第667話 事務仕事

 いつものようにざわつく正門をくぐり、その騒音の主である運行部の女性隊員の雑談を横目に急いで階段を駆け上がる。


 人気の無い医務室を通過し、男子更衣室前を通り抜け、そのまま廊下を早足で歩いて機動部隊の詰め所に飛び込んだ。


「なんだ、お前が一番かよ」 


 一人で机に足を乗せてくつろいでいた吉田の遠慮ない声にシャムは照れ笑いを浮かべながら自分の席についた。


「次回のアンの演習の概要でも作るのか?」 


 机から足を下ろすと吉田は首に刺さったコードを引き抜きながらシャムが起動したばかりの端末を覗き込んだ。


「まあね。あの子も今が伸び盛りだから。いろいろ考えてあげないと」 


「殊勝なことを言うねえ。まあいいや、ちょっと貸してみ」 


 そう言うと起動したばかりの端末のマウスを吉田が手に取った。画面のファイル選択カーソルを動かし次々にファイルを開いていく。


「まあ俺が傭兵やってた頃の演習用データフォーマットが俺の私物のサーバにあるはずだから……ほら見つかった」 


 めまぐるしく切り替わる画面が怪しげなコードが絡まる絵で構成された画面で止まる。吉田はすぐに先ほど自分の端末から引き抜いた首の端子に刺さったコードをシャムの端末の脇のスロットに挿しこんだ。


 また点滅しているような速度で画面が変わっていく。


「やっぱりあれだな。『05式』向けに加工しないと使い物にならないか……とりあえず読み込めるようにして……」 


 独り言のようにつぶやく吉田。シャムは黙って彼の言うままに点滅する画面を眺めていた。じっと考え込むように親指のつめを噛みながら画面から目を離そうとしない。


「今度は廃墟の市街戦を想定した訓練を考えているの。こちらの戦力はかえでちゃんとなべっちがフォロー役。支援戦力でマリアのお姉さんの警備部の部隊が参加する形で……作戦目的はゲリラの要人略取」 


 シャムはそう言うと放心したような状態の吉田を見上げた。しばらく経った後、画面には廃墟の町が現れていた。


「ご注文通りだろ?で、ゲリラの戦力は?」 


 乾燥地と思われる背後に茶色の地肌をさらす山を背負った町の画面。すぐにその画面の視点は上空に飛び、その町の全景を示して見せた。


「M5が2機くらいかな……それと装甲ホバーが10両前後。武装メンバーはおよそ2000人で武装度はB+で一個中隊にテクニカルが二台つく感じの戦力がいいかな」 


「おいおい、ずいぶんとでかい規模のゲリラじゃないかよ。殲滅戦じゃ無いんだろ?要人略取となると主役はマリアの姐さんの部隊だ。囮で引っ張るにしても2000人のうち8割程度を引き付けないと作戦遂行以前に姐さんの部隊が全滅するぞ」 


 慌てたような吉田。だがシャムはまるで動じていない。


「演習だからね。多少難易度の高い任務を想定しないと……実際こう言う任務が来ないとは誰も言い切れないんだから」 


 シャムははっきりした調子でそう言い切ると頭を掻いて天井を見上げている吉田に手を合わせた。


「変わったのかなあ。それとも元に戻った?」 


「?」


 それとない吉田の言葉。シャムはしばらく首をひねった。


 シャムは遼南の森で暮らしていた以前の記憶が無い。吉田がシャムの脳派検査を見て『記憶が消されてるな』と言ったことを思い出した。今ではその森で何千人と言うレンジャー資格受験志願者にサバイバル訓練を課したから分かるが記憶の無い少女が一人で暮らせるほど森の暮らしは楽ではない。


 冬は氷点下40度を軽く下回る大地はその巨大な木々をはぐくむ割には豊かとはいえないものだった。大きな獲物を捕る技術が無ければ木の皮に生えるコケを剥がしながら飢えをしのぐのが常道だが、そのような状況になったときはシャムも受験者に棄権を言い渡すべく出動して救助するのが普通だった。


