ぼくはいらない

米田淳一

ぼくはいらない


 ぼくは印旛日本医大駅で、電車を待っていた。


 だれもいない、柔らかな風の吹き抜けるホーム。そりゃそうだ、新型コロナウイルスの拡散ででた非常事態宣言はまだこの千葉でも、ぼくの住んでいた神奈川でも解除されていなかった。

 素晴らしい、絵に書いたような五月晴れだった。

 そして、青2灯の高速進行を示す信号が、ホームから離れた下り本線で点灯した。


 ぼくが子供の頃、父も母もいろいろなところに連れて行ってくれた。図書館、博物館、科学館。

 それらは幼かったぼくの好奇心をとてもよく刺激してくれた。

 そしてぼくは小学校の自由研究でいろいろなものを作った。

 親にも、先生にも、校長先生にもほめられた。そして思った。

 自分は、なにかになれるんじゃないな、と。

 鉄道車両デザイナーにも、ゲームデザイナーにもなりたかった。

 でも、中学校でいじめにあった。それから逃げるために偏差値上げて高校に行った。あっさり上がった偏差値でぼくは目測を誤り、大学受験は失敗した。

 デザイナーになる夢はすべて吹っ飛んだ。

 その失敗後の浪人生活で、本を書いた。空想が大好きだったので書くのはなにも苦ではなかった。そして運良くそれが書籍として販売されることになった。

 がんばろうとおもった。これが自分の仕事なんだと。

 でも、それは編集さんがぼくにたいしてゲラに書いた罵詈雑言がひどく、それを押し戻そうにもぼくはその時あまりにも世間知らずで、そのくせやっかみで足を引っ張るものも多かった。結局それをやめるしかなかった。

 そこで親の安心にもなる役所の臨時職員になった。時間数の少ない最低時給の職場だったけど、空いた時間でいろんなものに挑戦した。3Dモデリング、3Dプリント、プログラミング、CAD、3DCG。でもどれも、結局ものにはなならなかった。

 その職場で多くの老人を助けた。パソコンを教えてくれといわれ、快く教えた。そういう人々の役に立てることが嬉しかった。報酬はほぼなかったけど、人の役にたてるのが嬉しかった。

 でも、老人たちは先につぎつぎと鬼籍に入った。彼らは報酬もほとんどわたさずに先にいなくなった。その遺族も冷淡で、お礼すらもなかった。

 老人たちには、たまに報酬をもらえるとしても「おれ年金生活だからさ」と値切られるのは普通だった。それどころか払わないことも多かった。それでも「ありがとう」の声が嬉しかった。

 その結果、気が付けば40代になっていた。結婚を一時したけどもそんな状態で結婚が維持できるわけがなかった。嫁をぼくの人生にこれ以上まきこめないと思って、離婚した。

 同じ年の友人は『竹中平蔵がー』『小泉改革がー』とぼくの境遇の原因をいろいろいった。そういう彼らに頼まれるものもまた無報酬かひどく安かった。「材料費だけで」「お友達価格で」などと値切られた。なんだそれ、と思えないほど、ぼくはお人好しだった。

 そんなぼくみたいな40代の危機をみつけたのはAIだった。テレビ局のAIは『これはやばい』と計算していたが、役所はそれにピンときていなかった。こんな不安定雇用では結婚も子供も無理、それが少子高齢化に拍車をかけるのだが、役所の正職員は気づかなかった。自分たちは何も困らないのだからそうだったのだ。上から見れば一人暮らしして生活できてるんだから、なんの問題もない、と見ていたのだろう。

 福祉制度も所管の組織も、ぼくが困っていた状況をまったく理解していなかったし、理解しようともしなかった。


 あいかわらず老人たちはろくに払わず死んでいく。友人はテキトーなこといいながらぼくにあれやれこれやれといって、その上自分の稼ぎの自慢しかしない。せいぜいやったところで「ありがとう」はいっても、金はほとんど払わない。

 人のために役立ちたい、と思ったぼくの結果がこれだった。


「ありがとう」だけでごはん食べられますか? 

「ありがとう」だけで結婚や子育てができますか? 

「ありがとう」だけで未来にいけますか?

 あたりまえのことだった。

 でもいつのまにかその「ありがとう」すらもケチる世の中なので、ぼくはどうにもならなくなっていた。


 そうしているうちに、ぼくを中学でいじめていた悪ガキ同級生がその田舎町の議員になったりした。そんなものだったのだ。

 同い年の先生からは人生設計が、マーケティングが、キャリア設計がと説教された。はあ、そうですね、とぼくは聞いていたが、それ今言われても、とも思っていた。

 同い年でぼくよりあとに商業書籍デビューした先生の作品も読んだ。ぼくの本を読む読者なんかいるわけないのがよくわかった。ぼくの本のアイディアで色んな本が出て、アニメにもゲームにもなった。でも本のアイディアに著作権はないのだ。ぼくは自分のなにもかもが、そういうものの下位互換であることを思い知らされた。

 何をぼくが書こうとも、ぼくよりもっとうまく書く人間がかならずいるのだ。

 だから、ぼくは何を書いてもまったく無駄なのだ。

 ぼくが書く意味など、皆無なのだ。


 そこでようやく自分のために、せめてバイトを増やそうとした。

 増やしたバイトは少し時給が良い夜勤だった。

 でもそれはあっさりAIに取って代わられることがきまり、ぼくはクビになった。

 時給のいいバイトなんか、そりゃAIに取り替えたほうが経営にはいいよね。

 しかたがない。これも自己責任なんだから。


 でも、ぼくのどこがまちがってたんだろう。

 まあ、そもそもうまれたことそのものがまちがってたんだろうな。


 ぼくは、いらなかったんだろうな。


 コロナウイルスの自粛のなかで、ぼくは自粛しているうちにマスクももう使い果たした。

 マスクを買おうにも、役所はコロナウイルスのせいであっさり不要不急ということで職場を閉鎖し、ぼくを無給に突き落としていた。

 しかも支払いに追われているのに、夜勤はじめたので給料増えたよね? と役所からの給付金は対象外ということだった。


 食料品を買いに行くと、人々からの冷たい視線。

 でももうマスクも買えない。国が配るというマスクも届かない。でも税金の請求だけはきっちり先に届く。

 そうだよな。

 ぼくはそこで自己責任を取ることにした。


 素晴らしい五月晴れ。ぼくは前から決めていた印旛日本医大駅に向かった。

 ぼくがホームから飛び込む寸前、通過する列車を見に来ていた子供が見えた。

 あ、とおもった。

 ぼくも、ああいう目をしていたんだな。

 その次の瞬間、ぼくは急減速中のスカイライナーのノーズに突かれ、その床下に噛み込まれ、床下機器カバーと線路の砕石で噛み砕かれ粉々に引きちぎられた。


 そのぼくの破片を駅員と運転士と救急隊が回収し、運び出すときだった。

 野次馬の中から声が聞こえた。

「鉄道で自殺すんなよ。迷惑だから」


 ぼくは、この世界が本当に素晴らしいものだってことを改めて確信した。


 うん、だからぼくは、そもそもいるべきではなかった。

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ぼくはいらない 米田淳一 @yoneden

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