遼州司法局前記 播州愚連隊

プロローグ

第761話 球友再会

 キザでにやけた優男の手にある黒い拳銃の銃身。その先には三つ揃いの黒い背広を着たスキンヘッドにサングラスの大男が立っていた。


そしてその大男、明石清海あかしきよみはただ口をへの字に結んで身動きせずに立ち尽くす。優男の周りにたむろするのは他にも五人のチンピラがにやけた表情で明石を見つめていた。しかもそれぞれ匕首で武装している。


『ワシも終いか』

 

 明石はそう観念した。相手のシマに一人で乗り込むなどと言うことは自殺行為なのは分かっていた。だが、復員してから今まで、ただ死ぬことばかり考えていた自分を思い返すと自然にその口に笑みが浮かんできた。まるでこうして銃口を向けられて何もできずにくたばることをを自分が望んでいた。考えてみればそう思えないこともなかった。すると当然のように自虐的笑みがこぼれてくる。


 相手のチンピラも芸州で知られた闇屋の組織、旭星会の若頭の明石が無様に倒れている様を堪能しようと下品な笑みを浮かべている。


「何をしている!」 


 突然、誰も顔を突っ込みたくないこの薄汚れた路地裏に叫び声が響いた。明石は自分がまだ天に見放されていないことを知ると少し残念な気分になった。


『余計なことせんでもええねんで……』


 心の中で明石がつぶやく。彼を取り巻いていた男達は、声の主が紺の詰襟が目立つ胡州海軍の制服を着ていることを確認すると困惑したような顔をする。とりあえず銃や匕首を隠すが、声の主の海軍士官はそのまま彼等に近づいてくる。人を呼ばれたら勝ち目は無いと悟った男達はばらばらに逃げ始めた。


 明石は駆け寄ってきた三人の男の姿を見上げた。明石が学徒兵として軍にいた時代からかなりデザインが変更された胡州海軍の士官の制服が目に入る。先頭を歩くのは巨漢の明石より少しばかり背が低い男。帯剣しているところから見て佐官以上の階級だった。彼の視線が一度明石を見て不思議そうな顔から驚いたような感じへと変わるのを明石は額から流れる血を気にしながら見上げていた。


「おい……もしかして明石か?帝大の?」 


 その男は明石の顔を見るなりそう聞いてきた。『帝大の明石』と呼ぶ高級将校に苦笑いを浮かべる。この芸州で『千手の清海』以外の名で呼ばれるのは初めての体験だった。


「確かにワシは明石言いますが?」 


「おい魚住!やっぱりこいつ明石だぞ!おい、覚えてるか?俺を。実業大の別所ってピッチャー」 


 ピッチャーという言葉が、明石の心を掴んだ。もう遠くに忘れてきていた出征前の大学時代を思い出させる響きがそこにあった。


「やっぱり!こんなでかい坊主頭他にいるかよ!俺だ!法大の一番の魚住だ!大学野球じゃ三回お前に盗塁を刺されたことがある」 


「別所?魚住?」 


 明石は次第に思い出していった。学徒出陣の直前の禁裏球場での試合。帝大史上最強の四番、本塁の守護神と呼ばれていた時代が自分にあったことを。


「別所少佐。この方は?」 


 一人残された海軍の大尉が静かにこちらを覗っている。しばらくは放心していた明石だが、三人の胸に最新鋭の人型戦闘機『アサルト・モジュール』、胡州名称『特戦』のパイロット章が輝いているのが見える。その男。緑色の不自然な髪の色からしてゲルパルトの人造人間の一人だろうか。噂では聞いていたが闇屋になって芸州の路地裏を住処にするようになった明石には男の人造人間を見るのはこれが初めての経験だった。


「こいつは帝大の四番キャッチャーの明石だ。何度か話したろ?俺はこいつに二本も長打を打たれてるんだ」 


「三本の間違いや。それに一本は本塁打やったのも忘れたらあかんな」 


 明石は切れた口の中から流れる血をぬぐいながらそう言うとやっと安心したとでも言うように笑った。昔の話をされると先ほどまでの殴る蹴るの暴行で力も抜けていたはずの体が軽く感じられた。泥だらけのジャケットをはたいてゆっくりと立ち上がる。


「汚い格好だなあ、おい。まあいいや、明石!これから付き合わんか?」 


 別所はそう言うと昔の大学生のような笑顔を浮かべた。損得勘定のない笑顔というものを見るのは明石には久しぶりのことだった。


「しかし、別所少佐これから赤松大佐の宴席に……」 


 弱々しく口ごもる人造人間。


「黒田!だから言ってるんだよ。『明日の胡州を作るにはまず人である』てのが赤松准将の信念だ。来るよなあ、明石!」 


 明石は実業義塾大のエースだった別所晋一の言葉に懐かしさに駆られて立ち上がった。


「それも、ええやろ」 


 ジャケットに袖を通しながらの明石の言葉にかつてのライバルの別所、そして大学野球の強豪法律技術大の韋駄天と呼ばれた魚住雅吉を見下ろした。


「でかいなあ、相変わらず。じゃあ行こうか」 


 ちらちらと明石を見上げる緑の髪の男に連れられるようにしてそのまま路地から歩き出した。

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