第296話 兄弟のパワーバランス
完全に下官達が去ったのを確認するように伸びをした後、義基は突然足を投げ出した。
「ああ、待たせるなよ。つい地がでるところだったじゃねえか!」
そう言いつつ義基は手にした扇子を右手にばたばたと仰ぐ。嵯峨も兄の間延びした顔を見て足を投げ出す。
「これで新三郎はめでたく胡州の枷から外れたわけだ。しかし……」
義基の顔が緩んでいたのは一瞬のことだった。すぐに生臭い政治の世界の話が始まるだろうと嵯峨は覚悟を決めた。
「醍醐のとっつぁんの話なら無駄ですよ」
まだ緊張から固まったように座っている楓の肩を叩く嵯峨はそう言い切った。家督相続の儀式を半分終えた安心感から、大きくため息をついた彼女を見て嵯峨は少し自分を取り戻して兄の顔を見つめた。
「そうは言うがな。少しばかり話を聞いてくれないかね」
そう言いながら笑みを浮かべる兄を前にして仕方が無いと言うように嵯峨はタバコを取り出す。
「この部屋は禁煙だ」
そう言う西園寺義基に嵯峨は悲しげな目を向ける。
「こいつは俺の代に作った法律なんだがな。まあ新三郎対策とでも言うべきかな?ヤニで胡州の伝統が汚れたら困るだろ?」
そう言いながら西園寺義基はにやけた顔で嵯峨を見つめる。仕方なく嵯峨はタバコを仕舞う。
「僕は席をはずした方がいいですか?」
重い政治向きの話がなされるのを察したかえでが席を立とうとするが嵯峨は首を横に振った。
「お前も今から、嵯峨家の当主だ。それなりの責任は果たす必要があるんじゃないか?」
そう言いながら西園寺義基は弟に向かい合って座りなおした。
「醍醐の気持ちも汲んでやってくれよ。あの人もそれなりに考えて今回のバルキスタンへの介入作戦を提案してきたんだからな」
兄の言葉に空々しさを感じて嵯峨は思わず薄ら笑いを漏らした。
「まあそうでしょうね。あの人が有能な官吏で軍人だって事は私も十分承知していますよ。確かにあの人の立場に俺がいたら……そう、今回の作戦と変わらない作戦を提案するでしょうから」
『今回の作戦』と言う嵯峨の言葉に、西園寺義基は少し表情を強張らせた。
義基は外交官の出身である。戦時中はゲルパルトとの同盟に罵詈雑言をマスコミで繰り返し官職を取り上げられ飼い殺しにされていた彼は、戦局が敗北の色を帯び始めた時点で講和会議のために再登用された。地球軍に多くのコロニーを占領され、死に体であった胡州だが、そんな中で西園寺が目をつけたのは戦争遂行能力に限界の見えてきた遼北人民共和国だった。
素早く遼北の最高実力者、
嵯峨が『今回の作戦』と言う言葉を使ったことが、醍醐陸相から首相である西園寺義基に受けている作戦要綱以上の情報を嵯峨が手に入れていると言う意味であることを義基は聞き逃すことは無かった。
「それなら今の立場。遼州同盟司法局の実力部隊の隊長としてはどう動くんだ?」
その言葉に嵯峨は思わず笑みを漏らしていた。
「それは醍醐さんにも話しときましたよ。実力司法組織として、でき得る最高レベルの妨害工作にでると。加盟国の独走を許せば同盟の意味が無くなりますからね」
西園寺義基の表情は変わらなかった。そして、そのままかえでへと視線を移す。
父に見つめられたかえでは首を横に振った。もとより西園寺義基はかえでには嵯峨の説得が不可能なことはわかっていた。だが、とりあえず威圧をしておくことが次の言葉の意味を深くする為には必要だと感じていた。
「そうか。なら同盟の妨害工作が動き出すと。その命令はどのレベルからの指示だか教えてもらいたいな」
胡州も遼州星系同盟機構の構成国家である。比較的緩い政治的結合により地球圏からの独立を確保する。その目的で成立した同盟機構には超国家的な権限は存在しない。そのことを言葉の裏に意識しながら西園寺義基は血のつながらない弟に詰め寄った。
「同盟機構の最高レベル。そう言うことにしておきますかね」
嵯峨のその言葉は西園寺義基の予想の中の言葉だった。しかし、それは最悪に近い答えだった。
この胡州帝国は帝国とは名ばかりの皇帝の存在しない帝国だった。遼州独立戦争。この星系に棄民同然に送られた人々と、先住民族『リャオ族』の同盟が地球の支配に反抗して始まった戦争で胡州の祖先達は独立派の中で数少ない正規部隊として活躍し、『リャオ族』の巫女であったムジャンタ・カオラと言うカリスマを引き立てることで独立を手に入れることになった。
当時の遼州の各国家の意識はどれも国家意識と呼べるようなものではなく、独立の象徴として祭り上げられたムジャンタ・カオラを皇帝として元首に据えることを胡州は選んだ。
しかし、初代皇帝カオラの消息が消えると、事実上胡州はムジャンタ王朝の領土である崑崙大陸と決別し『皇帝不在の帝国』として今度は遼州内国家でのパワーゲームの一つの極をなす国家となった。
そしてその空位の皇帝の座の前で行われる今日の殿上会。
にやりとその意味を悟って笑う弟の姿に西園寺義基は背筋の凍る思いがした。
「それじゃあ、失礼するよ。ああ、そうだった康子が帰りには必ずうちに寄るようにって言ってたぞ」
そう言って西園寺義基は立ち上がる。彼は兄の発した彼の妻からの伝言に次第に青ざめていく弟を見ながら茶臼の間を後にした。
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