陰謀
第362話 陰謀
「餌の鮮度が落ちたのかねえ。さっぱり食いつかないなあ」
革ジャンを着たサングラスの男がいた。その男、北川公平はただ同盟軍事機構本部ビルの一室から乾いた北風の吹きすさぶ東都の町を眺めていた。
「どういうことでしょうか?」
そう丁寧にたずねたのは同盟軍事機構の東和の代表である菱川真二大佐だった。北川は諦めたようなため息をつくと軍の高官である菱川を尻目に応接ソファーに体を投げた。
「なあに、知識の開拓に熱心な研究者の連中には警告はしましたから仕事を急いでもらえると思ったんですがね。そちらも司法局への恐喝。うまくいってないみたいじゃないですか」
北川の言葉に明らかに怒りの表情を浮かべる菱川だった。そこに北川の携帯の着信音が響いた。
「こちらも暇ができたらまた脅しをかけておきますから。とりあえず今日はご挨拶だけで」
そう言うと北川は菱川の神経を逆なでするような憎たらしい笑みを浮かべるとそそくさと立ち上がり、そのまま部屋を出て扉が閉まるのを確認してようやく端末の回線を開いた。
「はい?」
『俺だ』
向こう側の低い声の持ち主を特定すると北川の表情がゆがんだ。
「桐野さん。俺の予定表も知っているでしょ?今かけてくるのはやばいですよ」
苦々しげにつぶやく北川だが、電話の向こう側にいる桐野孫四郎。通称『人斬り孫四郎』はまったく気にしていないというようにからからと笑った。
『なあにそのときは一人の悪趣味な男が世界から消えるだけだ。別に困ることも無い』
あっさりとそう答える桐野に北川は唖然とする。
「その悪趣味な男から言わせて貰いますがね、これは太子の知っている作戦行動なんですか?司法局に絡むのは面倒なことになりますよ」
桐野が示した法術師の能力研究を目的とする地下研究所の支援の案。それを桐野が独断で北川に突きつけたときから北川はそのことが気になっていた。
法術師の支配する銀河の秩序を建設する。それが彼等の主である長髪の男『太子』の意思だった。遼州人の世界を作るということで協調している菱川大佐の東和陸軍内部の有志達と北川が行動をともにしているのはとりあえず地球人をこの惑星遼州とその勢力圏から叩き出すと言う目的を共有しているからだったので北川も理解できた。だが、桐野が顔をつないでいる法術能力の強制発動研究施設。そんなものとの妥協などありえないと北川は思っていた。
不思議な話だが北川は主である『太子』の名前すら知らなかった。恐らく桐野も同様だろう。ただ圧倒的な法術師としての力とさまざまな分野へのネットワーク。そして強靭な意志は北川が従うべき人間の器と言うものをはるかに超えた人物であると言うことだけは知っていた。身元も遼南王家の庶流の出と北川は推察しているがそれ以上を尋ねる勇気は北川には無かった。
『太子はご存知では無い。我々に協力したいと言う人物の紹介で俺は動いている』
そうあっさり言い切る桐野に北川は呆れた。はじめから桐野には期待はしていなかった。ただの人斬り、死に行く敵の断末魔の声を聞きたいだけの殺人鬼に過ぎない桐野に何を言うつもりも無い。今回も彼が待ち焦がれている『同類』だと言う司法局実働部隊隊長嵯峨惟基をおびき出したい一心での作戦なのだろう。
「それじゃあ俺はいつでも証拠を消せるようにしておきますから」
そう言って北川は一方的に電話を切った。
「まったくただの人殺しらしく隠れていてくれると良いんだけど」
そう言うと北川は携帯端末を切った。振り返ると菱川は北川の様子など気にも留めていないというように茶を啜っていた。
「すみませんね。ちょっと急用ができましてね、大佐殿」
「あなたもお互い忙しい身分ですから。また情報があったら接触しましょう。連絡先は……例のサーバーを経由させますか?それとも……」
菱川の頬に笑みが浮かぶ。この菱川コンツェルンの御曹司でありながら東和共和国陸軍での派閥を形成する人物に改めて北川は敵意を抱いた。
「またこちらから連絡しますよ」
そう言って北川は笑顔を見せ付けてそのまま菱川の執務室のドアから誰もいない廊下に出た。
「世間知らずのぼんぼんか……あんなのが一派の首領とは……東和も終わりだな」
鼻で笑った北川は桐野が連絡してきた新しい研究施設の下見に向かおうとそのままエレベータに向かって歩き出した。
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