第705話 告発

「嵯峨さん!」


 ノックもせずに黒いセミロングの髪の美女が司法局実働部隊隊長室のドアを開いて押し入ってきた。それを見て机の上の江戸時代の九谷焼の花入れの極め書きを書いていた司法局実働部隊隊長嵯峨惟基特務大佐は困ったような表情で顔を上げた。


「秀美さん……ノックぐらいしてよ……僕は気が弱いんだから」


 嵯峨惟基は筆を置いて悠長に花入れに目をやる。その様子は明らかに押し入ってきた司法局実働部隊と対をなす同盟司法局の実力行使部隊で、主に捜査活動を担当する部隊、通称『特務公安隊』の隊長安城秀美少佐を苛立たせるものだった。


「悠長に副業の骨董品の鑑定?それなら同盟解体後ならいくらでもできるんじゃ無いかしら?」


 つきあいはお互い司法局に配属後と言うことで三年程度だが、安城も嵯峨のこう言う明らかに空気を読まない行動の噂は聞いていたので、余裕のある態度を装って皮肉を言ってみた。


「そうとも言えないねえ……回線を遮断しているから良いけど俺の端末にはひっきりなしに胡州陸軍から連絡が入ってる。同盟がつぶれて司法局解散の暁には首輪を付けてでも陸軍省に引っ張られることになりそうだ……それを思うとどうも……」 


「いい話じゃないの。胡州陸軍大学校首席卒業ですものねえ、嵯峨さんは。陸軍省の法制局長かなんかのふかふかの椅子がきっとお似合いよ」 


 安城の皮肉に嵯峨は今にも泣き出しそうな顔をする。それが嵯峨特有の駆け引きだと知ってからは安城もただ冷たい視線で立ち上がって花入れを背後の鑑定依頼の骨董品の棚に戻す嵯峨を眺めていた。


「嫌みを言いに来たにしてはずいぶん急いでいたみたいだけど……用があるんじゃないの?」 


 嵯峨の悠長な態度を皮肉ることに夢中になっていた自分をその相手の言葉で思い出して安城は赤面した。それを悟って嵯峨がそれまでの迷惑そうな表情からしてやったりという笑みに表情を切り替える。それを見た安城はそのまま嵯峨の執務机の端末に自分の襟首にあるジャックからコードを延ばして差し込んだ。


「悪かったよ……そんなに急がなくても……」 


「ここの吉田少佐の身柄を確保する命令がうちに下りてきたのはどういうわけ?」 


 端末の画面が変わるのを確認しながらそれとなく安城はつぶやく。嵯峨はその話題は予想していたと言うような表情で頭を掻いてどうこの場を切り抜けるか計算しているように視線を天井に泳がせた。


「吉田少佐の契約が特殊なのは了承済み、そして嵯峨さんも吉田少佐の行方を掴んでいないのもお見通し。その話題を長々連ねて時間を潰すのはご免よ」 


 先手を打った安城の言葉に嵯峨はいたずらを見透かされた子供のようにそのまま俯いてしまった。しかし、嵯峨の視線は安城が弄っているモニターから逸れることがない。


「命令の出所は内々に調べてみたけど……東和宇宙軍の上層部の意向みたい。それでちょうどその意志決定がなされた時刻にネットに流出したのがこの図面」 


 端末のモニターには複雑な設計図が写されていた。素人が、そしてネットユーザーのほとんどが見てもそれが何かを理解することは出来ないと言うような複雑な構造物の図面が映し出される。法務畑が専門で技術には疎いと自称している嵯峨もその図面自体の意味は理解しているようには安城にも見えなかった。


