7 「何をむくれておるのだ」

 引っ越し作業は滞りなく進み、残すは家具を配置しがてら六畳ほどの各部屋を割り振るだけとなった。


「何故前より狭くなっているのだ……!」

「そんなもんだ。プライベート空間があるだけマシに思え」


 どうせ一番いい間取りを所望するだろうと、バルコニーに面した、日当たりも良好な部屋を与えてやったのにこれである。


「まったく余を誰だと……」


 もはや魔王の所有物と成り果てた座椅子に腰掛けるシオンは、ブツブツと不満を露わにする。

 一方セバスチャンは淡々と荷物の運搬を行っていた。リビングで大きく膨らんでいたキールのに入って行っては、その手に家具を抱えて出てくる。

 自分の手荷物くらいはスーツケースに突っ込んで運んで来ていたのだが、寝具や食器等は全てその中に仕舞って貰っていた。頼んだ手前で言うのも何だけど、なんとも妙ちくりんな光景だった。


「いっそのことその壁を取り壊してやろうか」

「入居初日から退去させられそうな物言いはやめれ」


 一向に手伝おうとする素振りすら見せない上に未だ不満を垂れるシオン。そこに横槍を入れる俺はセバスチャンが持ってきた荷物を整理しながら、シオンの持ち物を当人の目の前に並べていく。


「いらん事考えてないで自分の荷物くらい自分で運べ」

「その程度の事も出来んのか。これだから人間は」

「へぇ。じゃあこのゲーム機は俺の部屋に持って行くが良いよな?」

「まぁ待て余がやろう。ちょうど、昼飯前の運動をしたかった所だ」


 日曜の午前九時頃から始まった引っ越し作業は、およそ四時間程度で終わりを見せた。

 誰かさんが足を引っ張らなければ、一時間は早く済んだのにな。あとでセバスチャンとキールに、お礼でも言っておこうか。


******


 少し遅めの昼食は出前で済ます事にする。

 新しいリビングはやはり広く、この日の為に新調していたテーブルに椅子を三脚で囲んでも悠々としたスペースがあった。そこで俺を含めた三人と一は、各々の箸を進めている。

 当初より意外だったのが、キールも普通に食を取るという事だった。そう。普通に。


「ピザうめー!」


 身体をテーブル上へ直に置き、短い両手を忙しなく動かして切り分けたピザを口に次々と放り込んでいくキール。口元はケチャップにまみれて汚らしいが、元々の見た目と少年染みた溌剌はつらつな声質も相まって、どこか微笑ましく思える。


「飯時くらい静かにせんか戯け。せっかくの味が落ちるではないか」

「お前それ味わって食ってる勢いじゃねえだろ」


 シオンはシオンでいつも通り。そんな健啖家の前には大盛りの天ぷら蕎麦が入っていたはずの容器が、既に三つほど重なっている。


「やらんぞ」

「いらねえよ」


 言いながら四杯目の海老天を咀嚼する魔王を他所に、俺は未だ冷めてもいないチャーシューメンを味わっていく。


「しかしこの世界の食文化には、感嘆とするばかりですな。

 いずれも、似たような料理は私どもの世界もありますが、こちらはそもそも素材一つにおいて、その質が段違いにございます。非常に興味深い」


 食材に舌鼓を打ちつつ、飲み込む度に頷きながら味わっているのはセバスチャン。彼が味わっているのは、一枚の皿に小さなエビフライやハンバーグ、オムライス等が乗せられたお子様プレートである。しかしながらその食べ方は上品としか言いようがない。


「そっちの食生活についちゃ知りようが無いけど、だとしたら水の問題じゃね?」

「確かに。こちらの世界のような澄んだ水は、恐らく私どもの世界には無いでしょう。

 水一つで素材の味がこうも変わるとは、一村様が暮らすこの世界は恵まれておりますな」

「たまたまこっちの世界に生まれたってだけだ。あんたらの世界に生まれりゃきっと、それすら気付かずにのうのうと生きてたさ」


 正面切って感慨深く言われてしまい、妙な恥ずかしさを感じてしまったので誤魔化すようにチャーシューを頬張った。向こうの連中は本当、思った事をそのまま口にしてくるから反応に困る。


「まぁその場合、貴様はこうして余にまみえる至極すら叶わぬまま、その辺のスライムに溶かされているのがオチであろうな」

「うーんさすがにそれは否定出来ないが」


 何の因果か別世界の魔王と同棲なんぞしていても、所詮俺はただの人間だ。何の力も無けりゃ、草野球で磨いたバット捌きが敵う相手は、弱肉強食なRPGの世界じゃ居るはずがないだろう。


