それでもやってくる日常

第513話 朝食

 耳をつんざく叫び声、誠は意識を取り戻したが、それと同時に腹部に蹴りを受けて痛みのあまり悶絶した。


「大丈夫?誠ちゃん」 


 目を開けると目の前に寝巻き姿のアイシャがいる。ハッとして誠は起き上がった。まず自分が全裸であること、そして二回目の蹴りを繰り出そうとしているパンツ一丁のかなめの姿を見て誠はそのまま部屋から飛び出した。


 廊下で鉢合わせたのは菰田だった。口をあけたまま全裸の誠を見つめる菰田。誠は押さえきれず生理現象で大きくなった股間を隠しながら部屋を確認した。確かに自分の部屋である。だが、そこには寝巻き姿のアイシャと胸をはだけたかなめがいる。


「あのなあ、神前。野郎ばかりの男子寮だけどな、今じゃ貴様の護衛ってことでクラウゼ少佐や西園寺大尉、そしてあのカウラ・ベルガーさんまで……」 


「呼んだか?」 


 そう言って誠の部屋から顔を出したのはいつも寝巻き代わりにジャージを着ているカウラだった。


「オメエが騒ぐからだろ?」 


「なによ!誠ちゃん思い切り蹴飛ばしてたのはかなめちゃんでしょ!」 


「馬鹿野郎!こいつの手が……胸に……」 


 誠の部屋の中からは暴れているアイシャとかなめの声が響いている。


「おい、全裸王子。ちょっと面貸せ!」 


 そのまま誠を引っ張って行こうとする副寮長の菰田をカウラが押しとどめた。


「すまない、菰田!これは……その……私が……」 


 そう言ってカウラが菰田に向けて手を合わせる。カウラのファンクラブ『ヒンヌー教』の教祖である菰田がカウラに手まで合わせられて言うことを聞かないわけが無い。


「そ、そうですね。神前!全裸で廊下を歩くのは感心しないぞ!では!」 


 菰田はさわやかな笑顔を残して去っていく。ただその変身の早さに呆然とする誠も、すぐに自分が全裸であることを思い出して前を隠す。


「神前……貴様は酒が入るとすぐ脱ぐくせに……とりあえず入るぞ」 


 そう言ってカウラは誠の手を引いて部屋に入る。中に入るとさらなる混乱が待ち構えていた。じりじりと間合いを縮めるピンク色のネグリジェ姿のアイシャと半裸でファイティングポーズをとるかなめがいる。


「いい加減にしろ!人の部屋で暴れるんじゃない!それと西園寺、胸を隠せ!」 


 カウラの言葉にアイシャとかなめはようやく手を下ろした。


「ああーかったりい。まあいいや、アタシは部屋に戻るわ」 


 そう言うとかなめはそのまま半裸の自分の姿を気にしないで部屋を出て行く。


「良いんですか?」 


 箪笥から取り出したパンツをすばやく履いて一息ついた誠がカウラにたずねる。


「ああ、あいつはいつも朝起きるとあの格好でシャワーに行くからな」 


 カウラの言葉に誠は言葉を失った。この寮には50人以上の男性隊員が暮らしている。そこに裸の美女が現れたら……しかし、考えてみればこの寮に軍用義体のサイボーグであるかなめをどうこうできる度胸のある隊員はいるわけも無いわけで、できる限り彼女を避けて動いている諸先輩の苦労に誠は心の中で謝罪した。


「それよりなんで……って僕がなぜ全裸か……はいつものことだからいいんですけど、なんでお三方が僕の部屋に……」 


「そんなことは重要なことじゃないの!ついに我々は勝利したのよ!」 


 アイシャは高らかにそう宣言すると携帯端末を高く掲げる。カウラと誠は何のことかわからず呆然と目の前で今にも踊りだしそうな様子のアイシャを眺めていた。


「勝ったって……何がです?」 


「誠ちゃん、ボケたの?」


 誠の間抜けな質問にアイシャは呆れてそう言った。カウラもようやくジーンズと現在放映中の深夜枠の魔法少女のTシャツを着た誠の肩に手を乗せた。


「こいつのわがままが通ったってことだ」 


「わがままなんて言わないの!これは夢よ!ドリームよ!」 


 そう言ってアイシャは大きく天に両手を広げ自分の紺色の携帯端末をかざしてみせる。まだ誠は訳がわからず二枚目のシャツのボタンをはめるながら得意満面のアイシャを眺めていた。


