グレン魔導高等専門学校

朝倉みん

学生たちの日常風景「初夏」

「いて」

 うとうとしかかってた僕の額に、何かが当たる。

 それは丸められたノートの切れ端だった。

『ハミル、ごめん。魔導物理の講義が少し長引きそう。待っててくれる? ニコ』

 走り書きで書かれたそれは、別の教室にいる僕の恋人からのもの。そんなに驚くほどの強肩の持ち主じゃないし、射撃のプロって訳でもない。もちろん魔導の力で僕に届けたって訳だ。

 いやなに、こんなのは簡単な事。僕とニコが付けているお揃いのシルバーペンダントを使えば誰にだってできる。このペンダント自体、この学校の購買部に売ってるんだから。コミュニケーションツールとして、この学校では広く出回ってる。恋人同士はもちろん、友だち同士でも、お揃いの物を付ける。僕なんか、二十個は持ち歩いてる。

 僕は、紙の裏に短く、『オッケー ハミル』と書いて、切れ端をニコに送り返した。

 僕はハミル。グレン魔導高等専門学校の三年生。


 アニエスはまたアンリに怒られてるのかな。次にアニエスを泣かせたら、私はアンリを許さない。

 アニエスは私にとって、かけがえのない親友。この学校に入ってからずっと一緒に行動してきた。

 そんな私たちが初めてと言って良いくらい別々の行動を取ることになったのが、唯一この時間。選択科目のくじ引きに漏れたアニエスは、泣く泣く私と別の科目を履修することになった。

 講義が終わったら、すぐにいつもの噴水前に集合ね。そう言っていつも別れるのだけど、アニエスはいつも遅れてくるし、目を真っ赤に腫らしてくる。

 それが一緒に講義を受けているアンリのせいだと知った時、私はアンリに文句を言いに行った。

 散々アンリを罵倒する私に、すがるように「やめて」と言うアニエス。私はこの時、初めてアニエスを泣かせた。

 今日は泣かされてないかな。

 早く終わらせて来てくれないかな。

 いつも私はそんな事を思いながら、この噴水の前でアニエスを待つ。とびっきり楽しいお話を用意して、アニエスを待ってる。

 いつまでも一緒にいられますように。

「ソニア」

「アニエ……。ニコ」

 名前を呼ばれ、反射的に顔を上げた。

 アニエスだと思ったその人は、ニコだった。同じ三年生で仲の良い友だち。

「アニエスを待ってるの?」

 ニコはいつも穏やかで笑顔が眩しい。

「そうなの。もう少しで来ると思うんだけど」

 そうは言ったものの、言葉に今ひとつ確信はない。

「こんにちは、ソニア」

 そう言ったのは、ニコの隣にいるニコの彼氏。

「こんにちは、ハミル」

 変わった銀髪。人なつっこい笑顔を投げかける不思議な男の子。

 私はソニア。ここ、グレン魔導高等専門学校の三年生。


「ふぅ」

 僕は担当教授の部屋へ入るなり、ため息をついた。

 どうして僕はこうも内気な性格なんだろう。どうにもダメな自分に腹が立った。

「おお、ユッシ。今からコーヒーを入れるけど、君も飲むかい?」

 僕に声を掛けたのは、担当教授のリベリ先生。

「あ、頂きます」

 大して飲みたくもないくせに。僕の悪い癖だ。

「砂糖は一つで良いかい?」

「あ、はい」

 ホントは二個欲しいんだ。どうして言えない?

「はぁ……」

 僕は早くもこの部屋に入って二回目のため息をついた。一事が万事こんな調子の僕は、いつも全てが思い通りにならない。生まれてこの方ずっとこんな感じなものだから、別段ストレスを感じる事もなくなった。そんなダメなヤツ。

 でも、何の因果か記念に受けたグレン魔導高等専門学校の試験をパスした僕は、今ここにいる。僕なんかよりずっと優れた魔導士になるはずだった人が、僕のせいで試験に受からなかったのかと考えると、胸が痛い。

