第695話 訪問

「留守だったらどうする?」 


 冷静なカウラの突っ込みにチャイムを押そうとしたかなめが少し躊躇いがちに振り向いた。


「こういうところだと聞き込みするだけ無駄だよな……お互い関心なんてまるでもっちゃいねえんだ。プライバシーの尊重?そりゃあ建前で実際は後ろ暗いことがあるからなんだけどな。そうでなきゃ人の上に立ってこんな家まで建てるような身分にはなれないのが世の中という奴の仕組みだ」 


「よく分かってるわね。さすがザ・上流階級」 


 冷やかすアイシャを無視したが他に何ができるというわけでもない。とりあえずかなめはチャイムを押した。


 しばらく周りの家々を見回す。ある家は瓦に凝り、ある家は塀の漆喰を南欧風に仕上げたりなどそれぞれ大通りに面した豪邸とはまた違うこだわりを見せつけてくるのが誠にはどうにもなじむことができない。


「留守か?」 


「だと思ったわよ……あの人が連絡をしてこないのに家にいると思うわけ?じゃあこのまま東山町でも出てアニメショップでも寄っていきましょうよ」 


 アイシャがそう言ったときカウラが静かに門扉を開けた。打ちっ放しの家に似て飾り気のない鉄板で出来たそれはあっさりと開いた。


「鍵は掛かっていないか」 


 開いた扉を見るとかなめはそのまま遠慮もせずに敷地に立ち入っていく。アイシャもカウラもそれが当然というようにその後に続く。


「良いんですか?」 


「良いも何も……開いてるんだから入るのが普通だろ?」 


 かなめはそう言って振り返ってにやりと笑う。誠はただ呆れながらそのまま家の門までたどり着いて中をうかがっているカウラの方に目をやった。


 誠が思ったのは吉田ならどこかにトラップの一つや二つ仕込んでいるのでは無いかと言うことだった。カウラがポケットからサングラスのようなものを取り出したのもそのせいだろう。


「赤外線の反応は無し……監視カメラはどうだ?」 


「無いな……意外と管理は甘いんだな」 


 かなめの言葉でようやくカウラはドアを確認する。まるで当然のようにそれは開いた。


「不用心ね。これじゃあ泥棒に入られちゃうわよ」 


「あの少佐殿の家に泥棒?そりゃあ身の程知らずもいいもんだな」 


 警戒するアイシャを笑い飛ばすとそのままかなめは家に踏み入った。誠も仕方なくその後に続く。


 玄関口。別に豪華さがあるわけでも機能性を感じるわけでもないそれなりに小洒落た雰囲気のある玄関だった。


「洋風に靴で上がるのか……気取ってるねえ」 


 かなめには全く遠慮がない。カウラは赤外線探知装置付きのサングラスをかけて警戒したままその後ろに続く。三階建て、天井まで吹き抜けのホールのような玄関口に圧倒されていた誠だが、そのまま真っ直ぐ歩き続ける女性陣において行かれてはたまらないとそのまま奥のドアに飛び込んだ。


「食堂か……最近使った様子は……無いな」 


 テーブルの上の埃を指でさすりながらかなめがつぶやく。アイシャが無遠慮に冷蔵庫を開けると中身は空だった。誠はそのまま電気式のコンロの前に立つ。そこも久しく使用した形跡は見受けられない。


「しばらく使ってない……これは三、四日という感じの雰囲気では無いな」 


 カウラの冷静な分析に誠もうなづくしかなかった。


「あの少佐殿は家には帰っても寝るだけみたいな雰囲気があるからな。高速に乗って一時間。途中に飯屋は山ほどある。自炊の必要も無いと言うことなんだろうな」 


 かなめはそう言うとそのまま隣のリビングに足を踏み入れた。そちらは多少人のいた形跡があった。ソファーにも人が寄りかかったようなへこみが残っているし、その手前のテーブルの上の音楽雑誌の山の上にも埃の気配は無かった。カウラは当然のように手元にあったテレビのリモコンを操作する。電源を入れると最近はやりのネオテクノ系の音楽を流している番組が流れていた。


「やっぱりそうだ。ここでテレビでも見て、時間を潰してから寝たんだろうな……」


「そんな日常をトレースするのは良いんだけど……手がかりはどこ?」 


 アイシャの真っ当な質問にかなめは頭を掻きながら奥にあったドアに向かって歩き出した。


「勝手に動くなよ」 


「動かなけりゃあ手がかりも見つからないってもんだよ」 


 平然と扉を開くかなめ。その部屋だけは空調が効いているらしく、乾いた空気がリビングまで流れ込んできた。


「電気は……ここか」 


 いつも通りデリカシーもなく平然と電気を付けるかなめ。誠はその光の中に現われたものに目を奪われた。


「ここは?」 


 ただ目の前に並ぶ木製の棚。その高さは優に3メートルは超える。そしてぱっと見た奥行きで30メートルはあるだろうこの部屋の雰囲気に誠はただ息を飲むしかなかった。


「凄えなあ……なんのコレクションだ?」 


 かなめは遠慮無く手前の木の棚の扉を開いた。誠もカウラもついそれを覗き込んでいる。いくつも並んでいる薄い物体。誠は初めて見るその物体をただ呆然と見つめるだけだった。


