読んでも何も残らない(短編集)

丁字路

たこ

※ 吹いたら負け。突っ込んだら負け。



 水槽の中から外の世界を見ていた。夕暮の空に、雲は太陽光線を反射し燃え上がるようであった。木々は光を浴び黄金色に染まった。それらの光景が、水面にやや歪んで見えた。それが美しいと思った。

 もしこの世界が我々蛸のものとなれば、それはどれ程素晴らしい事だろう。蛸が何者にも脅かされない世界、蛸にとっての理想郷である。私の夢は世界征服であった。

 私は人間に捕らえられ、ペットとして飼育されている。逃げようと思えばいつでも逃げる事は出来たが、そうはしなかった。この世界を支配している人間というものの、その生態云々を観察する為に、あえて人間のペットに甘んずるのであった。

 観察するうち、彼らが意外にも脆い存在である事を知った。厄介なのは彼らの作る道具であり、それ以外のものは恐れるに足らず。又、一人ではおよそ何も出来ない上、集団では意見が分裂し対立が始まる。これならば勝てると思った。人間に勝利した暁には、世界は我々のものとなるであろう。

 そうして、一度己の力を人間相手に試したいと思ったのだった。


「おや、コータ君が水槽にいないよ」


 老人の声が聞こえた。私は蛸持ち前の慎重さで水槽を脱し物陰に隠れ、静かにその機会を伺った。機会が来た。私はすぐさま老人をからめ捕った。手足を封じ込め、肉体を締め上げていった。老人が助けを呼んだ。その顔目掛けて墨を吹いた。私は負けた。


――


「何、あのコータが人間に負けただと」


 コータが敗北してしばらくの後、海底で衝撃が走った。蛸の世界において、コータは長らく強者であった。


「どうやら墨を吹いたようでして」


「吹いたら負けだ」そういうルールである。


 ただしコータのもたらした情報は、蛸達に大きな可能性を示した。それは蛸達を恍惚とさせるほどの、かつてない革命の可能性だった。


「隊長、とうとうアレが完成したようです」蛸が隊長に言った。


「そうか、完成したか」隊長は動いた。


 アレとは兵器である。コータの人間観察とは別に、人体の構造、人に食べられた蛸達の霊力を分析し、その結果生み出された対人類用の兵器であった。その名も、


「タコマシーンです」


「ダサすぎないか」言うと、隊長は意識不明になった。


「隊長、しっかりしてくださいよ、隊長!」


「一体何が起こったんです?」


「突っ込んだから負けたのだろう」場に悲痛な空気が流れた。


 しばし沈黙があった。が、いつまでもこうしてはいられない。


「ええい、仕方がない。ここからは副隊長である私が指揮を執る。医療班は隊長の治療を、化学班はタコマシーンの説明を頼む」


 副隊長の一声に、蛸達は静かに動いた。副隊長はタコマシーンの元に導かれた。そうして研究室の中に入った。

 副隊長の前に置かれたタコマシーンは、いかにもガラクタのように見えた。尋ねると、人間の生み出したゴミによって作られたという。


「なるほど。で、どうやって使う?」


「スイッチを押してみてください」


 副隊長はスイッチを押した。変化は無い。


「これで完了です。かつて我々を食したことのある人間共は、今後半永久的に筋肉の痙攣に悩み続ける事となるでしょう。足の筋肉が吊るんです」誇らしげな顔をして、蛸が答えた。


「これだけか? 今地上では大変な事になっているのか?」


「はい。電源を切らない限り、人類は苦しみ続ける事でしょう」


 副隊長は呆然とした。後は人類に降伏を求めるだけなのだ。


「コータいらなかったよな、これ」呟くと、副隊長は気絶した。


――


 それから数日後の事である。


「大丈夫なのか、本当に大丈夫なのか」


「俺達がやるしかないだろう。隊長も副隊長も、皆突っ込んで駄目になっちゃったんだから」


「タコマシーンもあるし、大丈夫だよ」


「突っ込んだら駄目だ、突っ込んだら駄目だ、突っ込んだら駄目だ」


「お前はさっきから何を詠唱してんねん。ぐはあっ」


「タコー!」


「そんな事より、ここでいいのか? ここって何のお城?」


「大丈夫だ。偉い奴はお城にいると、相場は決まっている」


「早いとこ偉い人やっつけちゃおうぜ。」


「で、俺達の世界の幕開けだな」


「よっしゃ、突撃だ」


「いくぞー」


「おーっ」


 蛸達は、姫路城に突っ込んでいった。

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