第2話② 思いやりとズルさは紙一重

 そして、二カ月近くの準備を経てついに迎えた7月4日。杜和祭当日の一日目。

 俺は普段よりも30分以上も早く家を出る。生徒会や準備委員が集まる当日の早朝ミーティングがあるためだ。


 いつもよりもまだ低い日差しに目を細めながらアパートの正門をくぐると、もうすっかり見慣れたと言っていい、金色の髪を携えた少女が半袖のブラウス姿で立っていた。気温が高くなってきたためか、トレードマークのベレー帽を今日は被っていない。だから、その太陽より輝かしいブロンドがより映えて見える。


 とはいえ、今日は。


「エリス? どうしたんだ? 今日は俺が朝早いから、別々に登校するって話だったよな?」

「あ、悠斗。おっはよー! 実はわたしも本番前に最後の朝練があるんだ。だから今日もいっしょに行こう?」

「あ、ああ。そういうことだったのか」


 俺とエリスは、学校に向けて並んで歩き出す。

 だが、今日の俺はやけに緊張していた。いや、エリスと二人で歩くのは、いまだに落ち着かないんだけど。

 

(昨日真岡はああ言ってたけど、どうなったんだ……?)


 結局、あの後真岡から連絡はなかった。

 何とかエリスの表情や態度から状況を推測できないかと彼女を観察してみるが、まったくもって判別不能だ。完全にいつもの明るいテンションである。まあそもそも、俺に女子の微細な変化を感じ取れるような気の利いたスキルはないわけだが。

 それにしても暑いな、今日は。本格的に夏到来ってとこか。


「悠斗」

「ん?」

「明日、楽しみだね」


 俺がバッグからペットボトルを取り出そうすると、いつもの天からの御遣いのような微笑みが向けられた。否が応でも視線を奪われてしまう。


「あ、ああ、そうだな。エリスの演劇、すごく楽しみだ」


 俺がキョドりながらやっとのことでそう答えると、エリスは秘密めかすように、その瑞々しい指を口に当てた。


「それももちろんそうなんだけど、その後の約束も……ね?」

「お、おう……」

 

 心音が1オクターブくらい跳ね上がる。

 俺は早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、お茶を一口含んだ。


「でもその前に、今日”葵とも”デートするんでしょ?」


「ぶっ!」


 しかし、俺の体内にカテキンとカフェインが行き渡ることはなく、悪役プロレスラーのごとき毒霧ブレスをかましてしまった。


「ごほっ、ごほっ……!」


 やべ、気管支にダイレクトにお茶がっ……!。


「だ、だいじょうぶ!? 悠斗!?」


 盛大に咳き込む俺だった。

 べ、別に動揺なんかしてないんだからねっ!



 ×××



「ごめんね、悠斗。そんなにびっくりするとは思わなくて」


 どうにか立ち直った俺に、エリスは申し訳なさそうに俺の顔を覗き込んでくる。俺は慌てて顔を逸らした。


「あ、いや、それは別に……。てか俺のほうこそ、何か……悪い」


 俺のよくない悪癖が顔を出して、はっきりしない物言いになってしまった。だが、ここで俺が謝るということは、エリスが俺と真岡の約束に対して不快になるかもしれない、という前提があることになる。それは自意識過剰というか、うん、とにかく何かアレだ。


 こんな曖昧な言い方じゃエリスには伝わらないだろうと思ったが、彼女もだんだんと日本の(というより俺の、か?)やり方に慣れつつあるのか、理解が及んだようで首を左右に振った。


「ううん、別に悠斗は悪くないよ。それは…‥わたしも同じだったもん」

「え?」

「わたしも、葵に……千秋にもだけど、言えなかったの。明日の悠斗との約束のこと。なんか……ズルズルきちゃって。葵が言い出してくれなかったら、きっと二人に黙ったままでいたと思うんだ」

「エリス……」

「いつも悠斗たちに、『大事なことはちゃんと言葉にして』って、えらそうに言ってるのに。ずるいよね、わたし」


 エリスの声が明らかに沈んだものになった。

 彼女は常に正しく在りたいと思っているから、こういう卑怯な(そんな酷いことだとはまったく思わないが)自らの行動に傷ついてしまうのだろう。優しい女の子だ。


 だから、俺はエリスを肯定する。してやる。


 ただ、彼女がなぜ『言えなかったのか』という理由には思考を割かないようにして、だけど。


「別にいいだろ。そのくらい」

「えっ?」


 彼女は呆気にとられたように目をぱちくりさせた。


「エリスが普段俺たちに言ってるのは、『伝えたいことがあるなら、誤魔化さないではっきり言葉にしてくれ』ってことじゃないか。言いたくないことまで言えとか、相手がどう感じようがとにかく自分の主張をしろって意味じゃないだろ?」

「それは、そうだけど……」

「だったら問題ないよ。今回はただ、エリスが『話さないほうがいい』って判断しただけなんだから。それを無理に口に出す必要はないさ」

「そう、なのかな……」

「真岡たちに言わなかったのも、あいつらがどう思うかを考えた結果なんだろ? 相手を傷つけないために言葉を飲み込むのは、絶対に悪いことじゃない」

「悠斗……」 


 言うべきことを言わずにすれ違うこともあれば、言わなくてもいいことを言って争いになることもある。

 俺たち日本人は、日頃は前者を選択しがちなのに、肝心な時には後者に無頓着なことも少なくない。

 たぶんそれは、相手を思いやる気持ちより、自分が傷つかないように身を守ることを優先して言葉を選ぶから。

 でも、エリスはそうじゃない。彼女はそんな人間じゃない。


「ありがとね、悠斗」


 俺がそうやって自分の考えをできる限り丁寧に説明すると、エリスはようやく笑った顔を見せてくれた。


「琴音は、悠斗は女の子にダメダメって言ってたけど、そんなことないよね」

「……そうか? 腹は立つが、そればかりは当たってると思うんだが」

「ううん、違うよ。というか悠斗って、むしろ女の子をダメにしちゃうタイプの男の子だよね」

「へ? 何その評価? それおかしくない?」


 悪い女に騙される男とか、クズ男と縁を切れない女とかはよく聞くが(※主にフィクションで。リアルに遭遇したことはない)、女子をダメにするってどういうこと? 逆ならまだわかるけど。ましてや俺は、他人に尽くすような性格でもないのに。


 まったくもって的外れな意見では、と俺が首を傾げていると、エリスは「おかしくないよ」とつぶやいた。


「……わたし、悠斗にどんどん甘えたくなっちゃってるもん。……ただズルいだけ、なのに」

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