17話

 


 敷地内に整然と並ぶ大量の運搬車は、今か今かと活躍の時を待っている。


 今宵は満月。

 夜を裂く月明りが、地平の万物を等しく照らす。


 大学全域が見える塔の天辺で、東条は携帯片手に、夜風に当たりながら眼下の景色を見ていた。


「ああ、お前暇だろ?こっち手伝えよ」


『嫌ですよ。気まずいにも程があるでしょ』


「俺の方が気まずいわ。新の仲間達から向けられる、あの冷ややかな目。私もう耐えられないっ」


『……で?順調なんですか?』


「今のところはね。でもノエル曰く、猿がみすみす餌を逃がすとは考えにくい、だとよ。何か仕掛けてくるかもしれないし、来ないかもしれない。自衛隊も頭を抱えてたよ」


『こっちでもよく見かけますよ、猿。何か瓦礫に大量に画描いてましたね。あいつ等自身も部族みたいなペイントしてて、気色悪かったんで適当に殺しときましたけど』


「朧今どこにいんだっけ?」


『今は新宿ら辺ですね』


「近いじゃん。来いよ」


『嫌です。それじゃ、疲れてるんで』


「んだよ冷てーなぁ。

 ……猿のボス、滅茶苦茶強いらしいから気をつけろよ。もし出くわしたらちゃんと呼べよ」


『……ふんっ』



 ――ツーツーツー――



「……可愛くねー奴」


 切られた携帯に向かって愚痴を吐き、後ろ手をついて月を見上げる。


「……どうぞ」


 そしてそのまま、影に隠れる誰かに話しかけた。


「……いやはや、完全に出るタイミングを逃してね。申し訳ない」


 彦根が頭を掻きながら出てくる。


「構いませんけど」


「隣失礼するよ」


「はあ」


 公共の屋上ではないこの場所は、さして広いわけでもない。

 彦根は東条のいる所までジャンプし、よいしょよいしょと尻でスペースを作った。


 彦根は怪訝な顔をする東条を措いて、頭上に鎮座する佳月を愛おし気に眺める。


「……今宵は月が綺麗ですね」


 何処かで聞いた告白の常套句。

 何を言っているんだこいつは?という疑問を浮かべたまま、東条も夜空を仰ぐ。


「……私に月は見えません」


 彼の返答に彦根が少し驚き、次いで嬉しそうに頬を緩めた。


「君との会話の方が、楽しめる気がするよ」


「……俺は別に話すことないですけどね」


「あはは、冷たいじゃないか。……どうぞ」


 どこから取り出したのか、熱々の珈琲を渡される。


「……どうも」


「なんだい?甘い物も欲しいって?そんな君に、じゃーん!チーズケーキです。どうぞ」


「ど、どうも」


 勝手にコーヒーブレークを始める彦根を、東条は引き気味に見る。


「……それで、何の用です?(あ、美味しい)」


「嶺二君に聞いたよ?新君ボコボコにしたらしいじゃないか」


「……説教ですか?」


「まさか。喧嘩も青春の内さ。何も言わないよ」


(……それもどうかと思うけど)


「今日僕は、君にお礼を言いに来たのさ」


「お礼、ですか?」


「ああ。身体強化の方法と、その応用型を国に提供してくれたのは、間違いなく君だからね。改めて礼を。有難う」


 頭を下げる彦根に、若干戸惑う。


「あぁ、国としてですか」


「それもあるが、……正直、個人としての感謝の方が大きい」


「?」




「君のおかげで、より多くのモンスターを殺すことが出来る」




「――っ」


 その時彦根の目に映ったギラついた影は、東条をして恐怖を感じさせるものであった。


 しかしその怨嗟も、瞬きの内に消えてしまう。


「あの応用型、本当難しいよね。まだ軍でも出来る人、僕以外にいないらしいよ」


「え、ええ。……てか出来るんですか彦根さん⁉あれを?この短期間で?」


「ふっふっふっ。凄いだろう。こう見えて、僕は天才らしい」


 チーズケーキを月に掲げる少年に驚愕する。


「確かにその見た目でアラサーってのにも驚きましたけど、それはどうでもいいです」


「どうでもいいとか言わないでくれ」


 まさか既に循環を修得した軍人がいるとは思わなかった。目の前のロリジジイ現象なんかより、そちらの方が余程重要だ。


「まさ君はあれを何日で修得したんだい?」


「……完璧に使いこなせるようになったのは、二週間ちょっと」


「僕は三日だ(ニヤニヤ)」


(うぜぇッ‼)


