BB.Front line -short barrel ver. -
本の魚
PROLOGUE 「極彩色の胎動」
まえがき
この物語はフィクションである。
実在する人物と地名、団体、歴史的事実とは一切関係性はない。
◀◀◀◀
─―この世界に、希望はなく夢もない。
──なぜヒトは争うのだろう。
――なぜ彼らはヒトを喰らうのだろう。
─―それはきっと、
─―人類が、何かの選択を間違えたからだ。
――――― ▶ playback 『 BB.front line 』
仄暗い建物の中を走る少女がいる。
少女はただ走る。ポニーテールの黒髪をなびかせ、両手に抱えた熊のぬいぐるみを手放さないように。後ろから迫る紅い複眼の群れから逃げるように。
年齢は幼稚園の年長くらいだろうか。息を切らしながら、100㎝をようやく越えた小さな体を懸命に酷使する。気道を通過する空気で喉は枯れ、肺は膨張と収縮を断続的に繰り返す。
新調したての赤いスニーカーが、つるりとした床を踏みしめるたびに鏡を磨くような甲高い音を奏でる。
少女はひたすら前を見る。視界の端には様々なテナントが写る。カラフルなファッションショップや、いつもなら心躍らせる品々を食い入るように見るガラスのショーケース。
少女の眼には、ほんの一時間前まで絢爛豪華な光で満たされていたショッピングモールの姿はない。照明が落ち、時折点滅を繰り返す非常灯と、背後に迫る幾つもの紅い眼光が光るだけだった。
少女は紅と緑が交錯する暗いショッピングモールを駆け抜ける。ただやみくもに、『狩り』から逃げる動物のように。
焼けつくように痛む肺が、脈動する心臓が限界を知らせている。抱えた熊のぬいぐるみは少女の顎から滴る汗を吸い、滑らかな毛色を失っていた。
それでも少女は逃げ続けた。数十分前にあの紅い眼の怪物が、ヒトの肉を齧り取る瞬間を見た時から。それを見た周囲の大人たちは我先にと逃げてしまった。
だだっ広い建物にはただ一人の少女が残された。
どれくらい走ったのだろうか。複合商業施設の広さは少女にとっては、あまりにも大きすぎる。
ようやくの思いで、少女は目的地だった西側出口に辿り着いた。しかし、そこには見慣れた自動ドアの姿はなく、代わりに金属製の防火シャッターが、出口を固く閉ざされていた。
「うそ……」
思わず言葉を吐き出す少女。慌てて来た道を戻ろうとした時、少女の赤い靴が何かに躓いた。
――あっ。
走り抜けるはずだった通路に、前のめりに転がる小さな体。節々の関節が床を打ち、痛々しい傷を少女の肌に刻み込む。
「いたい……」
床に倒れこんだまま、膝を抱える少女。小さく息を吐いた後、少女の手に液体が付いていることに気がついた。
その液体は少女の倒れた床一面に広がっており、やや脂ぎった液体であることと、濃い赤色であることが分かった。
そして、少女は足をからめとった柔らかい物体を反射的に見てしまった。
そこには男が倒れていた。臓器と衣類を無様に散らして死んだ男だった。脂ぎった赤い液体は男を中心として円を描くように広がっており、男の顔を『何か』が覆っていた。
顔を覆っていた『何か』は、水をすするような音を立てながら男の頭にしがみついていた。『何か』はゆっくりと男の頭からその口部を離し、少女を見た。
「あ……ああ……」
少女の顔を照らす紅い光、その光を放つ三つの眼。正三角形を描くように位置した複眼には、少女の顔が写りこむ。のっぺりとした頭に髪はなく、白い半透明な肌の奥で赤い臓器が蠢いていた。
そして、その口には男の血でまみれたカミソリのような細かい歯が、円を描くように規則的に並んでいた。
「あ……いや……」
紅い眼の怪物はゆらりと立ち上がる。ヒトより一回りほど大きい怪物だった。服を身につけておらず、頭と同じくすべすべとした質感の肌のいたるところに、男の返り血が色を与えていた。
少女は立ち上がることもままならず、ひたすらに後ずさりを始める。スカートについた血が、少女が這った道筋に不規則な線を描く。
少女の顔が歪む。痛みに、悲しみに、失意に、絶望に。
ゆらりと近づく怪物の群れ、20体はいるのだろうか。三つの複眼が放つ紅い光が、少女を照らす。やがてその光は、怪物が近づいてくるにつれて、より一層明瞭な光をもって少女を照らし出した。
ゆっくりと持ち上がる白い手の数々。そのうちの一体が少女の前に立った。赤く塗れた体から、ついさっきまで男を貪っていた怪物だと、少女はとっさに理解した。
