第327話 人材不足

「げ!」 


 突然の女性の絶望を帯びた叫び声に驚いて誠は部屋を覗き込んだ。中ではかなめが立ったままかえでを見つけて驚愕の表情を浮かべていた。


 誠はかえでの顔がそれまでの退屈したような無表情から感激に満ちたものへと変わっているのを見つけた。かえでがかなめの胸に手を伸ばそうとするのをかなめはかえでの頬に平手を食らわすことでかわした。


「テメエ!何しやがんだ」 


 そう叫ぶかなめにかえでは打たれた頬を押さえながら歓喜に満ちた表情を浮かべる。


「この痛み、やはりかなめお姉さまなんですね!」 


 誠はそのぶたれた痛みで相手を認識するというかえでの認知方式に頭痛がしてくるのを感じていた。かなめの隣に立っていたカウラは何が起きているのかわからないという表情を浮かべていた。


「これよ!これこそがかえでさんよ!」


 かえでの一言がツボに入ったのかアイシャが感動に打ち震えていた。


 そんな人々の視線を気にしてなどいないというように、かえではそのままかなめの手を握り締めるとひきつけられるようにかなめの胸に飛び込もうとする。


「おい!やめろ!気持ち悪りい!」 


「ああ、お姉さま!もっと罵ってください!いけない僕を!さあ!」 


 そのかえでの言葉に嵯峨は頭を抱えていた。カウラはそんな嵯峨を汚いものを見るような視線で見つめている。かなめは自分の行動がただかえでを喜ばせるだけと悟ったように、口元を引きつらせながら誠に助けを求めるように視線を送っていた。


 誠もさすがにさっきまでの冷静な軍人の顔をかなぐり捨ててアブノーマルな雰囲気をたぎらせるかえでを見て、すぐに嵯峨へと視線を向けた。泣きそうな顔で嵯峨は黙っている。それを察したようにアイシャがかえでに向き直った。


「嵯峨かえで少佐!自分は……」 


「アイシャ・クラウゼ少佐だな。義父上から話は聞いている」 


 そう言いながらすぐさま先ほどシャムに対して見せたすばやい手の動きがアイシャの胸元に向かう。アイシャはさらりと胸の輪郭をなぞるように手を走らせるかえでを見つめたままにやりと笑った。その様子をカウラは浮かない顔で見つめる。


「これもよいな」


 かえでは満足げにうなづく。


「そうでしょうとも。では私がご案内しましょう。それと……警視正!」 


 アイシャが笑顔でドアのところに立っていたの茜に視線を向ける。明らかに不愉快そうな表情でこめかみに青筋を浮かべながら茜は奇行を重ねる従姉妹を見つめている。


「これはこれは茜さま!お久しぶりです!」 


 笑みを浮かべながらかえでがいかにも型通りの敬礼をする。一方茜はしぶしぶ敬礼をしてそのまま隊長室に入ってくる。


「かえでさん、言っておきますがここは東和ですからね。それに今のあなたは嵯峨家当主でもあるのですから。その自覚をお持ちになって行動してくださいね」 


 棘のある茜の言葉にかえでは喜びをみなぎらせた表情でアイシャに案内されて渡辺を連れて出て行く。廊下に響くれしそうな声を上げるかえでをアイシャがなだめている声が聞こえた。


「叔父貴!なんであの変態がうちに配属なんだ?理由言え!半殺しぐらいで勘弁してやるからとっとと言え!」 


 思い切り机を叩いてかなめはまくし立てる。


「だって……あいつの問題行動で兄貴から泣きつかれてさあ……」


 嵯峨はいかにも作り物の涙目で見上げてくる。案内係から外されて取り残された誠にもかえでの問題行動の内容の予想はついた。おそらく見境なく女性の胸を触るセクハラ行為やそのマゾヒスティックな欲求を満たすための無茶な指示がその主たる内容だろう。その変態行為が表ざたにならないのは、被害者の女性の中にはあの美人を絵に描いたかえでの姿に騙されてそのまま惚れてしまうような、ちょうどかえでの家臣の渡辺要大尉のようなコアなファンが多数いるためもみ消されているといったところだろう。


