第706話 懇願

「誰だよ……せっかく通信遮断してたのに……」 


 着信を告げる通信モニターに手を伸ばしながら、嵯峨が恨みがましい目で安城を見るが、安城はただ無表情にその通信に嵯峨が出るように彼の肩に手を置いた。渋々嵯峨は通信端末の受信ボタンを押す。


「ラスコー!」 


 ただでさえだるそうな嵯峨の表情が疲れで押しつぶされたような表情に変わる。モニターにはでっぷりと太ったアラブ風の男の顔面が画面いっぱいに広がっている。安城はそれが西モスレム首長国連邦の現代表であるムハマド・ラディフ王のそれであることを思い出すと、興味深げに嵯峨のげんなりとした顔に目をやった。


「君とワシの仲だ!先月から通信を続けて今つながったのも神の思し召しだ! 頼みが……」


「嫌な神だねえ……まさに神のいたずらってところですか?それに俺はラスコーなんて名前は捨てたんでね」 


 安城も驚くほどに不機嫌そうに嵯峨は言葉を吐き捨てた。嵯峨の貴族嫌いは筋金入りなのは知っていた。本人は捨てたつもりでも遼南王家の当主の地位がどこまででも追ってくる。僅か12歳で皇帝に即位して2年後には内戦に敗れ廃帝とされ、さらに36歳の時にクーデターで吉田に無理矢理皇帝に返り咲かされた嵯峨の流転の人生を思えばそれも当然と安城は思っていた。


 だが画面の中のアラビア王族はそんな嵯峨の感情に斟酌している余裕などは見て取れなかった。目が血走っているのは徹夜を何日も続けてきたことの証だった。大きな顔の後ろの背景を見れば、おそらくは首長会議中に藁にもすがる思いで通信を入れてきたことは容易に想像がつく。


「誇り高き王の位は自分の意志で捨てれるものでは無いぞ!生まれて死すまで、王は王だ」 


「その国が消滅するかもしれないところの人に言われても……説得力が無いんですけど。まあ時間が無いからこちらからそちらの要件を言い当てましょうか? 遼南皇帝として遼北に圧力をかけて講和のテーブルに着けと言えと……無茶な話だ」 


「何が無茶なものか!大陸の半分を占める遼南の意志が……」 


 慌てて捲し立てようとするアラブ人の言葉に静かな表情のまま嵯峨は机を叩いて見せた。黙り込む浅黒い顔に嵯峨は嘲笑を浮かべながら静かに胸のポケットからタバコを取り出すと火を付けた。


「俺の意志は俺の意志ですよ。遼南の民意とはまるで無関係だ。それに現在の遼南の実権は宰相アンリ・ブルゴーニュの手にある。話をつけるならそちらじゃ無いですか?」


「アイツは話にならん!東モスレムにワシが野心を持っていると思っている。根も葉もない話ばかり……」


「それなら話はおしまいですよ。俺は一同盟組織の部隊長。それ以上でもそれ以下でも無い。じゃあ切ります……」 


「ま!……待った!」


 王侯貴族の誇りとやらはどこへやら。今、画面の中に映っている巨漢の表情にはまるで資金繰りに行き詰まって不渡りを待つ町工場の社長と変わらない焦燥の表情が浮かんでいるのが安城から見てもよく分かった。嵯峨はその無様な顔色にようやく満足したようにうなづくと、静かに火をつけたばかりのタバコをもみ消して腕を組んでじっとモニターを睨み付けた。


「民衆が殉教者を気取り始めて手が付けられないから助けてくれってのが本音でしょ?それならそう初めから言えばいいのに……」 


 嵯峨の鋭い指摘に血色の良い頬が自然とうつむく。この緊迫した情勢の中でのその様子が安城から見ても滑稽で思わず吹き出しそうになる。そんな安城にちらりと目をやった嵯峨は手近にあった拳銃のカートリッジの空き箱の端にボールペンで素早く走り書きをして安城に見せた。


『この様子は録画中。そのまま遼北外務省に送信よろしく♪♪』 


 得意げににんまりと笑う嵯峨にため息をつくと安城は画面から見えないように首筋のジャックにコードを差し込む。


「初めは法学者の指示で国境線侵犯の映像を流しただけだったんだ……情報開示が遅れているというのは常に同盟会議で我が国が指摘されてきた部分だ。それを忠実に実行して来たわけだが……」


「ただ出すだけなら良いんですがねえ……政府系の新聞ででかでかと『無神論者の挑戦』なんて見出しを出してまで発表する必要があったんですかね?あの新聞社の資本を出してるのはあんただったはずだ。おそらくここまでの挑発的な記事を出すとなったらあんたに許可を願いでないわけにはいかないんじゃないですか?」 


 明らかに見下すような視線を嵯峨はモニターに向けていた。それは一国際機関の出先の責任者が国家元首に向ける視線とは思えなかった。だが追い詰められた状況は覆すことが出来ない。王はただ黙り込んだまま次の嵯峨の言葉を待つ。


「そのまま世論は好戦的な調子を保ちつつあんたはそれに乗って国境線に軍団を集結させた。それはいい。通常兵器で軍人が殺し合うならそれは国際法上もなんの問題も無い行為だ。同盟軍事機構には悪いが俺としちゃあ好きなだけ殺し合いをしてくれりゃあいい。それでガス抜きになるならあんたも今頃はそんな顔をして嫌みな俺に通信を入れる義理もなかったんでしょ?だがあんたはそれじゃあ満足はしなかった」 