 だがその図面のデータのファイル名には嵯峨の表情も一瞬の驚きを感じているように見えた。


「第一次インパルス・カノン試作計画……」


「どう?」 


 鋭い視線を送る安城だが、嵯峨はそのまま伸びをして椅子にもたれかかるとただ呆然と正面の空間を見つめながら口を開いた。


「どうと言われても……インパルス砲。縮退空間を砲身全面に展開してそのまま高エネルギーで無理矢理打ち出すって言う理論は昔からあるわけだしねえ。先の大戦中も中立だった東和軍が自衛目的で研究を進めてたのは俺も東和の大使館付き二等武官だったから重々承知はしているつもりだよ……その試作砲台の設計図が流出……あれじゃないの?このきな臭い時期に東和の強さを見せつけたいという東和軍内部の自称愛国者の自作自演とか?」 


 嵯峨の話に安城の表情はさらに険しくなる。嵯峨はそれを見るとしょんぼりと視線を落とした。


「内部犯行説は魅力的ではあるけど……一応、私も東和軍の保安部出身なの」 


「仲間だから信じたいですか……それは知ってるんだけどさあ……人間、魔が差すことは誰だってあるもんだよ。それに最近じゃ『ギルド』の法術師至上主義者が跋扈しているからねえ……そうだ!『ギルド』のシンパが情報を抜き取ってリークしたって線は?」 


 思いつきと明らかにわかる白々しい嵯峨の態度に安城は大きなため息をついた。


「嵯峨さん……まじめに答えてよ。このデータの流出元は東都工大の研究室の通信端末よ。あそこは法術師至上主義者よりは共産主義者の出入りが盛んな場所でしょ?」 


「ああ、今時学生運動をやっている奇特な大学の研究室からの流出ねえ……となると東和の軍部の暴走を警告するって言う意味合いのものか……でもあそこの赤い連中に東和軍のネットワークに侵入してすぐに足がつかないだけの技術力があると思う?」


「だから吉田少佐に嫌疑がかけられたんでしょ?東和宇宙軍のネットワークに侵入して足跡も残さずに情報を抜き取り、それを軍部を批判する組織に譲り渡す……まあ吉田少佐の経歴から考えたらあり得ない話なんだけど、現在行方不明で上司もその足取りを把握していない。疑われても仕方がない状況にはあるわよ」 


 上司が足取りを把握していないと言う一言はさすがの嵯峨にも堪える一言だった。そのまま俯いて指で机の上の埃を一つ一つつまんでは吹き飛ばしていじける。


「確かにそう言われたらその通りなんだけどさあ……吉田の野郎が資金源なんてたかが知れてる学生活動家に苦労して手に入れた情報を限りなく安価に譲り渡すと思う?アイツは守銭奴だよ。具体的設計図としては役には立たない代物なんだろうけど東和がインパルス砲開発を諦めていない事実の暴露はそれなりの利用価値のある情報だ。値段をつり上げる方法を熟知している吉田のことだ。もし奴の仕業なら学生活動家の懐じゃ思いもよらないような値段でそのファイルを売りつける先を捜すんじゃないかな」 


 嵯峨の言葉などまるっきり読めているというように安城は肩を落とすとそのまま部屋の中央の応接セットのソファーに腰を下ろした。嵯峨はそれを見ると少し気が楽になったというように上着の胸のポケットからタバコを取り出すと静かに火を付けた。


「吉田の馬鹿がこのタイミングで行方不明だということ以外は奴が疑われる理由は無いわけだ……。しかもそのことはすぐに捜査の責任者である秀美さんが悟ることは織り込み済み。そしておそらく同僚のよしみで俺に捜査情報を話すことも……東和宇宙軍上層部は知ってて今回の吉田の身柄の確保を指示してきた……そう考えられないかな?」 


 煙草の煙を吐きながら吐いた嵯峨の言葉に少し驚いた表情で安城は嵯峨のとぼけた顔を見つめた。


「東和軍が……遼北と西モスレムが一触即発の時期に同盟の機関に揺さぶりをかける……同盟解体後をにらんでの布石?それとも……」 


 首をひねる安城の前でモニターに着信が告げられた。

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