 東条の持っているフォークが歪む。


「まぁでも?パイオニアである俺が一番すごいけどな!」


「よっ!国の英雄!ロリコン!コ〇ンの犯人!」


「はっはっは、崇めよ!」


「ははぁぁ」


 下らない茶番劇により、彦根は東条の心をいとも簡単に掴んだ。


「そう言えばこの応用型、楓君がカッコイイ名称を夜通し考えててね」


「千軸が?」


「そうそう。驚いたけどまさ君、楓君と随分仲良くなったよね。帰って来てからも、心の友ができたって騒いで五月蠅かったよ」


「それは、何つーか」


 東条はこっぱずかしさに頬を掻く。

 好意的に思っている相手から、好意を向けられて嫌な人間などいない。


 最近は人間関係で色々ありすぎて、友達の定義すらあやふやになってしまっていたが、本来友達とは、こんな風に気軽に出来るものだったのではなかろうか。


「まぁ嬉しいっす」


 千軸との下らないアニメ談議を思い出し、笑ってしまった。


「何か羨ましいなーそういうの。僕は彼の話には付いていけないからね。嫉妬しちゃうよ」


「……彦根さんってバイセクシュアルなんすか?」


「ん?女性の方が好きだけど、でもそうだなー

 ……魅力的な男性には、惹かれちゃうかも」


「――っ」


 舌なめずりをする小さな悪魔に、首の裏がゾワッとする。ゾワッと。


「ははっ、安心してくれ。まさ君にはさっき振られてるからね、手を出す気はないさ。今のところは、ね」


「さ、さっき言ってたカッコいい名称って何ですか!知りたいです!」


 強引に話題を戻す。このままではダメだ、何がダメかは分からないが、何か決定的なモノがダメになる気がする。


 彦根は焦る東条を笑い、顎に手を当てた。


「……ふふっ。そうだね、確か彼は循環を言い換えて、


『身体強化・輪廻』


 と呼んでたね」


「……ふ、普通にカッコいい」


「だろ?彼なかなかネーミングセンスがあるんだ」


 流石厨二病。全厨二病患者の好みをドストライクで貫いている。


「その名称、正式に認めます」


「お、楓君も喜ぶよ。じゃあ『身体強化・輪廻』は今日から君達の子だ」


 どうにも引っかかる言い回しに苦言を申そうとしたところで、後ろの暗がりから第三者が姿を現した。


「おうノエル、どうした」


 可愛らしい寝間着を着たノエルが、目を擦りながら東条の服を引っ張る。


「ねむい。ふとん」


「ん?あぁこれか。悪ぃな、寒かっただろ」


「ん」


 漆黒を顕現させ、ノエルの身体を包む。


 この漆黒、温かくも冷たくもなる上に外敵からの攻撃も吸収してくれるため、今や寝る時には欠かせないアイテムとなっているのだ。


 東条はノエルを抱え、彦根にお辞儀する。


「では、珈琲ご馳走様でした」


「いいさいいさ、付き合って貰ってありがとね」


「おやすみなさ「あぁそうだ!」?」


 忘れていた、と手を叩く彦根。


「実は国の開発部が、魔素を取り込んだ生物のレベルを計れる機械を開発してね」


「何ですかそれ⁉」


「むー」


 東条はレベルという単語に反応し、ノエルはうるさい彼の顔面を殴る。


「是非ともまさ君とノエル君を測定したいんだけど、どうかな?」


「悪かった悪かった。あ、はい、明日の朝でいいですか?」


「勿論!それじゃあおやすみ。ノエル君を寝かしてあげてくれ」


「はい。おやすみなさい」


 去って行く東条を見送り、彦根はガラスのカップに追加でコーヒーを注ぐ。


「……言質、取ったり」


 満月にカップを掲げ、満足気に唇をつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る