第36話
歩く葵獅の背中を、恨めしそうに見つめる者が一人。凜がその顔を覗き込む。
「どうしたの?らしくないじゃない」
「……別に、そないなことあらへんです」
「……それにしても、あのフレンドリーな紗命が、彼には名前で呼んでくれって言ってないんだ」
「え?…………だって、恥ずかしいし……」
顔を赤くする彼女に、的を射たりと凜がニヤつく。
「へー、あー、ふーん、なるほどねー」
「なっ、別に他意はあらへんですっ」
「良いのよ良いのよ?恋は女を成長させるのだから!」
「ちょっ!?黙っとぉくれやすっ」
両手を天に広げる彼女の口を、必死に抑えようとする紗命であった。
――「鍵は閉めますので、帰ってきたらノックを三回して下さい」
「分かった」
「ではお二人共、ご無事で」
「あぁ」「うす」
扉を潜った二人は、鍵の閉まる音を後ろに聞く。人工的な光と、温かい室内が彼等を迎えた。
「さて、行くか」
「了解です」
葵獅はコートを脱ぎ、東条は布団を剥ぐ。久しぶりの包丁とフライパンの感触に手をなじませた。
「先ずは十階でバッグを拾って食料諸々を詰めましょう。健康雑貨売り場も併設されてるんで、同じ階で済むはずです」
「分かった」
運の良い事にここは九階。入ってすぐ隣にあった階段を慎重に上る。
「……あれがゴブリンか」
「三匹っすね。どうします?」
「俺が左の二匹を殺る、右を頼む」
「……了解」
腰を低くし、脚に力を込める。
「……三、ニ、一、「――ッ」」
ゴブリンの耳がピクリと動き、此方を見るや、牙を剥きだし向かって来た。
大地を踏みしめる力が、以前よりも増しているのが分かる。脚が地を蹴るごとに加速し、風が横を通り過ぎていく。
東条は互いの間隔が一m弱になった所で、漆黒をゴブリンの顔前に顕現させる。先行した身体部分に、スピードを落とすことなく突っ込み、刃を突き立てた。
心臓を一突きされ動かなくなったゴブリンを後目に、葵獅の戦闘を見学する。
既に一体は黒焦げになり転がっている。ナイフ持ちを警戒して膠着しているところだった。
「ギアッ「――ふんっ」グゥえっ」
葵獅は突き出されたナイフを見送って躱し、ガラ空きの腹に重い一撃をめり込ませる。
悶えるゴブリンの頭を掴み、燃やし尽くした。
「お見事です」
「ふっ、流石に速いな。次は君の戦いも見てみたいな」
「機会はあると思いますよ?」
「楽しみにしておこう」
危なげなく狩を終えた二人は、余裕綽々と歩を進めた。
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