第10話

 


 ――温かさの欠片もない白い光が、開けかけた目の隙間から切り込んでくる。

 その容赦の無さに眉を顰めながら、東条は張り詰める下腹部に意識を引っ張られた。


(……便所)


 彼はのそのそと起き上がり、武器を持ってトイレへ向かう。

 トイレまでは結構距離があるため、嫌でも警戒に覚醒を強制させられた。




 ――(……)


 一本の木が、自分が椅子取りゲームの勝者であると言わんばかりの堂々さでもって、入り口に居座っている。


 東条はそれを半眼で睨み、きっと最初に殺したゴブリンを食うために動いたのだろうと当たりを付けた。


 証拠に一枚の腰布が幹に張り付いている。

 邪魔ではある。が、これはこれで壁になって良い。


 東条は用を足した後、顔を洗い、入れっぱなしだったコンタクトレンズを水で流して付け直す。

 汗でべたついた身体を適当に洗い、


(タオル忘れてたな……)


 失念していた物資を帰り際に持って帰ろうと決めた。その時、



 タタッ、



 何かがタイルを駆る音がした瞬間、


「グルㇽァアッ‼」


 衝撃に木が揺れた。


 いきなりのことに東条の身体が若干跳ね、急いで武器を持つ。

 木と壁の間から無理やり入ってこようとしている犬特有の二つの鼻先を見て、敵の正体が想像できた。


 姿を確認する前にとりあえず彼はフライパンを両手で持ち、ご丁寧に縦一列になっている鼻先へ狙いを定める。


「――ッッ‼」


 大上段に振りかぶり、全体重を乗せて真下へ振り下ろす。

 調理器具から必殺の鈍器に変貌した鉄塊は、鈍い音を立て寸分違わず敵の鼻っ面をへし折った。


 キャィンッ‼と情けない声を出し上にあった鼻が逃げていく。


 見ると、下にあった鼻が今の衝撃で狭い隙間に捻じ込まれ必死に藻掻いている。

 東条は冷静に、鉄塊をもう一度大上段に構えた。


「フンッ‼フンッ‼フンッ‼――」


 逃がさない為にこれでもかと餅をつく。

 三度目でやっと動きが止まり、


 血混じりの荒い鼻息と、荒いが静かな鼻息が互いにぶつかり合う。

 ……呼吸を整え、鉄塊を縦に持つ。東条は一歩右足を後ろに引き、半身になって血に濡れた凶器を天高く構えた。


 空気の変化を感じ取った鼻先が今まで以上に暴れだす。

 その瞳には隠し切れない焦りが張り付いている。

 身をよじり何とか抜け出そうとし、……中にいた者と目が合った。


 東条は目を逸らさず、黄土色の瞳を見つめ返す。痛みと焦りに血走った獣の目だ。

 しかし心にはさざ波一つ起きはしない。

 右足に重心を移し、矛と化した盾を強く握りしめる。


「逝ッねやァアッ‼」


 全重心を左足に移し直後、爆発させた筋力が風を切る。


 綺麗に隙間へと吸い込まれた一撃は、恐怖に見開かれる眼の中心を捉え、頭蓋をカチ割り脳漿をぶちまけさせた。



「……グロ」


 飛び散った血を正面から浴び、凄惨の一言に尽きる見た目となった東条は、すぐさま包丁を拾い木に登る。

 外の様子を見て、その予想より悪い光景に舌打ちした。


 狼の残数は四。鼻っ面が折れている奴を先頭に、ひし形の陣形を作っている。

 その中でも奥にいる奴。

 遠目から見ても一回りデカい。ボスだか司令塔だか、面倒くさいのに違いない。


「ガファアッ」


 東条の姿を見た鼻折れが勢いよく突っ込み、木に体当たりをくらわした。

 木は揺れるがその程度だ。


 彼もわざわざ群れの中に降りていく気はない。

 このままではジリ貧だ。


 そう思った時、今まで存在すら忘れていた漆黒が目に入った。



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