第7話 ダークナイトと呼ばれた奇人

「隊長か……あの人はいつもどこにいるのか分からない人だからな」


 カウラは無表情のまま誠を連れて建物に沿って進む。彼女はまるで姿を消した子供を探すように時折建物の陰になるようなところを覗き込みながら建物の裏手を足音を忍ばせて歩いた。


「あ!カウラちゃん」


 ハンガー脇の部品が保管されているロッカーの前から声が聞こえて、誠達はそちらに目を向けた。そこではシャムと吉田が並んでとうもろこしを頬張っているのが見えた。


「なんだ、シャムか。隊長がどこにいるのかわかるか?」


 カウラの真面目そうな瞳で見つめられながら、小さなシャムは手にしたトウモロコシをテーブルに置くと元気よく座っていたドラム缶から飛び降りた。


「隊長ならいつも風通しのいいところにいるよ!」


「あのおっさんは野菜か何かかよ」


 呆れたように吉田がつぶいた。誠は吉田の言葉に思わず噴出していた。


「風通しがいいところ……じゃあやっぱりハンガーの裏か。それとシャム。食べるのは後にして足元の荷物、神前少尉のものだろ?運んでやってくれ」


 カウラはそう言うと今度は目的地が決まったと言うように確かな足取りで歩き出した。そしてそのままハンガーの裏手へと足を向けた。


 シャムの言葉通り、ハンガーの裏手に入ると表とは違う涼しげな風が誠とカウラを包み込んでいた。カウラにつれられてここまで来た誠は、少し離れた空き地に見慣れた背中と特徴的な天然パーマの髪の毛を見つけた。


 大柄なその男の腰には一振りの朱塗りの軍刀がぶら下がっていた。胡州帝国陸軍風に刀をつるしている姿は東和ではめったに見られない代物だった。そのスタイルはまるで第二次遼州戦争の最中の『胡州帝国』の高級将校の格好である。そんな男が、一人で七輪の前に座っている。


「嵯峨隊長。神前少尉候補生を案内してきました」


 表情を変えずにカウラは報告口調でそう言った。誠も少しばかり緊張しながら案内された隊長に向かって敬礼した。その言葉にゆっくりと嵯峨の頭が誠達を向いた。


「相変わらず硬てえなあ、カウラ」


 嵯峨がめんどくさそうに顔をあげる。


 『ダークナイト』の異名で知られた姦雄。年齢不詳。誠の道場に通っている嵯峨を誠はずっと30前と思っていたが、軍に入ってその略歴を知り、実は40半ばと知って驚いたことがあった。しかし、その濁った目を見ると確かに世間を見慣れた中年男らしいという雰囲気をかもし出している。


「しばらくぶりだな誠。まあこんなところだから好きにやってくれて良いよ」


 カウラと誠はそのまま嵯峨の正面に回りこんだ。七輪の横にはぼろぼろの団扇が見える。そして、その上で焼かれているのがメザシだとわかって、彼の実家の道場に顔を出す時の飄々とした嵯峨らしいと思った。


 遼南王家の嫡子として生を受け、胡州のエリート公家士官として先の大戦で活躍し、続く遼南内戦を生き抜いて再び遼南の玉座についた策士として嵯峨は知られていた。しかし目の前にするとそのような肩書きがこの男にはまるで似合わないことに気づく。さらに直接何度も言葉を交わすうちに、これらの肩書が本当に嵯峨と言う男のものなのか疑いたくもなった。


 誠の実家の道場に通っていた頃は弁護士を開業していると言う話だったが、嵯峨はほとんど毎日のように道場で三食食べて帰るというものあった。その後、同盟司法局の実働部隊の指揮官になったと知らされても、道場に来る頻度が減ったくらいでほとんどその生活に変化は無かった。


「おい、どうしたの?」 


 ぱたぱたと団扇で七輪を扇ぐ姿は王族の気品も政治家の洞察力も、それどころか誠が知っている鋭い太刀筋の剣客の面影も無かった。


 誠がここにこうして立っている原因を作った張本人だと言うのに、それほど誠に関心を示すそぶりもなく、嵯峨はじっとメザシが焼けるのを待っている。カウラもそんな嵯峨の態度には慣れているようで、香ばしい煙を上げているめざしを眺めながら、嵯峨が何かを言い出すのを待っていた。


「お前らいつまでそこに突っ立ってるつもりだよ……誠、飲むかとりあえず」


 そう言うと嵯峨は一升瓶を突き出してきた。手書きのラベルが張ってあるところから見て、どこかの小さな酒蔵の特注の大吟醸かもしれない。


 嵯峨はとにかく食べることと飲むことにはこだわる食通だった。誠の家も、嵯峨の差し入れがきっかけで食事が豪勢になるような日があったことを思い出した。


「一応、勤務時間中ですので。それでは事務仕事がありますので失礼します」


 カウラはそう言って去っていき、誠一人が取り残された。誠は目の前のとぼけた中年男と二人きりの状態になった。


「よし誠、いや職場だからな名字で呼ぶぞ。神前、酒は……って、お前はどうせ歓迎会で飲まされるんだろうから止めとくか」


 嵯峨はそういうと取り出した湯飲み茶碗に酒を注いだ。そのまま嵯峨は茶碗を鼻の前に翳して香を楽しむ。そして一口酒を含むと、目をつぶってその味を堪能して見せた。


「そうだ、こいつなら良いだろ?七輪で焼いたメザシだ。しかもそんじょそこらのメザシじゃないぜ、沖取りの天日干し、手作りの結構いい一品だ。伝(つて)があってね。どうにか手に入れたものだ。みやげ物屋じゃあめったに扱ってないし、置いてあったとしても結構いい値段するんだぜ。まあとりあえず一匹食えよ」


 そう言うと欠けた皿の上にメザシを置いて誠に差し出す。かなり火が通っているはずなのに、銀色のその姿には張りのようなものがある。一昨日まで暮らしていた東和軍の教育施設の寮で出るメザシとはまるで別の魚の干物のようにも見える。


 誠は仕方が無いと言うように受け取ると頭からそれを頬張った。磯の自然な塩味が口の中に広がる。骨はしっかりしていて噛み砕くのに苦労するが、それを続けると出てきた腸の苦味が口に広がって肉の塩気と混ざり合う。嵯峨が勧めるのも当然だと言うような食べる価値のある一品だった。


「じゃあ俺も食うかねえ」


 嵯峨も焼き立ての一匹のメザシの頭にかぶりついた。そして何度か噛んでみた後、茶碗の酒を取り上げて口に運ぶ。次の瞬間、嵯峨の顔はほころび、その幸せそうな視線を誠に投げながら今度はメザシの尻尾を口に入れた。

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