「でもあれだろ、ここ近年で異世界に転生した奴が無双する小説とか、結構流行ってんだぜ。ひょっとしたら俺も何かに覚醒しめざめたり」

「そんな都合の良い事がある訳なかろうに。現実を知れ」

「お前に言われると腹立つな」


 ゲームの世界から迷い込んできたような奴が何を言う。


「くく。まぁ、そんな貴様でも米一粒程度、何かしらの素質くらいはあろう」

「そりゃ俺だって一つくらいはあるだろ。例えば魔王だなんて大層な立場のお前に文句を垂れる程度の物とか」

「ぐぬ、屁理屈だけでは余の世界で生き延びられんぞ」

「屁理屈だって時に立派な論法なんだよなぁ。それで俺がお前に負けた事あったか?」

「ぐぬぬ」


 それ見たことか、負けた腹いせに食べる速度が上がりやがった。四杯目の汁すらも全部飲み干したシオンは空いた容器を投げやり気味に重ねたか思えば、間近にあったピザを一切れ奪い取った。


「ギャー! あたしのピザがー!」

ひゃはまひぃやかましいひひゃまほ貴様も……、使い魔なら呑気に食っとらんで余に昼餉を献上せい」

「八つ当たりすんな」


 何とも、器の小さな魔王である。


「あたしのピサが……」


 ロックオンされてしまったピザの残りが続々とシオンの口へ流れていくのを静観していたセバスチャンは、その様と目下にあるプレートを視線だけで泳がせた後、やがてそれを主の元へ滑らせた。


「よろしければ」

「うむ」

「甘やかすな取るな食うなせめて味わって食べれぃ」


 セバスチャンの好意を当然と言わんばかりに受け取るシオンに、本日十何回目の無駄な突っ込みを入れながら、ついぞ冷め始めたチャーシューメンはせめて奪われまいと箸を進めたのだった。


「あたしのピザぁ……」


 見るからに落ち込んだ様子のキールには、こっそりおやつでもあげてやろう。


******


 部屋の割り振りとしてはシオンがバルコニー側、俺がアパートの通路側、それを挟んでセバスチャンとキールの部屋という形に落ち着いた。

 どの道仕事で遅くなったりする場合もあるので、個人的にもリビングを通らず、玄関入って直ぐ自分の居場所に戻れる方が都合が良い。

 この配置が思いの外ストレスフリーで、そもそも家事全般や魔王の暇つぶしを賄ってくれるのがセバスチャンな現状、こちらは飯付きの社寮にでも住んでいるかのような気分であった。


 そんな新生活が始まってから数日後、しようもない事件が起こる。


「──は?」

「おぉ、帰っておったのか」


 仕事から帰ってリビングに向かうと、そこには先日と打って変わってしまった空間が広がっていた。

 シオンに加えセバスチャンやキールの部屋と、リビングを仕切っていたはずの壁が綺麗さっぱり無くなっていたのである。


「おまっ、これ、どういう」

「いやなに、やはり部屋が狭く感じてな。どうだ、これぞ一国の主に相応しき広さであろう」


 座椅子にふんぞり返ったまま、シオンは困惑する俺に向けてそんな言葉を吐いてきた。

 見渡せばおよそ三十畳ほどへと成り果てた空間が、シオンの趣向に沿って魔改造されていた。リビング側の配置はほぼ変わりないが、セバスチャン側の部屋の壁までをも撤去された事により、ちょっとした客室のような空間と化している。


「えぇ……どうなってんの」


 確かにあったはずの壁際には加工した形跡すら無く、見ようによっては初めからそういう造りであったかのような錯覚すら起きる。


「……一応弁明を聞いといてやるが、まじで、どうしてこうなった?」

「何をむくれておるのだ」

「そりゃお前、数日前に止めろと言ったのに、それすら忘れて実行にまで移した鳥頭に対してだろ」

「仕方なかろう。そこに壁があったのが悪い」


 イマイチ要領の得ない返事を送るシオンから視線をセバスチャン達へと向けると、一目でそれを察知した彼らが代わって事情を説明してきた。

 俺が出勤した後に起きたシオンが、寝ぼけ眼でリビングに足を向けたら壁に衝突してしまい、何の拍子かそのまま壁を突き破ってしまった、と。

 余りにも下らない理由に俺は自然と頭を抱え、大きくため息をつく。


「……お前はアレか。戦車か何かか」

「あんな玩具になぞ余が負けるとでも?」

「いちいち張り合うな。てかそういう話じゃねぇ」


 その際、「あぁ、ついにやらかしてしまった」とキールは言い、セバスチャンは内心どうしたものかと考えあぐねていれば、顔を洗ってようやく覚醒したシオンは、自らがぶち抜いた壁を眺めると、その場で閃いたように手を叩いた。


