『角』

綾繁 忍

第1話

「えー……っと、では志望動機をですね、簡単で結構ですので、お聞かせください」

 半笑いの面接官は言う。

「はい! 私の就職活動の軸は、誰かの役に立つ仕事を成し遂げられるようになること、そのために成長機会を多く得られることです。以前御社の方にご訪問させて頂いた際に伺ったのは、御社が社員教育にとても力を入れているという点で——」


「本日はありがとうございました!」

 自分史上最高に元気な声を張り上げて、面接会場を後にする。都内某所、有名企業の会議室。

 すぐに立ち去るべきなのだろうが、興奮しているせいかドアの前に立ったまま一歩が踏み出せない。当然だ、ここは僕にとってある意味で最後にして最大の勝負所。他社で戦略的に面接の回数をこなし、場数を十分に踏んでから挑めるよう調整を重ねてたどり着いた一番の本命企業。その甲斐もあって、自分の中では会心の出来だった。面接官からの質問は用意してきた範囲を出るものではなく、さらに言えば突っ込みも少なく拍子抜けしたくらいだ。僕の答えが思いの外スムーズかつ的確だったのかもしれない、なんて自惚れる余裕も生まれてきた。

『どうですかね、彼』

 とっくに立ち去ったと思ったのだろう、ドアの向こうから面接官のリラックスした声が聞こえてくる。解けかけていた緊張が一気に戻ってくる。

『まだ荒削りではあるけど、人前で話す才能はありそうだ。度胸もある。地頭も悪くなさそう……なんだけど。うーんでも、やっぱりあれだねえ……』

 半笑いだった面接官の声が、言う。

『“角”が、ねえ……』


***


 角。人間であれば誰もが持っている、額の中央に鎮座するこの角が、個々人の持つ性質や能力の多くを反映しているのではないかという仮説は古くから存在したものの、角の形で人間の中身がわかるわけがないというのが常識だったらしい。そのような迷信を信じるなんて野蛮だ、とまで言われた時代があったというのはにわかには信じ難いことだけれど、その仮説の確からしさがここ十数年の間に証明されつつあった。この世の中からあらゆるロマンと不確実性を取り払ってきた科学の光がこの角に本格的に向けられた際には多くの倫理的な議論が巻き起こったが、個々人に最適化された医療が受けられたり、その能力の可能性に応じた教育が受けられるといったわかりやすいメリットに注目が集まるうちに、その問題意識もいつの間にかマスコミの興味の外へ移っていった。物議を醸すような、倫理的に致命的な研究データは未だ見られないものの、民間レベルではとっくに角の良し悪しが時候の挨拶のように語られているし、その個性を評論するような書籍も多数発刊されている。

 暗い部屋で鼻を啜る僕の角は、お世辞にも均整が取れているとは言い難い。

 どれだけ髪を短く切り揃えて清潔感を演出し、しっかりとアイロンのかけられたシャツに下ろし立てのスーツを羽織ったところで、この無様な角が全ての印象を台無しにする。六角形であることが美しいとされる断面形状については僕の場合はほとんど三角形だし、真っ直ぐに伸びていることが性根の現れとされる伸び姿は二回ほど折れてから微妙にずれた天を指している。恋人選びの判断基準として当然のように使われるのだから、僕の恋愛経験など語る必要もないだろう。おまけに爪や髪と同じように日々成長するこの角は、整形したところでしばらくすれば元の形を取り戻す。それがお前の魂の形だと言わんばかりに。

 これまで生きてきて、この角のせいで損をしたことは山程ある。角が醜いと性格にも問題があると誰もが暗黙のうちに了解しているが、僕の性格が歪んでいるから角が捻れているのか、角が捻れているせいで性格が歪んだのかについては誰にもわからないだろう。僕にだってわからない。

 そうして僕は就活戦線からドロップアウトした。就職浪人などという手段は、学費も生活費も自分で工面している身には贅沢すぎて手が届かなかった。二つしかない、僕が社会とのつながりを持てる場のうち一つは、どうということもない、自宅の近所の本屋でのアルバイトだった。働かなければ死ぬしかない。この醜い角を晒しても。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る