「夢って……?」 


「私達は昨日なんで大騒ぎしたんだ?」 


 カウラに言われて誠は思い出した。アイシャのオリジナル魔法少女映画化計画に巻き込まれてキャラクターの絵を描きなぐった昨日を。そして合体ロボ推進派のシャムと吉田の連合と支持層を求めてあちらこちらのサーバーに進入を繰り返した島田達の戦いを。


「アレって本当だった……でも吉田さんがそう簡単には引かないと思うんですけど」 


「お前はまだまだだな。あの人は極端に飽きっぽいんだ。それにシャムに神前の描いた絵を見せたらはじめは色々文句を垂れていたみたいだが……」 


 そう言いながらカウラはアイシャの端末を奪い取って誠に見えるようにして画面を開く。そこには吉田の『飽きたからよろしく!』という言葉が踊っていた。


「本当に飽きっぽいんですね。でもなんで僕はかなめさんに蹴られたんですか?」 


 そう言ったとたんアイシャの目が輝く。同時にカウラの顔に影がさす。


「さっきかなめちゃんが言ってたじゃないの。寝ぼけて誠ちゃんがかなめちゃんの胸を……」 


「そんなことよりだ!貴様が今日の朝食当番だったろ!さっさと行け!」 


 カウラが顔を真っ赤にして突然そう言うとそのまま誠は部屋を追い出された。


「なんで……ここ僕の部屋なんですよ……」 


 そう言いながら未練タラタラで自分の部屋の扉から目を放すとそこには島田がいた。日差しの当たらない寮の廊下は暗く誠からは島田の表情がよく見えなかった。


「おはようございます?」 


 誠は恐る恐る切り出す。誠達の東塔ではなく西塔の住人島田が目の前にいるのには訳があるに違いないと誠は思った。島田はこの寮の寮長である。お調子者だが締めるところは締めてかかる島田がこの状況をどう考えるか、誠はそれを考えると頭の中が真っ白になった。


「大変だな。お前も……」 


 島田の顔は同情に染まっていた。そのまま大きくため息をついてくるりと方向を変え、そのまま廊下を階段へと向かう。誠はとりあえず怒鳴られることも無かったということで彼の後ろについて行った。


「ああ、アイシャさんが勝ったそうですよ、今度の自主制作映画の件」 


 そう言った誠にまったく無関心というように島田が階段を下りていく。


「そうなんだ……どうせ吉田さんが飽きたんだろ?執念深さじゃクラウゼ少佐に軍配が上がるのは見えてたからな」 


 降りていく島田。そこに香ばしい匂いが漂ってくるのに誠は気づいた。


「あの、朝食の準備。僕が当番でしたよね?」 


 誠の言葉に島田が頭を掻く。


「おはよう!神前君!」 


 廊下をエプロン姿で駆け出してきたのはサラだった。思わず得意げな島田を見てニヤリと笑う誠。


「島田先輩、隅には置けないですね!」 


 島田は誠に冷やかされて咳払いをしながら一階の食堂へと向かう。誠も日ごろさんざんからかわれている島田に逆襲しようと彼に抱きついているサラを見ながらその後に続いた。


「班長!お先いただいてます!」 


「班長!サラさんの目玉焼き最高です!」 


「班長!味噌汁の出汁が効いてて……、この味は神前の馬鹿には真似できないっす!」 


 入り口にたどり着いた島田に整備班員達が生暖かい視線と冷やかす言葉を繰り出してくる。彼は入り口の隣、シャムがとってきたと言う山鳥の剥製の隣に置かれていた竹刀を握り締めるとそのまま部下達の頭を叩いて回る。叩かれても整備班員はニヤニヤした顔で島田を見あげるばかり。他の部署の隊員も食事を続ける振りをしながら顔を真っ赤にして竹刀を振り回す島田を面白そうに眺めていた。


「島田先輩大変ですねえ」 


 とりあえず整備班の隊員を全員竹刀で叩いた後の島田の肩に手を伸ばした誠だが、振り向いた島田の殺気だった目に思わずのけぞった。


「正人……迷惑だった?」 


 サラは瞳に涙を浮かべていれば完璧だろうという姿でエプロンを手に持って島田を見上げる。


「そ……んなこと無い……よ?」 


 そこまで言いかけた島田だが、思わず噴出した整備班員に手に取ったアルミの灰皿を投げつけた。

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