『……ふむ。事にしてやろう』


 そうして、魔王による衝動的かつ突発的リフォームが強行されたそうな。


「あたしは一応止めたんだけどなー。ほら、魔王様ってばと決めたら基本的に止まらんしー?」

「一介の執事でしかない私には、恐れ多くも進言する立場にありませんゆえ」

「五月蝿い奴もおらんかったしな。作業も捗ったぞ」

「誰見て言ってんだてめぇ」


 まさかここまで我慢の出来ない奴だったとは。はたまた自らに肯定的な臣下が増えたことにより、元の傲慢さに磨きが掛かったとでも言うべきか。

 しかしどうしたものか。万が一にも大家や隣人にこの件が知れたら弁償騒ぎでは済まされん。


「ほざけ。本来この敷地全てが魔王である余の物であっても可怪しくないのだぞ」

「可怪しいわバカタレ。いい加減こっちの世界の常識で物事を図りやがれ箱入り娘」


 弁明するどころかそれが当たり前だと言わんばかりの姿勢に、さしもの俺もいよいよ堪忍袋の緒が切れた。


「はこっ!? 貴様」

「うっせぇ黙って聞け」


 シオンの言い分を問答無用で差し押さえ、腕を組んで鼻息を荒くする。その勢いに圧されたか口元をへの字に噤むシオンへ更に畳み掛ける。


「だいたいお前、こないだ自分で家主の貴様がどうのこうのと言ってただろうが。

 なのにも関わらず、その家主を差し置いて室内を勝手に改造するとはどういう了見だ?」


 いかん。普段からの不満もあってか、なんか言い始めたら止まらん。


「立場を利用して自分本位に暴れるのも大概にしろよ。実際やってる事は子供の我侭程度の事でしかないんだぞ。分かってんのか? いや分かんねぇよな?

 だって今までこうして、お前の悪戯を叱りつける大人が居なかったんだもんな」


 見ればシオンの口元はわなわなと震えており、その瞳はうっすらと紅色に変化しつつあった。やべぇ怒ってる。これは正直、後が怖い。

 しかし勢い付いてしまった俺の口は、そんな後悔より先に動いていく。


「そりゃそうだ。生まれてたった三ヶ月、まして絶対的な力を持って出たお前に歯向かえる奴なんぞ居なかったんだろうさ。そんな温室で育ってきた奴が物事の良し悪しなんて分かるはずがねぇよな。

 だから俺が、そんなだらしない大人共に代わって説教してやってんだこの箱入り娘。

 これはお前が魔王である以前に、一人の人格者として備え持たなきゃいけない、ごく当たり前な教養なんだよ」


 そこまで捲し立て、単なる一般人による魔王への説教を終える。

 ……自分でやった事ながら、この静まり返った空気が非常に気まずい。


「ちょ、ちょいちょーい! はいストップ! そこまで!」


 そんな中俺とシオンの合間に入り込んだキールは、やや空回った元気の良さでもって主人のご機嫌を取ろうとする。セバスチャンはセバスチャンでニヤついた表情を浮かべていたものの、こちらの視線に気付くや直ぐに頬を正した。


「かーっ、ほんとまーこの野郎は怖いもん知らずで参っちまいますわな!