迫りくる怪物たち。倒れこんだ小さな少女。涙は頬に伝い、悲鳴を上げるはずの喉は水分を失い、とうに枯れ果てていた。
少女は何もできずに、ただただ泣き続けるだけだった。小さく細い両腕で頭を抱え、固く目をつむる。そして、乾ききった喉からただ一言。
もしも、このわたし以外に、ここに誰かがいるのならと。少女は諦観と懇願の想いをごちゃ混ぜにした言葉を虚空に投げた。子どもの口から語らせるには、あまりにも残酷な言葉を。
「たす……けて……」
力なく発せられたその言葉は、冷たいコンクリートの壁に吸い取られ、誰の耳にも入ることなく少女は死を迎えた。
否、死を迎えるはずだった。
怪物の顎が少女の肉体を貪ろうとした刹那、防火シャッターから轟音が鳴り響いた。
周囲の怪物は音のなる方向へ複眼を向ける。そして、少女はゆっくりと眼を開けた。
闇の帳が落ちた空間を裂く燐光。
防火シャッターに亀裂が生まれていた。その奥から光が漏れ出し、僅かに少女の額を照らす。そして、亀裂の向こうから話し声が聞こえた。
――ちょっと強引に開けすぎじゃねえか?
――おいおいシロミネ、丁寧にやれよ。音で気づかれるぞ。
――う~ん。ごめんね~。ブリーチングとか久々だし……
――目の前にいますね……ヒトガタです。タイプまではわかりませんが20前後はいます。
―――よし……ゆっくりこじ開けるぞ。各員準備しろ。
―――了解。
誰かの話し声だった。内容のすべては聞き取れなかったが、数人はいるようだ。
少女は絶望の中に、光を見た。
「たす……けて……」
そして、少女は再び目を閉じる。大きく深呼吸をして、肺に新鮮な空気を送り込み、すべてを出し切るように声を張り上げた。
「たすけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」
一瞬の静寂。それを引き裂く女性の声。
「――っ! 隊長! 女の子です!」
「っシロミネ! こじ開けろ!」
「はいはいっと! もうやってますよっと!」
「クロイは照明の準備だ! 10秒でやれ!」
「もうできてるぜ!」
「いよし! 展開しろ!」
刹那、建物に侵入したのは四枚の羽根を持った光だった。
そして、少女の視界を支配したのは、まぶた越しでもはっきりとわかる白光。プロペラが風を切り、モーター音がホールに鳴り響く。
静寂と暗闇を瞬時に破壊したそれは、建物内を滑空するドローンによるものだった。ドローン本体から露出した照明器は、サーチライトのように怪物たちの存在を闇から炙りだす。
怪物は紅い眼を少女から離し、防火シャッターの方向に漠然と体を向けていた。
「カッキー! 君なら通れる! 先に行ってくれ!」
「了解! アント4行きます!」
――逆光の中を走る人がいる。
黒い影が光によって、曖昧な輪郭を描いていた。硬質なフロアの床を叩くブーツの音が近づくにつれて、その輪郭は明瞭にシルエットを映し出す。まるで不要なモノを削ぎ落していくかのように。
そのシルエットは、両肩で光る銀の反射材を爛々と輝かせ、羽織っていたジャケットとスカートを靡かせていた。それは、徐々に距離を縮め続ける。
――6m
――5m
――4m……
そして、それは人類の害獣に咆哮を上げた。
「そこをどぉけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
刹那、その人物は勢いに任せたまま跳躍し、右足を高く掲げる。その足は、先頭に立っていた怪物の顎を的確に粉砕した。
軋む怪物の体は歪み、態勢を崩した。
少女にその人物の顔は見えなかったが、長い髪とスカートを身につけていたことから、女性であることが辛うじてわかった。
その衝突をもろに喰らった怪物は、少女に集まった怪物達を巻き込むように地面を転がり、それらを薙ぎ払った。
そして、地上に降り立つ灰色の天使。
空中を舞うその体をバネのようにしなやかに震わせ、屈伸させた両足で着地の衝撃を受け流した。
「アント4! コンタクト!」
すぐさま態勢を立て直し、女性は両腕で何かを構えた。
次の瞬間、白光を裂くように一条の線が描かれた。
光を引き裂いたのは、緑の光。風船の破裂音にも似た音がエレベーターホールに反響する。その音は、女性が構えたモノから撃ち出されていた。
音と同時に発射される緑の光は、ただまっすぐな軌道を描き、怪物の肉体を穿つ。
肉体を抉られた怪物は、喉を掻きむしり奇声を上げる。
――アアアアアアアア!
