第二十一章 ところ変わって
第102話 ところ変わって
「作戦ですが……まもなく始まります」
胡州の首都、帝都の屋敷町の中でもひときわ大きな豪邸があった。クバルカ・ランはその一室、枯山水が見える和室に東和軍式の儀礼服姿で正座していた。
『胡州のペテン師』
そう呼ばれることもある胡州帝国宰相、西園寺義基(さいおんじ よしもと)はランから先ほど受け取った毛筆で書かれた書類を熱心に読み続けていた。
「しかし、今度はいけませんなあ……いいかげん新三(しんざ)の奴にゃあ灸でもすえないと」
西園寺義基の書類を眺めながら、胡州帝国海軍の勤務服姿の赤松忠満(あかまつ ただみつ)は目の前の茶を啜った。
「吉田から話は行ってたわけでは?」
そんなランの言葉に赤松は角刈りの頭をなでながら苦笑いを浮かべて話を始める。
「すべて、決まった後の事後報告だけや。まあいつかはあの連中の組織は潰さないとと思うてたところやったんで、ほっといたんやけど、いつの間にやらアメリカやらロシアやらの特使がワシのとこ来て、『これでお願いします!』なんてワシも知らんような計画並べ始めて、そこから先はあれよあれよというわけや」
愚痴っているはずなのに赤松の表情は明るい。ランはその言葉が途切れたところで西園寺義基の方を見た。
「うむ」
分厚い書類をかなりの速度で読み終えた後、西園寺義基は静かに言葉を飲み込んで腕を組んだ。
「次の庶民院に提出する法案ですか?」
ランはいつもの乱暴な口調を無理して直して話す。
「そうだ。先の国会で審議不足で先送りとなった憲法の草案とそれに伴う枢密院の改革法の原案だ。まあ新三の本分は法科だからな。第三者的立場で冷静に現状を分析できればこれくらいの物は簡単に作るよ、あいつは」
戒厳令下。それを敷くことを決意した宰相とは思えない柔らかい表情を浮かべて西園寺義基は茶を啜る。ランは風刺漫画に強調されて描かれるたれ目が彼の娘である西園寺かなめとの血のつながりを感じさせるようで、直接の会見は初めてだというのに奇妙な安心感を感じていた。
「新三のアホは、高等予科時代から法律、経済がらみの授業は起きととりましたから」
「他は寝てたんだろ?」
「いえ、そもそも教室におりませんでした」
赤松のその言葉に西園寺義基はニヤリと笑う。ランは赤松が嵯峨の予科学校での同期だったことを思い出してうなづいた。
「高等予科じゃ、俺と新三、それにかなめか。三代続けて問題児だったからな、まあ出来は新三が一番だろうがね。確かにこの草案、貴族だってことだけで議員席に座ってる馬鹿でも反対できない内容だな。それに運用次第ではそいつ等を政界から追放できる文言まである」
それだけ言うと西園寺義基は立ち上がり廊下の方へと歩き出した。ランは立ち上がって制止しようとしたが、振り返って穏やかに笑う義基の表情を見て手を止めた。
「安心していいよクバルカ君。この屋敷を狙撃できるポイントはすべてアメリカ軍かロシア軍の特殊部隊が制圧済みなんだろ?嵯峨特務大佐のご威光という奴だな」
テラフォーミングから二百年もたった大地の風は穏やかだった。胡州帝国の首都、帝都の空は赤く輝いている。
「クバルカ君。話は変わるが、かなめはまた迷惑をかけていないかね?」
かなめの父親である。そうわかる目が優しくランを見つめていた。
「西園寺かなめ中尉は現在は我が隊においてはかけがえの無い戦力で……」
「ラン。西園寺卿はまた誰か小突かんかったかと聞いとるんや。今回は東和で噂の新隊員が配属されたって言ってたやん。かなめ坊が新入りド突き回さんかったか?ってことや」
「まず関係は良好であります。それに……」
クバルカは乾いた口に茶を少し流し込む。
「なんか気にいっとるみたいです」
それを聞いた赤松の表情は狐につままれたという言葉がもっともに合う顔をしていた。じっと西園寺義基を見つめる二人。沈黙にたまりかねた義基は少し吹き出した、そしてそれは肩の振るえとなり、ついには腹を抱えて笑い始めた。そしてそのまま立ち上がると縁側まで行き大笑いを始めた。ランと赤松は顔を見合わせて今娘が目の前にいれば何を言い出すかわからない好々爺の背中を眺めていた。
「あいつが気に入った?そりゃあいいや」
義基はそう言うと再び部屋の上座に座った。
「赤松中将。早速、陸戦部隊一個中隊を呼んでくれ。この書類は最高レベルの機密書類だ。できれば司法局の作戦終了時まで伏せておきたい。それとクバルカ君。君もしばらくこの家を出ない方がいい。これからもちゃんと新三の奴の手綱を締めてもらわんといけないからな」
「承知しました」
西園寺義基のその言葉を聴くと、すぐさま赤松は携帯端末で海軍省との打ち合わせを始めた。ランはその西園寺義基の素早い判断にうなづきながら茶をすすって端末にどら声で怒鳴り続ける赤松の姿を眺めていた。
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