 あっほら、煎餅ありますぜ!? それともあ・た・し? って綿菓子じゃねーって言うとろーが!」

「やかましいわ」

「ぎゅぴっ」


 最後のくぐもった声は、キールが真正面からシオンに掴まれたせいである。


「……黙って聞いておれば、好き放題言いおって……」


 窓辺のサッシがガタガタ言い始めたのは、外で風が吹いているからだと信じたい。


「な、何か文句あんのかよ?」


 サッシに続いて室内の家具までも震え始めた異常現象に気圧されながらも、何とかシオンへ反論を試みる。


「文句……文句だと? 貴様、余がこの流れで指を咥えるだけで済むとでも?」

「……まぁ、無い。よなぁ──」


 ──突然だが綿菓子がその質量と、あり得ない速度を伴って与え得る威力をご存知だろうか。

 いやまぁ、キールはに見えるだけであって、ちゃんとその中身はあるんだなと、今回の剛速球で嫌でも思い知る羽目になったのだが。

 瞬きの間にシオンから放たれたキールが顔面に直撃し、その衝撃に視界と意識が明滅を起こす。激しく揺れ動く視線の片隅でシオンは何かを言っていて、俺に対する恨みつらみを言っているのは察しが付いた。

 ただ、セバスチャンはそれを見て笑みを溢していたのは、何となく納得がいかなかった。

 ……感じ取れたのは、そこまでの出来事だった。


******


 気が付けば、俺は自分の部屋で布団の上に横たわっていた。室内は暗く、徐々に覚醒する意識と共にひりつき始める顔面を優しく撫でる。

 あれからどれほど意識を失っていたのかと時計を見れば、日付はすでに変わっており、深夜二時を過ぎようとする頃合い。

 誰がここまで運んでくれたのかというのは十中八九、セバスチャンによってだろう。


「……ったく、無茶苦茶だなあのやろ……」


 布団から上半身を起こして一息入れると、顔を抑えた手の隙間から勝手に溜息が漏れてくる。

 あんなの、単なる駄々っ子でしかない。クソガキだと言っても過言じゃない。

 結局あいつは自分の事しか考えていないのだ。世代初の女魔王だと、蝶よ花よと数ヶ月育てられた結果がアレだ。この先あの調子で何年何十年と育ってしまったら、視界に入っただけで靴を舐めさせるのがデフォになるんじゃなかろうか。

 とはいえたった三ヶ月程度の生で、世間の一般常識を知れという方がそもそも無謀なのかもしれない。だとしても赤子じゃあるまい、意思の疎通が出来得る状態で生まれ出て来たのなら、もうちょっとこう、育て方に何かあるだろ。


「まさか、初の女性魔王だからって浮かれてんじゃねえだろうなあいつら……」

「それにつきましては弁解の余地もございませんな」

「うわっ!? 居たのお前!?」

「は。魔王様に仰せつかっておりましたゆえ」


 咄嗟に振り返ると枕元から少し離れた所に、セバスチャンが正座で待機をしていた。


「……心臓に悪いからせめて一声掛けてくれ」

「申し訳ございません。何やら独り言に集中なさっていたので、邪魔をしてはと」

「それはつまり考え事が口に出ていたという」

「はい。僭越ながら静聴しておりました」

「どっちかっていうとそれは盗聴って言わんかね」


 あいつ呼ばわりした当初ですら眉を寄せたセバスチャンを目前にして、冗談を交えながらも若干の焦燥感が浮き出てくる。

 執事であるセバスチャンの、魔王たるシオンへの心酔っぷりはこの数週間程度の共同生活で十二分に知れたつもりだった。どの辺から口走っていたかは知らんが、そんな彼にとってはかなり不都合な単語を呟いていたという事になる。

 

「……一村様」


 いつもと変わらない、渋みのあるトーンで放たれたセバスチャンの声掛けに思わず顔が引きつる。

 今回ばかりはさすがに怒られるか。数時間前の説教といい今の愚痴といい、過去数週間を含め俺がシオンに働いた出来事は、本来セバスチャンにとっては主に対する無礼でしかないないのだから。


「ありがとうございます」

「すみませんで……はい?」


 だからこそその一言には面食らい、予め用意していた謝罪の台詞が素っ頓狂な言葉尻に変化してしまった。


「いえ、我が主を拝見するのは、私どもの世界に居た時ではありませんでしたゆえ」


 暗がりの部屋ではセバスチャンの表情までは確認しづらく、その言葉がどこまで本心を含んでいるのか窺い知ることが出来ない。ただ、そう言うセバスチャンの穏やかな口調は、普段より少なからず上擦って聞こえた。