 開け放たれた窓から入ってくる風が、僕をそんな被害妄想の大旅行から現実へと引き戻す。ふと窓の外を見やると、ハミルと女の子が歩いているのが見えた。

 登下校の時は、ハミルはいつもあの子と一緒にいる。

 僕は……。他の誰かに受け入れてもらえるような人間じゃない。

 そんな僕に笑いかけ、友だちになろうと言ってくれたのがハミル。ずっと大切にしたい、生涯で唯一の親友。

 僕はユッシ。グレン魔導高等専門学校の三年生。


「アニエス。ここの式、文字一つ抜けてるぞ。あと陰と陽の配置が逆。それだけ直せば完成だな」

 半べそをかきながら、私はこの無意味とも思えるほど長い応用公式を組み上げて、相棒のアンリに見せた。でも少し間違ってたみたい。

「あー……。そっか。ありがとう」

 言葉は少し厳しいけれど、アンリは優しい。初めてこの人の前で泣いてしまった時、それを知った。

「陰と陽って、こことここ?」

 もうすぐ解答に辿り着く。そう思ったら気分がすっと軽くなった。

「そう。もう少し陰陽の基本をおさらいした方が良いぞ」

 何気なく私に足りない物を教えてくれるアンリ。仏頂面してるから、みんなには少し誤解されてるようなところもある。

 私はアンリの言うとおりに陰と陽を入れ替えて、書き損じた文字を一文字、追加した。

「それで完成。さ、先生んとこ持ってけ」

 アンリはカバンに筆記具をしまい始めた。

 私は先生にできあがった公式を見せた。先生はよく頑張ったねって誉めてくれたけど、全部アンリのお陰。

 ふと教室を見ると、私とアンリと先生だけだった。またアンリに迷惑をかけてしまった。

「アンリ、ごめんね」

「謝るなってこの前言ったろ。お前は悪いことなんかしてない」

 アンリは私の筆記具をペン入れにしまいながら言った。

「そっか。……わかった」

 アンリがしまってくれたペン入れをカバンに押し込むと、カバンを肩に掛ける。

 アンリはもう教室を出ようとしていた。私は先生に挨拶をして、慌てて後を追う。

「アンリ!」

 私が声を掛けると、アンリは面倒くさそうに振り返った。

「あの……いつもありがとう」

「……ああ」

 それだけ言うと、アンリは踵を返し、階段を下りていった。

 今日はどうしてか、アンリにそれを言いたかった。

 階段を下りて校舎を出ると、少し向こうにニコが彼氏のハミルと歩いていた。

 二人はとっても仲が良い。いつか私も、誰かさんとあんな風に歩いてみたいな。

 私はアニエス。グレン魔導高等専門学校の三年生です。


 さてさて、もうすぐ夏休みだ。ようやく故郷のトリニシアに帰れる。

 ここセント・ナードの緑に囲まれた牧歌的な景色も相当良いけど、やっぱり俺たちトリニシアンには海が似合う。

 セント・ナードからトリニシアまでは馬車で五日。時間も掛かるが金も掛かる。そういうわけで今日もこれからバイトって訳だ。

「ユーベル!」

 名前を呼ばれて振り向くと、ハミルとニコの仲良しカップルの姿があった。

「よう。相変わらず仲良さそうだな」

 俺もそろそろ、ニコくらいお淑やかで可愛い彼女が欲しいよ。ハミルの事が、本当に羨ましい。

「あはは。そんなことないよ。さっきも少し喧嘩したし」

「ハミル。いちいち言わなくても良いの」

「そっか。ごめん」

 ハミルはすぐに、ニコに謝る。謝るほど悪いことをしたのか? ハミルのそう言うところはあまり好きじゃないけど、それ以上に好きなところがあるから、俺はコイツと友だちをやってる。