悲鳴にも似た奇声をあげる怪物は次々と地面に倒れる。その体は、ドライアイスに突っ込まれたゼリーのように、瞬く間に結晶となっていった。
その様子は、残酷でありながら恐ろしく美しいものだった。
そして、倒れた少女の目の前に丸く小さい球体がバウンドしながら、目の前に転がってきた。
暗所で光る朧げな淡い光を放つその物体。蓄光素材でできたと思われるその物体。
少女は、公園の砂場で時折見つかるプラスチックの弾丸によく似たそれを見て、はっきりと理解する。
「おもちゃの……てっぽう……?」
それは、少女より少し年の離れた子どもが良く遊んでいるおもちゃの銃。『エアガン』の弾によく似たモノだった。
気がつけば、周囲の怪物はすべて斃されていた。ただ一人、灰色の髪と紺色の服に身を包んだ女性を除いて。
あまりの状況変化に理解が追い付かず、頭を白黒させる赤靴の少女。ゆっくりと上半身を床から離し、顔を上げた。
――逆光を受け、少女に背を向けているその女性は、黒いハイカットブーツにグレーのタイツを身につけていた。
紺色のスカートを履き、同じ色のジャケットは袖を肘までまくり上げている。
開け放たれたジャケットの内側に防護ベストで身を守り、腹部には鈍い光沢を放つ三つのマガジンを装備していた。
胸に光るのは、蟻をモチーフにしたエンブレム。右肩のワッペンには、地球儀を背景に大きな木が描かれており、それらを束ねている黒いリボンには『BAUM』と刺しゅうされていた。
両手に抱えられていたのは、グレーで塗り上げられたアサルトライフル。
肩に触れるほどの長さの頭髪は、わずかに青みを帯びた明るい灰の色。スカイグレーの頭髪の持ち主だった。
そして、その女性は少女にゆっくりと振り向く。
少女の瞳に映ったのは、黒地のハーフマスクにあしらわれた、若葉マークの葉と鮮やかな紅い翅に黒点を散らしたてんとう虫のワッペン。
――透明な一眼ゴーグルの内側で静かに佇んでいたのは、女性の頭髪とよく似た灰色の双眸だった。
女性は少女の前に静かに跪き、銃のスリングを肩にかけた。
「お姉ちゃん。お名前は? 言えるかな?」
優しい声だった。雨音のように耳を震わす女性の声。そして、少女は名前を告げる。
「——─ちゃんか。いい名前だね。私はカミキ。カミキ・トオル…コ‥‥?」
言葉が詰まるトオルコと名乗った女性。それは、少女の体の異変に気がついたからであった。
―――震えている。
小刻みに震える少女の体。黒い瞳は虚ろ気で、汗ばんだ服。黒く汚れた赤い靴。これらの外見から、少女の逃避行がどれほど過酷なものだったのかを、トオルコが予想するに難くはなかった。
しかし、トオルコは知っていた。このとき、ヒトは何をすれば立ち上がれるのかを。なぜなら、ほんの数か月前に、自分もしてもらったことだったからだ。
トオルコは唇を緩ませ、自分の手を持ち上げる。
「よく頑張ったね。偉い偉い」
トオルコは少女の頭をなでた。黒いグローブに包まれた華奢な掌を通して、お互いの体温を共有する。
なんとありふれた言葉。しかし、その言葉は、張り詰めた心を優しくいたわる。まるで、張り詰めた弦を静かに緩めるように。
少女の目尻から涙が溢れる。一粒の涙が引き金になり、次々と涙が流れる。耐え切れなくなった少女は思わず、小さな腕を広げトオルコに抱き着いた。
「うっ……ええん……えぇぇぇん……」
「よしよし……いい子……いい子だ……」
少女の額がトオルコの胸に埋まる。カチャカチャと身につけた装備がこすれ、音を立てていた。そして、灰色の女性は首元のチョーカーに手を添える。
「アント4からバタフライ、要救助者を一名保護。これから……」
「カミキ!」
刹那、トオルコは少女に背を向け咄嗟に銃口を前に構え、目前に迫っていた怪物に幾多の穴を刻む。
「油断するな!! まだ出てくるぞ!」
防火シャッターから一人の男が駆けてくる。少女の感覚では、トオルコと同い年に見えたであろうその男は、女性の隣でハンドガンを構えた。
