第4話⑥ 障害はつきもの 

 ……ロミオ役。こいつが。


 理由はいちいち説明しないが、俺の表情筋は自然と硬直する。ついさっきまで身体中を覆っていた熱が、気化したかのように急激に冷えていくのを感じる。

 

 桐生が言っていた通り、校内でも選りすぐりのイケメン殿がその座を射止めたらしい。


「……えっと、それは思い出したんだけど、名前、何て言ったっけ?」

 

 真岡はなぜかチラリと俺に目線を軽く投げてから、そう問いかける。

 彼女としては全く悪気がなさそうな、それでいて男としては結構なダメージが不可避なその問い。茶髪のイケメンは一瞬目を丸くし、やがて微苦笑を浮かべた。


「ホント、真岡さんって辛辣だな。4組の木戸だよ。木戸勝利かつとし


 知らん。別に俺は聞いてないし。イケメンは敵だし。リア充は憎いし。そんな陽キャの名前を覚えていない真岡さん、GJ! さすが我が道行く女は一味違うぜ!


 とか言ってみたい衝動に駆られたが、チキンな俺がそんなことを言えるわけもなく(つーか普通に失礼だし僻み丸出しだし)。

 俺は単に知っている事実を口にする。そう、実は俺もこいつに見覚えがある。


「確かこの間、サッカー部のエースで県代表とかに選ばれて、全校朝会で表彰されてたよな?」


 同じくバスケで代表に選出された恭也と一緒に壇上に立っていたことを、脳内のメモリから引っ張り出した。


「ああ、それはたまたまだよ。うちのサッカー部は別に強豪でも何でもないしな。喜多みたいに本当に実力があって選ばれた奴とは違うって」


 そのイケメン……木戸は、優れているが故の嫌味な謙遜……というわけではなさそうで、本心からそう思っているかのように至極淡々とした口調で言った。

 というか、恭也ってやっぱりバスケ上手いんだな。


「えー!? 勝利、サッカーめっちゃ上手いよ! この前の第一高との試合でもハットトリック? 決めてたじゃん! カッコよかったー!」

「ま、3対7とか野球みたいなスコアで惨敗だったけどな」


 これでもかというくらいわかりやすく好意を示すギャルに対し、木戸は苦み成分多めな笑みで返した。


「まあそんな中途半端な部活だから、サッカー部員は活動に支障が出ない範囲で杜和祭も自由参加。とはいっても、通常練習はあるから演劇の時間はなかなか取れなかったんだけどな」

「……だからか」


 俺がたまにエリスの練習を覗きに行っても、ロミオ役の奴は練習が忙しいから後から合流することが多いとかで、主演の木戸を俺が見かけることはなかった。

 真岡は脚本の監修みたいなことを西條先輩にやらされていたから、そこで顔を知ったってことか。


「それで今回、幸運なことに“あのエリス・ランフォード”の相手なんて大役を仰せつかったわけだ。……な?」

 

 そこで初めて、木戸は明らかに挑発的な視線を俺に向けてきた。


「おまえが柏崎だよな? 7組の」

「……何で、俺みたいな影薄い奴のこと、あんたみたいな校内の有名人が知ってんだよ」

「そりゃ“彼女”の話によく出てくるし。日本に来て最初に知り合った庄本高生で、すごく自分に良くしてくれてるってさ」

「…………」


 俺が沈黙は金という回答を選択していると、


「でも、ま、安心したよ」

「……何?」

「その柏崎は、真岡さんと相当仲がいいみたいだしな。彼女とはあくまで友達……

 ってことでいいんだよな?」

「……!」


 木戸は追い打ちをかけるように言い放った。


 その時、俺がどんな顔をしていたかはわからない。

 だが、俺の表情を一瞥した真岡が、どういうわけか慌てて割り込んできた。


「……ちょ、ちょっと待てよ。勝手に決めつけんな。あたしと柏崎はそういうんじゃない」

「へえ? さっきの雰囲気、どう見ても『ただの友達』って感じには見えなかったけどな?」

「……っ」

 

 しかし、木戸にノータイムで反論され、真岡もまたすぐに押し黙ってしまう。彼女の頬から首筋まで、見事なまでに真っ赤に染まっていた。


「まあ、他人の色恋沙汰に首を突っ込むような趣味はないよ。ただ、もしこういうことだって言うなら、俺にも多少なりともチャンスが巡ってきたかなって思っただけさ」


 木戸はわざとらしく肩をすくめ、はっきりそう宣言した。


「「…………」」


 俺と木戸の視線が交錯する。ハイカーストの連中に侮られたり、見下されたりすることはこれまでに何度もあったが、こうした明確な敵意を向けられた記憶はない。

 

 正直、その陽キャ特有の強烈な圧にめちゃくちゃ怯みそうになったが、どうにか足を踏ん張って睨み返す。

 今の俺にそんな資格があるかは知らない。だが、引きたくなかった。引けなかった。それだけはしたくなかった。

 エリスが他の野郎となんて――――。


 そんな睨み合いが数秒ほど続く。すると、


「……勝利、もういいじゃん。行こ」


 ずっと黙り込んでいたギャルが木戸の腕を掴むと、俯き加減のまま強く引っ張って歩き出す。表情は見えなかった。ただ、その握る手が震えているのだけが目に入った。

 木戸ももう何も言うことはなく、次第に廊下の奥の暗がりに消えていく。

 ……敵愾心に満ちた眼差しはそのままに。



 ×××



「……あの噂、本当だったみたいだな」


 長い、本当に長い沈黙と静寂の後。真岡がぽつりと言った。


「……噂?」

「あの木戸って野郎、エリスを狙ってるんじゃないかって、演劇のメンバーの中じゃ噂になってたんだよ。西條先輩は眉をひそめてたけど」

「……そっか」


 俺のかすかなつぶやきをどう捉えたのか。真岡はフッと表情を緩め、


「せいぜい頑張れよ。“柏崎”」

「……真岡?」

「ここに来て邪魔者のご登場とか。ホント、最近のおまえの周り、ベタな展開が続くよな。観察しがいがある」

「え? いや、でも……」

「……なっ?」


 下手くそなウィンクをしてみせた。

 さっきのことは……いや、今日のことは全部忘れろ。そう言われている気がした。



「ま、お邪魔虫はどっちかって話だけどな……」

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