玉を潰されたゴリラ。


 未だ股間を抑えつつも、此方を見てニヤニヤと笑っている。


「……魔法、使えんのかよ、クソが……ぉぽっ」


 血の塊が足元に落ちて弾ける。


「……」


 身体に力が入らない。


 体温が抜けていくのが分かる。


 どうやら、本当に最後のようだ。


 ほぼ見えなくなった視界に映るのは、ゴリラに命令された猿が子供達を引き摺り出している瞬間。


 目を潰され怒り狂ったゴリラが、自分に向けて拳を振り被る瞬間。


 異論の余地などない、地獄だ。


(……ごめんな)


 馬場は泣き叫ぶ彼等に謝り、目を閉じた。




 ――その時だった。




 このどうしようもない地獄に、真っ白な妖精、否、悪魔が降り立った。



 それは一瞬だった。


 一瞬の内に、人間以外の全ての生物がうねる樹木に串刺しにされ、天に掲げられた。


 獣の鳴き声で騒がしかった地獄は、たった一人の悪魔の手によって、凄惨な静寂を纏う地獄へと生まれ変わった。



(……なん、だ?)


 突然静かになった周囲を不思議に思い、馬場は右目を開ける。


 ぼやけて分からないが、誰かが此方に歩いてくる。


 暗くなる視界の中、唯一その者の輪郭だけが、眩しい程に白い。


 ……この白は、依然見た事がある気がする。傲慢で、強欲で、世界で一番自由に生きている、……彼女の色だ。


「……ノ、ぇ、ル……か……?」


「ん」


 ……そうか。彼女が来てくれたのか。


 馬場の口元に笑みが浮かぶ。


 これでもう、この場所は心配いらない。


 これでもう、自分の死は無駄じゃなかったと、胸を張ってあいつに言える。


「……なぁ、ノェ、ル」


「ん?」


「……わた、し、……がんばっ、た、よな……?」


「ん。馬場は頑張った。だからノエルが間に合った」


「……じま、ん、しても、いぃ、よな……?」


「ん。ノエルも一緒にしてあげる」


「……あいつ、……おこる、かなぁ……?」


「……分からない。でも、馬場のおかげで助かった人がいるのは、紛れもない事実」


 ノエルには、『あいつ』が誰なのかは分からない。

 だが、その事実だけは、彼女に伝えなくてはならないと思った。


「……ふふっ……、……いま、行くよ」


「……」


 その言葉を最後に、馬場の身体から命の灯が消える。


 冷たくなった彼女はしかし、とても幸せそうな、安らかな笑みを浮かべていた。


「……まさは、悲しむのかな」


 ノエルは下に向けていたビデオカメラをポケットにしまい、馬場に突き刺さる大槍を引き抜く。


 倒れる彼女を抱き留め、同時に、血と内臓が零れないよう、細い蔦で傷口を縫合した。


「……ノエルは、悲しいのかな」


 少しだけざわつく心を不思議に思いながら、彼女は静かに眠る馬場を抱え、生存者の元へと歩いていった。



 §

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