「あー!腹が立つ!」


 かなめはやり場のない怒りのはけ口を求めてこぶしを誠の腹に叩き込んだ。


 誠の息が止まって前のめりに倒れる。手を出して介抱するカウラもすべての元凶である嵯峨をじっとぬ見つめている。かなめとカウラ。今の二人に共通するのは死んだ魚のような視線だった。


「そんな目で見ないでくれよ。俺もできればこの事態は避けたかったんだけどな……」 


 そう言うと嵯峨は書類の束を脇机から取り出す。表紙に顔写真と経歴が載っているのがようやく呼吸を整えた誠にも見て取れた。


「うちは失敗の許されない部隊だ。まあどこでもそれはそうなんだが、何と言っても、うちには長々とした戦略やリカバリーしてくれる補助部隊のも無いんだからな」 


 そう言いながら嵯峨は冊子に手をやる。突然まじめな顔になる彼にかなめやカウラも黙って彼の言葉に耳を傾けた。


「となればだ、どうしたって人選には限定がついてくる。それなりに実績のある人材で法術適正があってしかもうちに来てくれるとなるとメンバーの数は知れてるわけだ。どこだって有能な人材の経歴に瑕なんてつけたくない。ましてや、うちは失敗、即解散の部隊だ。そんな部隊に将来有望な士官候補を送るバカなんてどこにいる?しかも来年からは西モスレムの提唱した同盟軍の教導部隊の新設の予定まであるってことになると……ねえ……」 


 誠もある程度状況が理解できてきた。実績、能力のある人材を手放す指揮官はいない。さらに同盟軍教導隊には司法局実働部隊の数倍の予算が計上されているという話からして、こんな僻地に喜んでくる人材に問題が無いはずが無い。


 実際、この司法局実働部隊も教導部隊の設立という名目で管理部部長のアブドゥール・シャー・シン大尉が引き抜かれている。猫の手も借りたいのが嵯峨の本音だろうと誠は目の前の浮かない顔の指揮官に目を向けていた。


 しばらく沈黙するかなめとカウラだが、二人の言いたいことは誠にも理解できた。


 嵯峨は現在でも遼南帝国皇帝の地位を降りられないでいる。胡州帝国第三位の大公家の前当主という肩書は今でも有効だ。テロで死亡したとはいえ妻のエリーゼはゲルパルトの大統領の妹だった。さらに嵯峨にはつらく当たることで知られる遼北人民軍にも有力幹部を務める従妹がいて、公私にわたり政治的なバックアップを受け続けている。普通ならば同盟加盟が遅く、アラブ連盟との関係を指摘されるところから発言権が強くない西モスレムの提唱した軍の教育専門部隊に比べて、法術の存在が明らかにされた今、『法術犯罪対策の専門集団』の肩書は、同盟機構にとって優先度が高い上に、嵯峨の性格から言って血脈というコネクションを使うと言う裏技もできるはずだった。


 そう思って誠は嵯峨を見つめる。嵯峨が次第にしおれたように机に伏せる。


「ああ、そうだよ。俺は同盟機構のお偉いさんには信用無いし、今回ベルルカンの一件で醍醐のとっつあんや忠さんの顔に泥塗ったから胡州からの人材の供給はこれ以上は期待できないし、他の国は未だに法術関係の人材の取り合いでうちに人を出してくれるような余裕はないし……」 


 嵯峨はすっかりいじけてぶつぶつつぶやき始める。そんな彼をにらみつけながらかなめはこぶしを握り締めている。一方、カウラは呆れて嵯峨のいじける姿をまじまじと見つめていた。茜も子供のように机にのの字を書いている父親に大きくため息をつくばかりだった。

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