第2話⑦ 解けた雪はまた凍る?
そんな微妙に痛々しく、生っぽい会話を繰り広げながら待つこと15分ほど。ようやく俺たちの番となり、執事喫茶と姿を変えた家庭科室へと足を踏み入れる。
「お帰りなさいませ、お嬢さ……」
すると、燕尾服に身を包み、銀色のトレイを手にした長身の男子生徒がこちらに振り返り、丁寧にお辞儀を……、
「げ、おまえら……」
しなかった。
その俺たちの幼なじみ、喜多恭弥は客が誰かを理解するなり、その端正な顔を「うへー」と歪める。
「…………」
この三点リーダー×4は俺のものである。
「……何だその微妙な顔は。笑いたいなら笑えよ」
いや、そのつもりで来たんだけどさあ。
「思い切りそうしてやろうと思ったけど、サマになりすぎてて逆にムカつくわ。それから、客にいきなりその態度はダメだぞ。たとえ見知った相手でもな」
「……第一声がそれかよ。てか、おまえ変なとこでプロ意識高いよな……」
恭弥は額に手を当て、大仰にため息をついた。その脱力した仕草でさえ、こいつがやると憂いを秘めた色男、って感じで絵になってしまう。
スラっとした細身の体に、ややウェーブがかった黒髪。そのスタイルとルックスに、ピシッとした燕尾服はより映える。シンプルな赤の蝶ネクタイのアクセントも相まって、本当に女主人に仕える若執事、って感じだ。
「確かに、びっくりするくらい似合ってるわね……。ちょっと写メ撮ってもいい? お姉ちゃんに送ってあげるわよ?」
珍しくはしゃいだ様子でスマホを構える桐生。やはりイケメン滅ぶべし……。
「い、いや待ってくれ千秋! それはまだ心の準備が……」
そしてまた、テンパりながら顔赤くするという貴重なリアクションを見せる我らがバスケ部のエース。こいつの女子ファンたちが見たら、卒倒もののボロ出しである。
まあ、美夏さんに憧れること自体はわからなくもないが……。
その恭弥のあたふたした姿を見た桐生は、不満を隠そうともせず口を尖らせた。
「何よ、ホント顔のわりに意外にヘタレなんだから。そのあたりは悠君といい勝負ね」
「顔は関係ねえだろ!? あと本人の前だとグレードダウンかよ!? 相変わらずめんどくせえ!」
「……ドサマギで俺までディスらないでくれる?」
てかグレードダウンって何?
「つ、つーか何で悠斗と千秋が二人で来てんだよ! ……はっ!? ま、まさか、おまえらデー……」
「そんなわけないでしょ。これが目に入らないのかしら?」
食い気味に否定し、印籠みたいに『STAFF』の腕章を見せつける桐生。何となく、どこぞの世界を大いに盛り上げる団長を思わせるポーズだった。キャラはまったく違うが。
俺もそれに倣い、団員その1っぽく、やれやれと肩をすくめてみせる。
「……まあそういうこった。スタッフとして出し物の巡回だよ。ちょうど昼前だし、ついでに一服もさせてもらえたらと思ってさ」
恭弥は「何だ、そういうことかよ……」と納得したらしく、俺たちをテーブル席へとしぶしぶ案内する。そして桐生がテーブル席に着くのを確認するなり、俺にこっそり小声で耳打ちしてきた。
「司から聞いてたけど……マジで千秋と和解したんだな」
「和解って、別に俺は裁判をしてたつもりはないんだけどな」
ただ、ひとまずの判決は出たような気がする。彼女の俺に対する呼び名が戻った、あの日に。
「おまえはそうかもしんねえけどよ……俺らからすれば結構びっくりだぜ」
恭弥はそう言うと、ちらりと桐生を見やる。俺もつられてそちらに視線を向けると、彼女はやけに楽しそうにメニューを眺めていた。チーズケーキとチョコタルト、どっちにしようかしら、なんて独り言が聞こえてくる。
「……まあ、そう見えるとしたら、きっとエリスのおかげだろうな」
エリスが桐生家の親戚と判明したあの日から、目に見えて彼女たちは仲良くなった。そして俺と桐生もエリスを間に挟んでやりとりをしているうちに、次第に直接会話することも増えていった。雪解け、とまでは言い難いが、降り続いていた雪は止んだ、といったところだろうか。
桐生のことだけじゃない。エリスがやってきてから、俺の周りのあらゆるものの歯車が音を立てて動き始めたような気がする。陰キャな俺の世界観なんて、ゼンマイの切れた人形みたいに無機質なもののはずだったのに。
恭弥はそんな俺の心境を読み切ったとでも言いたげに、その甘いマスクに似合わないドヤ顔をしてみせた。
「ほーん、やっぱりそうなんだな。ま、知ってたけどな」
「そのわかってるぜ的な表情やめろ。うざい」
と、言い返してはみたものの、その反撃にはどこか力強さに欠けていることを自覚していた。隙ありとばかりに、恭弥は囃し立ててくる。
「で、その大事なエリスとは一緒に回ったりしないのかよ? あ、まさかこの後約束してるとかか? 悠斗のくせにやるじゃねえか」
「だからなあ……」
大事な、とか余計な形容詞をつけるんじゃない。恥ずかしい。
……というより、そもそも俺なんかがエリスを大事に想う資格があるとは思えない。
「違うわよ」
そして、今度は俺が文句を差し込む暇がなかった。
桐生がメニューに目に落としたまま、淡々と否定したからである。
「あ?」
恭弥がアホみたいな声を上げる。ってか、さっきの会話聞き耳立ててたのかよ。
桐生は続けた。さっきまでの楽しげな様子はどこに攫われたんだ、ってくらい、能面のような表情と声で。
「悠君はね、これからエリスじゃない、違う子との約束があるのよ」
「……え? 何だって?」
まるでラノベの難聴主人公のような台詞を吐く恭弥。
「悠君? そうよね?」
しかし、今責められているのは、もちろんこの王子系イケメン様ではない。
「ね?」
桐生はどこまでも優しく、それでいて凍てつくように冷え冷えとした笑顔で微笑んだ。
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