青髪の男だった。女性と同じ色の服を身にまとった男性は、手に持っていた拳銃を太もものホルスターに収め、少女を腕に担いだ。
「お嬢ちゃん! もう少しの辛抱だ! 頑張ろうな!」
たくましい腕に抱かれる少女の体。その時、少女は男の瞳の色が青いことに初めて気がつく。深い青の瞳が、男のゴーグルの奥で輝いていた。
それを見届けたトオルコは、改めて首元に手を伸ばす。
「アント4からバタフライ! これより移動を開始します!!」
【バタフライ了解~! 『バルーン』に齧られないようにね~!】
【もっと言うことあるでしょうに! バタフライは外で待機しています!お気を付けて!】
機械音声と女性の声がスピーカーから漏れる。不思議なやり取りを聞いた少女は小さく首を傾げた。
「それとこれ。ゴーグルつけておいて」
男性の腕に収まっている少女に、透明な保護ゴーグルをつけさせるトオルコ。
「任務中の負傷防止ため! ご協力お願いね!」
透明な一枚のレンズが、少女の視界を狭める。そのレンズに写ったのは、二人が通ってきた道を高速で線を描く赤い蛍光色の光。
「まだ湧いてくるじゃん! 早くおいで! 退路は確保しているぜ!!」
防火シャッターの出口にから顔を出す黒髪の女性。その隣に立つ白髪の男性。
「カッキー! 援護しちゃうよ!!」
白髪の男性は、銃口を怪物に向け穏やかな目でスコープを覗き込む。
そして、トオルコと紺色の男性を、一口齧ろうと言わんばかりに怪物たちが殺到する。両手を伸ばし、少女に掴み掛ろうと近寄る怪物。
「ふんっ!!」
その怪物に裏拳を馳走する男性。怪物は頭部をべっこりと凹ませ、床に倒れこんだ。そして、起き上がろうとした時、男はホルスターからハンドガンを抜き、怪物の頭蓋に弾丸を浴びせた。
「よし! 逃げるぞ! いけいけー!」
死の権化が渦巻く暗黒から、光を求めて走る三人。
そして、少女のレンズには様々な色が写りこんだ。
宙を舞うドローンの白く眩い光が、出口を目指して走る三人を照らす。背後に迫りくる紅い複眼の怪物と、ドローンの光によって分断された暗闇の黒。
その怪物たちを穿つ色とりどりの蓄光弾。まるでレーザーのように光る赤の蓄光弾。少女と男性の背後に、ピタリと歩調を合わせるトオルコが放つ弾丸の色は緑。
弾丸を喰らった怪物たちは次々と氷像に姿を変え、倒れた体はいとも簡単に崩れた。まさに霙でできた雪だるまを突き崩したかのように。
そして、少女は自身を救い出した二人を見つめた。男性は、黒と青色を混ぜたような濃紺の髪。女性は、僅かばかり明るい灰色の髪をたなびかせていた。
少女は目線を少し下げ、二人の眼を交互に見た。男性の瞳は紺色よりも濃く、少女の瞳は灰色の奥に青を帯びた不思議な色だった。
少女はまだまだ開発途上の語彙力で、二人の色に最も近いであろう言葉を紡ぎだす。
「夜のお空と……雨の雲……」
複雑な空模様を宿した二人の眼を見続けていた少女の眼が、横を走っている雨雲を宿した瞳と交差した。
ばちりと目を合わせた少女と女性。灰色の女性は、口周りを覆っていた天道虫のハーフマスクを顎のあたりまで下ろす。
そして、屈託のない笑顔を少女に見せた。その笑顔は、つい数分前に絶望を味わった少女の心を勇気づけるには、十分すぎるほどの笑顔だった。
少女は口元を緩ませ、男性の胸元に顔を埋めて、感謝の言葉を贈る。
「……ありがとう……お姉ちゃん」
――ここは、何かの選択を間違えた地球。
――月を失った男と、太陽を知らない少女の出会いから、物語は始まる。
――これは、色を紡いだ子どもたちの物語。
◀◀◀◀
あとがき
この物語はフィクションである。
実在する人物と地名、団体、歴史的事実とは一切関係性はない。
……が、「―」年後においては定かではない。
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