第668話 呼び出し

 キーボードを叩く音が部屋に響き渡る。沈黙。あまりこう言う状況が好きではないシャムだが自分からこの沈黙を破るほどの勇気もない。


 事実見上げる吉田の顔は真剣だった。機械はまるで駄目なシャムはこう言うことはすべて吉田に任せている。そして吉田は常にシャムの期待に答えてきた。


『今回もいいのができるかな』


 微笑んだシャムだがその瞬間に部屋の沈黙が破られた。


「ったく……あの糞中年が!」 


 忌々しげに悪態をつきながらかなめが登場した。部屋の中の全員の視線が彼女に集中する。


「な……なんだよ」


 少しひるんだかなめだが、その視線の中にシャムを見つけるとそのまま彼女のところに向かってきた。


「おい、シャム。叔父貴がお呼びだとよ」 


「隊長が?」 


 シャムは怪訝そうな顔で不機嫌の極地というかなめを見つめた。


「おう、あのおっさんすっかり練習に出る気でいたみたいでさ。ユニフォーム着て屈伸してやがった。もう来なくて良いよって言ったら泣きそうな顔しやがって……法術の封印が不完全な選手の出場禁止。まるでそいつをアタシが決めたみたいじゃねえか」 


「あれか?隊長は試合に出れないことをまだ根に持ってんのか?でもよー、良いじゃねーか。練習くらい出してやれよ」 


 シャムに言いたいことを言って気が済んだように自分の席に戻るかなめにランがなだめるような声をかける。


「あのおっさんは仕事をサボりたいだけなんだよ。もし叔父貴が練習しているところを司法局の本局の連中に見つかってみろ。今度こそ廃部だぞ」


 確かにかなめの言う通り、隊長である嵯峨惟基大佐のサボり癖はあまりにも有名なのでランは仕方なくうなづくとそのまま自分の仕事を再開した。


 シャムや誠などの法術師の能力のある野球部の面々は試合中は試合の公正を計るため、鉢巻のような法術封印をつけてゲームに参加することになる。その繊維の中に埋め込まれた転移式ベーター波遮断装置のおかげでそれをつけている間は法術の使用はほとんどできない状態になる。


 普通の法術師の場合はそれでよかったが嵯峨にはそれの効果が薄かった。法力のキャパシティもそうだが、彼は先の大戦で戦争犯罪人として死刑判決を受けたあと、実験体として法術の解明のためにアメリカ陸軍のネバダの砂漠で各種の実験に供された経歴があった。


 その際に無理やりそれまで施されていた封印を解かれた副作用で法術のコントロールが不完全だと言うのがシャムがヨハンから受けた嵯峨の法術封印ができない理由だった。


「まあ……いいか。アタシ、行って来るね」 


「行って来い」 


 ランの力ない声に押されて立ち上がったシャムはそのまま詰め所から廊下へと出た。


 廊下に人影は無かった。いつもなら隣の管理部の女子隊員がおしゃべりでもしている定時まで一時間を切った夕方。すでに廊下に挿す日差しは無く、いつものように節電のため明かりの無い廊下をシャムは隊長室まで歩いた。


 ノックをする。


『おう、開いてるぞ』 


 嵯峨の声を聞くとシャムはそのまま扉を開いた。


 埃が一斉に舞い、思わずシャムは咳をしていた。


「ご苦労さん」 


 隊長の執務机。シャムが何度見ても、それは一個中隊規模の部隊の指揮官の机には見えなかった。


 中央に二つ置かれた『未決』と『決済済み』と言う書類だけがこの机の主がそれなりの重責を担っていることの証明である。それ以外はとても『隊長』と呼ばれる人物の机では無い。


 手元は一見片付いているように見えるが、その下敷きはどう見ても鉄板。その上には何度と無く工具を使うことでできた傷が見て取ることができる。そして右端には積み上げられた半紙とその上の不安定にしか見えない硯は嵯峨の『書家』としての一面を見るものに知らしめた。