 夏もまた過ごしやすいものではない。解けた山地の水から湧く蚊と格闘し、わずかに広がる木々の途切れた荒地に生える低木の木の実を食べることを覚えなければビタミンの補給はできない。そして巨大な森の主であるコンロンオオヒグマのテリトリーでの生活は常に緊張に包まれていて間抜けな闖入者の生存を許すほど甘くは無かった。


「いつもさあ、俊平」 


「なんだよ」 


 考え事をしているようなシャムにめんどくさそうに吉田が返事をする。すでに吉田はゲリラの錬度に合わせて行動予定ラインの設定作業をするために画面を文字列が並ぶプログラム画面に切り替えていた。


「私……何者なのかな」 


「なんだよ突然。お前はお前だろ?」 


「そうなんだけど……」 


 吉田はシャムの不安そうな言葉遣いに作業を止めてシャムを向き直った。


「お前は今のお前以外の何かになりたいのか?」 


 珍しく真剣な調子の言葉だった。シャムは何も言えずに静かに首を横に振った。


 吉田はそれを見て笑みを浮かべ、再びプログラム画面に目を向けた。


「ならそれでいいじゃないか。俺も今の俺で十分だ。かつての俺はかつての俺。遼南でお前さんに撃たれて死んだことになってる」 


 遼南共和軍の傭兵部隊のカスタムメイドアサルト・モジュールのコックピットでシャムのサーべルの一撃を受けて下半身をもぎ取られて生命反応が切れた吉田の姿を思い出すシャム。


 だが今は吉田はここにいる。


「俊平はそれ以前の俊平には会いたくないの?」 


 シャムの言葉に口元に笑みを浮かべながら吉田は無視して作業を続ける。


「会いたくないね。できれば永遠に」 


「できれば?」 


 どうにも引っかかる言い回しを気にしながらシャムは吉田の作業を眺めていた。


「おう、やっとるな」 


 部屋に入ってきたランはご機嫌だった。続くロナルドや岡部も先ほどのエンジン交換の場面に立ち会えたことに満足してるようで穏やかな表情でそれぞれの席に戻った。


「シャム。アンの訓練メニューはどうだ?」 


「今作っているところ。……そう言えばアン君は?」 


 遅れて入ってきた誠とカウラは途中からの会話に理解できないようでしばらく首をひねったあとそのまま自分の席についた。


「ああ、フェデロの並走を頼んだよ。やっぱりちゃんと走ってもらわねーと示しがつかねーからな」 


 ランはこともなげにそう言うとそのまま自分の端末を起動した。


「俊平、どう?」 


 シャムはよく分からないプログラム画面を操作している吉田を見上げた。吉田はまるで聞いていないと言うようにキーボードを叩き続ける。


「かなり難易度は高くしたつもりだよ。武装勢力には3名のゲルパルト旧軍の軍事顧問を参加させた。通信用ヘッドギアの普及率は50パーセント。各ブロックには稼働率96パーセントの対人センサーを配置」 


「かなりシビアになるね」 


「シビアにしろと言ったのはシャムだろ?まあクリアーできたときより失敗したときのほうが学ぶことは多いものだからな。それに……」 


「それに?」 


 何かを言いよどむ吉田をシャムは不思議なものを見るような目で見上げた。


「どれだけかえでのことをアンが信じているか分かるのは面白いだろ?」 


 吉田の口に悪い笑みが浮かぶ。


「そうよね。普段のかえでちゃんからはその実力は分からないものね」 


「え? 嵯峨少佐ってそんな実力者だったんですか?」 


 聞き耳を立てていた誠が端末の脇から顔をのぞかせてシャムを見つめてくる。好奇心満々の瞳。シャムはそれを見て満足げにうなづく。


「かなめちゃんが大尉でカウラちゃんも大尉。でもかえでちゃんは少佐。階級が違うのには意味があるのよ」 


「その割りにお前さんはいつまで経っても中尉だな」 


 思わず吉田が突っ込みを入れた。シャムはむっとして吉田を見上げるが相変わらず彼の目は画面に固定されて動くことがない。


「まあすごく全体を見て行動できるパイロットよ。無理もしないし」 


「今度の実機を使った演習ではお相手したいものだな」 


 カウラがそう言いながら端末にデータを入力している。誠はそれを見て上の空でうなづくと再び自分の作業を再開した。

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