 嵯峨の言葉が次第に詰問するような色を帯び始めたことにようやく王も気づいて顔を赤らめて凄みをきかせようと目つきを鋭くする。


「仕方がないではないか!遼北は核を保有しておる。先制攻撃をされれば我が国は……」 


「じゃああんた等が先制攻撃すれば話は済むと?20メートルの厚いコンクリートブロックと鉛で覆われたシェルターの中のミサイル。しかも場所の特定はあんたも出来ていないとなると……西モスレムが先制攻撃をかけても数十分後には西モスレムにも核の雨が降るのはわかってた話でしょ?人間は罪なもんだ……使えば破滅すると分かっている切り札でもあると使いたくなるものだからねえ……」 


「だがワシはまだ使っておらんぞ!」 


「そりゃそうだ。使ってたら俺はあんたの膨張した顔を見ないで済んだ。今でもいいですよ。使ってくださいな」 


 嵯峨の軽口に王の顔色は青から赤へ、赤から青へとめまぐるしく変わる。だが今、嵯峨の持つ隣国遼南皇帝の位以外にラディフ王に頼る相手はいなかった。ただ自らをいかに誤魔化すかを考えているようにわざとらしい咳払いが続く。


「それにしても……優秀な西モスレムの諜報機関はどう動いてますか?ミサイル基地も直接攻撃が出来るなら通常兵器でも破壊が可能なはずですよ」 


「ほう、よくご存じで。ワシは知っておるぞ。司法局実働部隊にはお主と第一小隊の二人のおなご。それに整備士に一人不死人がおる。他にも忌々しい同盟軍事機構のシン大尉もパイロキネシスト。他にも司法局関係者には法術師が数々おる」


 さすがに虐め疲れたのか嵯峨がそれとなく誘いをかけてみる。王の顔は再び生気を取り戻し、にこやかに開いた分厚い唇から言葉が紡がれる。だがそれが今までの話とはまるで関係がないことが分かると安城は再び同情に値する悲劇の王をどうからかおうか考えている嵯峨をあきれ果てたような視線で見下ろすしかなかった。


 しかし得意げな王の表情が嵯峨の気に入るところではないのはすぐに分かった。


「その優秀な諜報機関……どう使ってますか?」 


「どう使う?」 


 しばらく王の表情が固まる。そして嵯峨の言葉の意味が分からないというように首をひねった。


「別に遼北のミサイル基地の位置を把握しているかどうかなんて言うのは二の次三の次……一時期遼南で暴れた『東モスレム殉教団』のシンパのリストとかは届いてますか?」 


 そこまで聞けば王が青ざめるのは当然だった。軍内部に勢力を持つイスラム保守の勢力の中でも特に過激な『殉教団』のシンパ。彼等が戦術核絡みの部署にいればいつでも核戦争が始まることは目に見えている。


「ははーん。その様子だとご存じない。それじゃあ俺の知ってる範囲でシンパの連中をリストアップしておきましたから後で送信しますよ……身柄の拘束。よろしくお願いしますよ」 


 ラディフ王を安心させようとした嵯峨の言葉だがその意味するところは西モスレムの諜報機関の無能を証明することでしかなかった。持ち上げて落ちて引きずり下ろす。嵯峨のいつもの話術に呆れながら安城は嵯峨がメモ書きで示した秘匿ファイルを送信した。


「お……恩にきると言いたいが……危機が去ったわけでは……」 


「おいおい、いつまで人に頼るんだよ。無能な王様。あんたが煽って始めた事態だ。自分で収拾して当然だろうが!それとも何か?これ以上自分の無能さを俺に知らせるほどのマゾなのか?」 


 凄みを効かせた嵯峨の一言に王は言葉もなく静かに目を閉じた。だが嵯峨はさらに言葉を続ける。


「それと……同盟軍事機構の部隊長としての義務を果たしたシン大尉。アイツは俺の身内だ。今、背教者扱いで自宅が愛国を叫んでる群衆に包囲されてるだろ……もしその群衆が敷地に一歩でも踏み入ってみろ。その脂だらけの首をもらいに参上するからな……それだけじゃ不十分だな。周りにいる王族連中の安全の保障も出来なくなる……意味は分かるな?優秀なあんたの諜報機関は俺の能力はよくご存じだろうから……」 


 嵯峨のとどめに王の脂で膨張した顔はそのまま画面からずり落ちた。


「あ……安心したまえ!すぐに暴徒は鎮圧する!それだから頼む!なんとか仲介を……」 


「仲介?だから何度も言ってるじゃないですか。俺は同盟の一支部機関の隊長。遼南の全権はアンリ・ブルゴーニュ首相のものだ。俺がどうこう出来る話じゃない」 


 冷淡な一言。王はただ連絡を入れる前よりも事態が悪くなったことだけを悟った。


「それなら……ラスコー。貴君の意向に従うすることにする」 


「おう、頼むよ。まあ繰り返し言うけど、遼北との和解に関しては俺の関知することじゃねえよ」 


 投げやりな嵯峨の一言に顔を真っ赤にして怒りを静めながら王は通信を切った。

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