「ユーベルはバイト?」

 ハミルは風になびく白銀の髪をかき上げながら言った。

「ああ。仕送りだけじゃ、食ってけないからな」

「僕と同じだね。ま、うちは妹もいるからねぇ」

 ハミルの妹は、ハミルを追いかけてこの学校にやってきた、筋金入りのブラコンって噂だ。

「お互い大変だな。それじゃ、そろそろ行くよ」

「頑張ってね」

 俺はハミルとニコに手を振って別れた。

 俺はユーベル。グレン魔導高等専門学校の三年生だ。


 おかしい。

 いつもなら、すぐに返事をくれるはずなのに。

 何かあったんだろうか。講義が手に付かなくなってくる。

 ただでさえ難しい魔導物理の講義なのに。

「うん。完璧だ。では消してくれたまえ。退席して結構」

 そう言われて教室を出て行くのは、この学校始まって以来の天才と称されるアストリッド。彼は少し怖い。

 でもさすが天才と呼ばれるだけあって、彼の創って見せた炎の球体は完璧だった。

 私もさっき習った球体保存の法則を、必死に反芻しては色々な球体を思い浮かべる。やっぱり一番確実にできそうなのは水だ。

 私は意識を集中して、教壇の上を見つめた。

 しっかりと法則をイメージして、柔らかな水のイメージと重ね合わせる。

 私は指で空中に紋様を描く。これは私だけのおまじない。魔導がうまくいきますように。

 その刹那、教壇の上にゼリーのように表面がプルプルと震えている球体が現れた。

「お。これは誰のものかね?」

「あ、私です」

 私はおずおずと手を挙げた。

「ふむ。少しばかり安定さに欠ける部分もあるが、上手く定着している。消したら退席してよろしい」

 私は教壇まで行って、水の球体を軽く撫でた。すると風船が弾けるように、小さく飛沫を上げ、球体は消えた。

「失礼します」

「ああ。気を付けて帰りなさい」

 私は急いで教室を出た。階段を駆け下り、校舎を出る。夕方前の日差しは、昼よりも少しマシになっていて、幾分か過ごしやすい気温になっていた。

「あ、ニコ……」

 校舎のドアの隣で、ハミルは待っていてくれた。

「遅れてごめんなさい。でも、どうして返事くれなかったの?」

 少し不安だった気持ちをハミルにぶつける。こうして待っててくれてたんだから、もう気にしないで良いのに、とは自分でも思う。

「え? 返事したよ。オッケーって。あれ? 送り間違えたのかなぁ。ごめん」

 ハミルに謝られちゃ、どっちが悪い事したのか分からなくなる。

「いいの。遅れたのは私が悪いんだから。さ、行きましょ」

「ごめんね、ニコ」

 少し肩を落とすハミルを見ていると、かわいそうになる。そんなに自分を追い込まなくてもいいのに。

「もうやめましょ、ハミル。ハミルは何も悪くないんだから」

「わかった」

 目を細めて優しい笑顔を私に向けてくれる。

「あ、そうだ。今日バイトはある? 魔導具を創りたいの。手伝ってほしいな」

「いいよ。でも今日は夕飯を食べてからバイトに行かなくちゃ。それまでなら」

「そうなんだ。じゃ、夕飯うちで食べていって。お母さんにお願いしておくわ」

 夕飯まで一緒にいられる事が嬉しくて、自然と笑顔になる。私に笑顔をくれる、ハミルが大好き。

 私はニコ。グレン魔導高等専門学校の三年生。


「公式の組み方が逆だろ? こっちが先」

「あ……そっか。ごめん」

 ああ、どうしてオレがよりによってこんなに鈍いヤツと組まなけりゃなんないんだ。

 担当の教官ももっと考えてほしいよな。いつもコイツと組まされてるけど、コイツは他のヤツより出来が遅いし悪い。一人でやった方が遥かにマシだ。

 じっくり考えりゃ分かるはずなのに。成績は良くもなく悪くもなく。いつも真ん中あたりをうろうろしてる、目の前の女はアニエス。

 オレだって元々そんなに成績が良い訳じゃなかったけど、最近は結構勉強も頑張ってるから割と上位の方には名を連ねてる。打倒アストリッド。

「あの……アンリ。いつも遅くなってごめんね……。私のせいで」

 オレは横目でアニエスを見る。少し涙目になってた。どうもコイツの……いや、女の涙ってヤツに弱いんだよな、オレは。

「別に気にしてない。手を止めないでペンを走らせろよ」

「うん……。ごめん」

「謝るなって。悪いことしてるみたいでイヤだから」

「うん……」

 二人の間にまた沈黙が走る。ペンの走る音が小気味よく聞こえた。

 空が青いな。良い風も吹いてる。気を抜くと、身体が浮かんでしまいそう。これはオレの特異体質。重力を遮断する、生まれた時からの特異体質。

 あれ?

 ハミルとニコだ。

 ハミルがしきりに頭を下げてる。また喧嘩したな。後で訳でも聞いてやるか。

 なんだかんだ言って、オレって結構面倒見が良いんだな。自分で言う事じゃないけど。

「アンリ……」

「ん?」

 アニエスは半べそかいて仕上げた応用公式をオレに見せてきた。

 それをじっくりと見直すオレ。

「アニエス。ここの式、文字一つ抜けてるぞ。あと、陰と陽の配置が逆。それだけ直せば完成だな」

「あー……。そっか。ありがとう」

 アニエスは微笑んだ。少し目に涙を浮かべて。

 そんな顔、するなよ。

 オレは目を伏せた。

 オレはアンリ。グレン魔導高等専門学校の三年だ。


 ホント、講義なんてクソみたいなもんだ。この魔導物理の講義だって例外じゃない。分かってることをいちいち、噛み砕いてオレに教えてくれる。

 オレは猿か?

 いや、オレ以外が猿なんだ。

「それでは……アストリッドくん。球体保存の公式を使って、応用魔術を一つやってみてくれたまえ」

 オレは何も言わずに席を立ち、教壇の上に完全な球体の炎を創り出した。鼻毛を十本同時に抜くより簡単な事。

 炎の性質は知り尽くしてる。炎の揺らぎさえも完全に制御する事ができるオレに、この程度はホントに簡単な事。

「うん。完璧だ。では消してくれたまえ。退席していい」

 命令すんな。軽くため息をついて、オレは炎を消す。

 とその時、視界の隅で何かが飛んでくるのに気付いた。左手でそれをキャッチすると、それはノートの切れ端が丸められた物。開いてみると。

『オッケー ハミル』

 どうしてコイツは、いつも、こんなにも、オレを怒らせる? そうか。焼き殺してもオッケーか。

 オレは消すつもりだった炎の球体にそれを投げ込んだあと、泡のように炎を跡形もなく消し、教室を出る。

 オレはアストリッド。グレン魔導高等専門学校の三年。

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