第94話


 


 ――「スマホ欲しい」


「いきなり?」


 テレビの中でモンスターを一狩した後、彼女が思い出したように東条を見た。


 娘にスマホを強請られる親は、こんな気持ちなのだろうか。


「ねぇ」


「おぅ」


「まさはスマホ持ってる?」


「いや、ぶっ壊れたな」


 彼のスマホは、握り潰された時一緒に粉々になってしまっていた。


 当然、それっきり誰とも連絡を取っていない。


「じゃあ行こ」


「だけどよ、このデパートの中に売ってるとこないぞ?」


「?出ればいいじゃん」


 何の問題があるのか?当然の事を彼女は言う。


 しかしその言葉に固まる東条は、納得したような、元から分かっていたような、そんなうら寂し気な空気を纏い、画面の一点を見つめた。


「…………あぁ、そうか。……そうだよな」


「……」


 彼女は何故か俯く東条をじっと見つめ、コントローラーを置いて立ち上がる。


「行こ」


「あ、あぁ」


 彼の手を取り、ジャンパーを持って下階へと向かった。





 ――外を染めるのは、何物にも染まらない純潔の色。


 東条と彼女はブーツに履き替え、別世界の入り口に立った。


「雪だね」


「……あぁ」


 しんしんと降る風花が、街に、破壊の痕跡に、自分好みの化粧を施している。


 そういえば今日は雪だったか。


 東条は白い息を吐き、晴れ渡る空を仰ぎ見た。


「あ、おい」


 銀世界の中に躊躇なく飛び込んでいく、一人の女の子。


 その中でも一際輝く白を持つ彼女は、まるで妖精の様であった。


「早くっ」


 お前も来い。彼女はそう呼ぶ。


 しかし東条は足元の白の境界線を見つめ、一歩を踏み出すのを躊躇する。




 彼はあれから一度も、デパートの外に出ようとしなかった。


 いや、出れなかった。


 屋上は問題ないのだ。ただ、出入り口から外に行くことが出来なかった。


 一歩でも外に出てしまうと、何か、大切なものが消えてしまいそうで、それが怖くて、いつも引き返してしまう。



 ……本当は分かっている。


 ここには何もないことも。


 ここに留まっていても仕方ないことも。



 ……彼等はもう、何処にもいないということも。



 そんなこと分かっている。


 ただ、どうしても動かないのだ。足が、身体が……どうしても!


 前に進むことを、全力で拒否する。



 ……どうすれば良いのか、もう自分には分からない。



 ……どうすれば良かったのか、もう自分には分からない。



 ……もう、何も分からないのだ。




 彼は漆黒を解き、泣きそうな笑顔で微笑んだ。

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