第713話 大天狗

 嵯峨は静かに天井を見上げた。


「菱川の旦那……笑いが止まらねえんじゃないかねえ」 


 そんな嵯峨の顔に卑屈な笑みに浮かぶ。そしてその視線はそのまま窓の外の壁の向こうに広がる菱川重工豊川工場に向かった。


「同盟が東和にとって思いの外経済的負担になってきたのは事実ですから……機会があれば解体に導きたいという考えがあっても不思議な話じゃ無いですが……本当に菱川重四郎元首相がですか?あの人は同盟司法局の設立を一番に主張した人じゃないですか……それに実働部隊長に兄さんを指名したのも事実上はあの人でしょ?」 


 信じられないと言うより信じたくない。そう思いながら高梨はまだ外を見つめている兄の後ろ姿を見つめていた。嵯峨はゆっくりと視線を部屋に戻し、一度目を閉じた後伏し目がちに言葉を紡ぎ始める。


「俺を同盟内部に引きずり込んだ理由は簡単さ。要は俺を目の届く範囲に置きたかったんだろ?」


「まるで犯罪者じゃないですか!」 


「おう、俺は一応先の大戦じゃ人道に対する罪で銃殺されたことになっているんだから……立派な犯罪者だろ?」 


 遼南での『外憲』の活動で『人斬り新三』の異名を取った兄の顔が歪むのに高梨は目をそらした。それでも兄の言葉は続く。


「同盟の実力部隊は俺が同盟設立を提案した時の条文の段階から本部を東和に置くことになっていた。技術力と安定した治安が魅力でね……扱うものがアサルト・モジュールなんて言う技術力の塊を常に運用状態に置くとなると東和か……大麗くらいしか適当な場所がない。警官が金で動くような治安のヤバイところに設置すれば同盟の中立的実力行使という役割が果たせなくなる可能性もある……そうなると選択肢は東和一本に絞られたわけだが……その部隊長には何人かの候補がいた」 


 兄の言葉がどこにたどり着くかと高梨はただ耳を澄ませるだけだった。


「まずは遼北の周麗華少将……従妹だからと言う身びいきじゃ無いが決まってもおかしくなかったんだけどねえ……」 


 高梨も父カバラの弟であり遼北革命に参加したムジャンタ・シャザーンの娘で先の大戦では女性にして遼北でも上位の撃墜数を誇ったエースとして知られた。何度か会議の席で顔を合わせたが勘のきつそうな視線はどうにも高梨の苦手とするところだった。


「遼北じゃあ……菱川さんが認めませんね」 


「そう言うこと。それで次の候補が大麗のパク・ジュンス大佐。若手で温厚篤実……だが当然ながら人材不足の大麗が手放す訳もない……ってんで次の候補が胡州の誰かってことだ」 


「誰かって……自分のことじゃないですか」 


 弟の軽口に嵯峨は苦笑いを浮かべる。高梨も兄に言われるまでもなくこじれにこじれた司法局実働部隊隊長人事については情報を独自に入手していた。嵯峨のくせ者ぶりは有名なだけに遼北と西モスレムが珍しく共同歩調でその人事に反対したが、結局は菱川重四郎が強引に押し切って決まった人事だった。両国はこの人事に露骨に不服だった結果、遼南内戦で面識があったため直接嵯峨が口説いた二人、遼北の技術部部長の許明華大佐と高梨の前任の管理部部長で現在は戦地である両国国境で任務遂行中のアブドゥール・シャー・シン大尉以外の出向を拒否したほどに難航した人事だった。


「要するに最初から俺はいつかは切られる運命だった訳だ……まあこのまま行くと同盟の方が先に命脈が尽きそうだがな」 


「腹は立たないんですか?一応は遼南皇帝最後の仕事として提言した同盟の設立でしょ?」 


 力なく笑う兄に思わず高梨の語気は荒くなる。


「腹ならもう煮えくりかえっているさ……でも怒ってどうなるよ?世の流れ、人の心。どうにもならないものって言うものはこの世の中いくらでもあるもんだぜ。俺はこの星が地球列強に食いつぶされない為の方策として同盟を提言したわけだが……そんなことよりも世の人々は目先のプライドや気分が大事らしいや」 


 それだけ言うと嵯峨は再び椅子で身を反り返らせて伸びをする。


「それより渉よ……東和で食って行くんだから俺とは距離を置いた方がいいぜ……本庁からの帰り、付けられただろ?」 


「え?」 


 嵯峨の言葉に高梨は驚きを隠せなかった。


「どこの連中が……」 


「東和の公安。うちのゲートの前にもこの寒いのに三人も張り付いて……ご苦労なことだ」 


 頭を掻きながら外を指さす兄。憲兵上がりの兄が同類を見逃すはずがないのは十分に分かる。そして現在第一小隊所属の吉田俊平少佐を東和公安ばかりではなく同盟司法局の捜査部門も追っていることは高梨も知っていた。


 その時嵯峨の机の通信端末に着信があった。


「秀美さんかな?だといいねえ……」 


 嵯峨はのんきにそのスイッチを入れた。

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