白銀の竜姫と約束の少年
空都 真
第一章
序
降り注ぐ火の粉の中、銀色の血に塗れた彼女は、それでも不敵な笑みを浮かべて、告げた。
「――アーキェル。いいことを思いついたぞ」
煤と血に全身を汚し、地に伏して肩を上下させながらも、その気高さと美しさは、わずかも損なわれない。
ひときわ強い輝きを放つ黄金色の双眸が、まっすぐに、少年を射抜く。
きっともう、あの瞬間に、答えは決まっていた。
――否。もしかしたら、彼女に出逢った、あの時から。
「……奇遇だな。俺も、名案を閃いたところだ」
だから、胸の底から込み上げる熱さを、そのまま力強い笑みに湛えて。
少年は、ゆっくりと、彼女の手を取った。
1
アーキェル、と自分に名を与えてくれたその人の顔を、今でもはっきりと覚えている。
幼馴染の父だったその人は、日に焼けた顔いっぱいに得意げな笑みを浮かべ、お前にいい知らせがあるぞ、と弾んだ声で続けた。
「アーキェル。どうだ、いい名だろう! 俺たちの山の、守り神さまの名だ。お前さんの髪の色も黒鋼色だし、こいつぁぴったしだって皆で決めたんだぞ」
ゆさゆさと頭を撫でる、幼馴染の父の掌に翻弄されながら、幼い自分は懸命にその名を繰り返した。
「あーき……あーちぇ……?」
むずかしいね、と呟くと、豪快な笑い声を上げた幼馴染の父の肩に、ひょいと担ぎ上げられた。
「最高に格好いい名前だ。いい男になれよ、アーキェル!」
どことなく誇らしげなその声に、自分は何と返したのだったか。答えを思い出す前に、ガタン、という振動が身体を突き上げた。
「――あ、起きた?」
重い瞼を上げると、ぱたん、と手にしていた書を閉じ、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべた少女が、向かいの席からこちらを見つめていた。
「……悪い。いつの間にか寝てた」
「別に平気よ、わたしもこれ読んでたから。まだ少しだけ時間あるし、もうちょっと寝てたら?」
そう言ってぱらぱらと頁を繰る少女に聞かせるでもなく、おぼろげな夢の名残を手繰り寄せるように、独りごちる。
「久し振りに、クロムの街に着いた頃の夢を見た」
無言で、少女が緑の瞳をこちらに向ける。言葉はなくとも、視線が続きを促しているのがわかった。
「親父さんに、名前を付けてもらった時の。――レスタ、覚えてるか?」
「覚えてるわよ。忘れるわけないじゃない。……アーキェル、なかなか自分の名前が言えなかったのよね~。あの頃は可愛かったのに」
レスタのからかいに、思わず眉を寄せた。……まったくこの幼馴染は、余計なことばかり覚えているから、油断がならない。
「そうじゃなくて。親父さん、俺の髪の色が黒鋼色だから、この名前はぴったりだ、って言ってたんだ。あれってどういう意味だったんだろう」
「えー? クロムの街の名産が、黒鋼石だったからじゃないの?」
でも、黒鋼石のことを〝アーキェル〟とは呼ばないよね、とレスタは首を傾げる。
「……山の守り神の名だ、とも言ってた」
アーキェルが補足すると、レスタは目を瞬かせた。お父さんが? と呟き、しばし黙考する。
やがてレスタは何かに思い至ったようにはっと息を呑み、アーキェルの顔をまじまじと見た。
「何か、思い当たる節があったんだろ」
「……いや、何でもないよ、本当に。気にしないで」
そう言われて、気にならない人間などこの世にいるはずがない。根気強く視線を送り続けていると、レスタがこらえきれない、という風に吹き出した。
「もう、そんなにじぃぃぃぃっと見ないでよ! アーキェルってほんと、そういうところは小さい頃から変わらないよね」
レスタは笑いながら、ね、お父さんたちが仕事の時に使ってた道具のこと、覚えてる? と尋ねてきた。
記憶の中の皆の姿を辿り、どれのことだ、と訊き返す。間髪入れずに、山を掘るのに一番大事な道具に決まってるじゃない、と返ってきた。
「え、つるはしはつるはしだろ? なんでそれが〝アーキェル〟なんだ?」
確かに、黒鋼色をしていることに間違いはないのだが。そう問うと、レスタはちっちっちっ、と人差し指を振った。
「観察が甘いね、アーキェル。つるはしに皆、揃いで文字を刻んでたこと、覚えてないの?」
「いや……知らない」
むしろ、自分が掘りに出ていたわけでもないのに、そこまで覚えているレスタの記憶力の方が異常なのだ。無論、口には出さないが。
「――その、つるはしに刻まれていた文字が、〝アーキェル〟なの。……由来は、わたしも知らないけどね」
首をすくめ、レスタがそっと目を伏せる。――レスタの父は、三年前に、亡くなった。
だからもう、レスタが、父からその由来を聞くことはない。
「……レスタ、」
アーキェルが言葉をかける前に、ゴタン、とひときわ大きな振動が、二人の身体を跳ね上げた。
「あ、もう着くんだ! さすが馬車、座ってるだけなのに早いね」
それもこれも、アーキェルのおかげだけど、と微笑む彼女の表情に、先までの翳りはもうない。
そろそろ降りる準備しないとな、と呟き、見るともなく車窓から流れる風景を見遣る。
いつしか、窓の外には、巨大な城門がそびえ立っていた。
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