「まさか……アナログレコード?マジかよ……今更何に使うのかねえ……」 


 かなめは遠慮せずにその一枚を取り出す。30センチ強の四角い板が目の前に現われる。表面には三人の黒い背広の男の写真がプリントされている。


「もしかしてLP版じゃないかしら?それにしたら凄いコレクションよ。もう五百年以上前の代物だもの……その保存のための部屋。凄いわね」 


 いつの間にか部屋の奥で同じように扉を開けてレコード盤を取り出していたアイシャがつぶやく。誠もその言葉でようやく目の前の物体の正体を知った。レコードと呼ばれるものがあることは誠も知っている。アナログな記憶媒体が一般的だった20世紀の音楽を記録する媒体と言うことは、アニソン以外の音楽に疎い誠も知っていることだった。特に懐古趣味が強い東和ではこう言う古い媒体は珍重される代物で、下町の古道具屋にも堂々と飾られているのを見かけたことがあった。


「この一つの箱で……50枚以上入っているな。どれだけ集めたんだ?あの人は」 


 ただ珍しい媒体の並ぶ部屋を見回すカウラ。彼女が呆れるのももっともな話だった。ざっと見ただけでも箱は百や二百という数ではない。その集められた音楽の数に誠も圧倒されるしかなかった。


「ジャズはねえのか?趣味人にしては気がきかねえな」 


 かなめはジャケットを一枚一枚確かめていく。手前の見えるところを見終わると下の箱を開けてまた検分を始める。


「吉田少佐はジャズって感じじゃないでしょ?なんだかよく分からないけど……もっと軽い感じというか……電子音ばりばりの感じがしない?」 


 同じように奥で箱を開けては中身をのぞき見ているアイシャがつぶやく。


「そんなに開けて良いのか?後で証拠が残るとまずいだろ」 


 心配そうなカウラをかなめは一瞥すると手を振って気にするなと合図した。それを見ると誠も好奇心に負けてそのまま部屋の奥へと足を向けた。空気が凍ったように静かな部屋の中。ただ箱の扉を開く音とレコードのジャケットをかなめやアイシャが引き出す度に起きる摩擦音だけが響いている。


 誠はそのまま手近にあった箱の扉を開いてみた。


 ここにもぎっちりとレコード盤がひしめいていた。背表紙のような部分にはアルファベットの表記でそのレコード盤のタイトルが印字されている。よく読むと英語とドイツ語の表記が多いのが分かる。試しに一枚を引き抜いてみた。


 四人の男が道路を横断しているデザインのジャケット。誠はそれがどこかで見たことがあるような気がしていたがどうにも思い出せずにそのままそのレコード盤を箱の中に戻す。一枚いくらの値がつくのか。この家の設計からして相当な吉田のこだわりが感じられるだけに恐ろしくも思えてくる。


「これ割ったら切腹ものかしら」 


 さすがにアイシャも手にしたレコードの価値に気づき始めておっかなびっくり手にしたレコード盤を箱の中に戻すとそのまま入り口近くで箱を覗き込んでいるカウラのところの戻ってきた。


 しかし、そんな価値のことなどまるで気にしない人物が一人いることは誠も十分分かっていた。


「大丈夫だろ?どうせほとんどは最新のデータ化されて東都国立図書館とかで聞こうと思えば聞ける代物ばかりだろうからな。それに……」 


 かなめは平気でジャケットの中に入っている黒い樹脂製の円盤を取り出す。そしてそのまま天井に付けられた淡い光を放つ照明にかざして溝が彫られた表面をのぞき見た。


「相当酷使の後があるな……ターンテーブルか何かで回したんじゃねえのか?これは」 


 誠の聞き慣れない『ターンテーブル』という言葉。カウラもただ首を傾げてレコード盤を箱に戻す要を眺めていた。


 ともかく凄いコレクション。誠は呆れつつ眺める。


 そんな時、かなめの表情が曇った。


「外に誰か来たな」 


 カウラとアイシャの顔にも緊張が走る。一応は不法侵入である。これがばれればろくな事にはならない。


「どうするのよ……」 

 

そう言うとアイシャはそのまま隠れようと奥に移動しようとする。


「やべえ……警察だわ」 


 かなめの声が絶望に包まれた。完全に吉田の仕組んだ罠にはめられた。誠はその事実にようやく気がついた。


「説明すれば分かってもらえるんじゃないか?吉田少佐が行方不明なのは確かなんだから」 


「カウラ……だからと言って不法侵入していい理由にはならねえだろ?」


 珍しくかなめの言うことが正論だったのでそのまま誠は頷くしかなかった。


『警察だ!侵入している人物に告げる!直ちに出て来たまえ!』


 インターフォンの向こうからの強い語気に奥に隠れていたアイシャも観念して誠達のところに出て来た。


「これは自首するしか無いわね……」 


「まあ吉田少佐は行方不明だ。それに私達は一応彼の同僚。起訴もされないだろうが……」


「小言の一つや二つですめばいいがな」 


 怒られ慣れしてるかなめは平然として苦笑いを浮かべるだけ。誠はと言えばすっかり萎縮してただ動悸が止まらないのに焦るばかり。


「行くぞ。コソ泥の濡れ衣はゴメンだからな」 


 普段通りのかなめはそのまま諦めたと言うように出口へと向かう。カウラもアイシャも項垂れたまま彼女に続いた。


「神前!置いていくぞ!」 


 かなめに見放されれば誠には立場がない。慌てて彼女の後を付ける。そのままがらんどうの玄関ロビーに出た三人は玄関先で厳しい視線を送る三人の警官の前にたどり着いた。


「君達は何者かね?不審者が侵入していると通報があってな……物取りか何かか?」


 あまりにあっさりと出て来たかなめ達に拍子抜けしたような調子で巡査部長の階級章を付けた警邏隊員と思われる初老の警察官が尋ねてくる。


「いや……物盗りというわけでは……ちょっと話すと長くなりそうですから署につきあいますよ」 


 慣れた調子のかなめの言葉に逆に当惑する警察官。それがかなめに出来る唯一の強がりだと分かって誠も同じような苦笑いを浮かべるしか無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る