 反対側。こちらには透明の棚がおいてある。それぞれに札がついているが、中に入っているのは銃の部品ばかり。そして固定するための万力が据え付けられていた。


 結論として事務仕事をする人間の机ではないのだが、『決済済み』の書類の箱が山になっているところがその才に長けた嵯峨らしいところだった。


「あの?隊長?」 


 机ばかり見ていたシャム。それもそのはずそこには嵯峨の姿が見えなかった。椅子は横を向いている。シャムは不思議に感じてそのまま近づいていった。


「いやあ、スパイク。久しぶりに履いたらなかなか脱げなくてねえ」 


 突然何も無かった椅子のところから嵯峨の体が飛び出したので驚いてシャムは飛びのいた。髪の毛はぼさぼさ。無精髭を生やしてめんどくさそうに背中を掻いている若い男。とてもかつて『人斬り新三』と呼ばれた切れ者の風采はそこに見えない。


「紐を強く結びすぎたんじゃないですか?」 


「ああ、そうかもなあ」 


 とぼけたようにつぶやくとそのまま不安定な状態の硯を手に取ると墨をすり始める嵯峨。若く見えるのは彼が不老不死の化物『エターナルチルドレン』であることを意味していた。嵯峨もそのことは気にしていて、本人が言うには少しでも年上に見られるようにわざと無精髭を生やしていると言うことらしい。


「まあ呼んだのはアンのことだ」 


 相変わらず嵯峨は墨をすり続けている。シャムは仕方なくそれを見ながら嵯峨の次の言葉を待った。


「どうだ?」 


「どうだと言われても……」 


 シャムは突然顔を上げて自分を見つめてきた嵯峨の視線に照れながら頭を掻いた。


「とりあえずまじめだし……一生懸命だし……」 


「いいことだねえ。すべての基本だよ、それは」 


 そう言うと嵯峨は部隊の野球部の練習用ユニフォームの上に東和陸軍の制服に手を加えた司法局実働部隊の上着を肩に羽織った。


「で、筋はどうなんだ?」 


 嵯峨の言葉にシャムは少し躊躇した。その態度を見て嵯峨は納得したようにうなづく。


「まあな。天才は天才を知るか……神前と比べるとどう見ても落ちるって話なんだろ? 確かに神前は臆病と言う致命傷があるし、射撃については絶望的な感覚の持ち主だが……本来のアサルト・モジュールは撃ち合いをする道具じゃない。ダンビラ振り回して斬り結ぶ。それがかつてこの銀河を支配したと言う古代文明とやらが作ったアサルト・モジュールの目的だ。その目的に関しちゃ神前の才能は万に一つの逸材だからな」 


 そう言うと嵯峨は袖机の引き出しに手を伸ばした。そこから取り出したのは一枚の絵だった。


「まあそんな本来のアサルト・モジュールの使い方は良いとして。うちが要請される使い方をマスターするのは多分アンの方が早いだろうからな。それでさ、アイツにもパーソナルマークをやろうと思って」 


 嵯峨はその絵をシャムの前に差し出した。寝転がった金色の仏像。その上にはシャムの見たことが無い文字が躍っている。


「なんですか?これ」 


 シャムの言葉に嵯峨はしばらく泣きそうな視線でシャムを見上げてくる。


「そんな目で見ないでくださいよ。仏像ですよね。なんで寝てるんですか?」 


「涅槃仏。遼南南都州の南側のネプラット寺院の大涅槃像をモデルにしたんだけどね。あそこは……なんどか南都軍閥の連中と折衝でやりあった場所だから記憶に残っててね。確かアンの実家もその近くのはずだぞ」 


「そうなんですか……」 


 シャムは記憶をさかのぼってみる。高校時代。確かに南都近郊にはインドシナからの移民が多く居住しておりシャムが見たことが無いような様式の寺院がたくさんあると授業で習ったことを少しだけ思い出した。見たことの無い寺院ならその『涅槃仏』とか言う仏像があっても不思議ではない。


「でもパーソナルマークは早いと思いますよ。まだ実戦経験も無いんですから」 


「そりゃそうなんだけどさ。この商売ははったり九割だ。素人だと思ったら敵も舐めてかかってくる……そういう時新兵に死なれる辛さは経験あるだろ?」 


 説得力のある嵯峨の言葉。シャムは仕方なくうなづくしかなかった。


「よし、これで明日明華にお伺いを立てれば万事終了っと。ようやくのどのつかえが取れたよ」 


「隊長、もしかしてそのことだけで一日潰したんじゃないですよね……」 


 シャムの言葉に嵯峨はとぼけるような顔をしたまま椅子を回して隊長室から見える夕日に目を向けた。


「それじゃあ戻ります」 


「ああ、ご苦労さん」 


 少しばかり落ち込んだような嵯峨の言葉を聞きながらシャムは隊長室を後にした。

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