「楽しそうって……ありゃ、単に駄々をこねてるだけじゃないか?」

「ふふ。それは、駄々をこねられる相手が居てこその行動にございます」

「そんな屁理屈な」


 何も人の専売特許をそんな良い方向に使おうとしなくても。


「こちらでは、あの方は御自身と対等に話せる方がおりませんでした。

 それこそ立場という物がございます。絶対である主に楯突く不遜な輩は、須らく処罰しておりましたゆえ」

「つくづく生まれた世界が違って良かったなと思うわ」

「然様にございます」


 素朴な感想をあっさりと肯定し、セバスチャンは続けて答えた。


「だからこそ、私は相手が貴方で良かったと考えておるのです。

 不運にも異なる世界に訪れ、それでもこれまで何事も無く魔王様が健やかにお過ごし遊ばれるのは、間違いなく一村様、貴方の忌憚無き接し方があっての事でしょう」

「そりゃあ、買いかぶり過ぎってやつじゃ。

 仮に出会った先が俺でなくたってあいつの事だ。あの傲慢ちき……独尊な性格で、転移先の住人をこき扱ってただろうよ」


 セバスチャンに続き、苦笑しながら、その未だ見ぬ住人の苦労を目に浮かばせる。


「さてどうでしょうな。仮定の話をするならば今日こんにちに至るまで、その方が生き長らえているかどうかの賭けになりましょう」

「……あぁ。それなら多分、どっちかうっかり死んでそうだなぁ」

「そういう事です。無論私は、魔王様が生きている方へ賭けさせて頂きますが」


 アパートの外に出たら発症した謎の発作、食べることによって回復する魔力、何よりあの短気で我侭なお嬢様相手に、それぞれのフラグを一つでも折ること無く過ごしていかなければという、実に面倒極まりない難易度だ。途中セーブだなんて都合の良い理論は有りもしない。選択肢を間違えれば初手から喰われてお陀仏って可能性すらある。

 そう思うと、自分は結構な綱渡り生活を送ってきたんじゃなかろうかと、余計に肝が冷える。


「この問題に関しましては既に結果論でございます。

 現にこうして魔王様が生きておられる。更に向こうでは恐らく知る由もなかった、あの方の本来の素性を垣間見ることが出来た気がするのです。

 これを僥倖と言わずして何と例えましょう……再三申し上げている事ではありますが、それが、貴方で良かったと思う理由の最たる所以です」


 キールじゃないがこうも真正面から言われると、余りの小っ恥ずかしさから変な鳥肌が立ってしまう。


「……まぁそう言って貰えるなら、今まで面倒を見てきた甲斐があったって事だよなぁ」

「ええ。どうか、変わらず魔王様とお付き合い頂ければ幸甚にございます」


 頬を掻いて気恥ずかしいのを誤魔化すと、セバスチャンは深々と腰を折って頭頂を見せてきた。


「そうは言うが、さっきのでだいぶ機嫌損ねたんじゃないか? かなり怒ってたっぽいけど」

「それには心配に及びませぬ。最初に申し上げた通り、こうして今此処に私が居るのは、魔王様の命あっての事でありますれば」

「あんにゃろ、ほんと素直じゃねえな」

「ふふ。私にとっては日々あの御方の新しい側面を見れる、またとない機会にございます」

「……その達観じみた過保護っぷりはある意味尊敬するよ」


 俺だったら引っ叩いてでもあの性根を矯正しそうではある。


「ともあれ、一村様は本日もお勤めにございましょう。今しばらくお休みになられては如何でしょう」

「そうしたいのは山々なんだが、目が覚めちまってな」


 言われて思い出す、また数時間後には始まるであろうルーチンワークに頭を悩めると、セバスチャンは顎を撫でながら、こちらも思い付いたように口を開いた。


「で、あれば。僭越ながら私が束の間の夢を差し上げましょう」


 髭を撫でていた指先がうっすらと輝きを放ち始め、セバスチャンの表情が朧げに浮かび上がった。


「な、何するつもりだ?」

「なに。眠りに就く、少しばかりのお手伝いを」


 何時も通り穏やかな表情を浮かべていたセバスチャンは、そう言って光る指先をこちらに向けてきた。


「ま、魔法かっ!?」


 不可思議な現象を目前にして慄くこちらに構わず、セバスチャンはそれを近付けてくる。

 野郎、実は魔王への無礼に対してやっぱり怒ってんじゃないだろうな。どさくさに紛れて俺をこのまま永眠させるつもりか。


「待った! じゃあ、これだけ聞かせといてくれっ」


 慌てて引き止めに入った俺の言葉にセバスチャンの指先は文字通り、目と鼻の先でピタリと停滞する。


「はて。何でしょうか?」

「浮かれてた事について詳しく」


 話を引き延ばそうとしたものの、何を言わんとするか察した様子のセバスチャンは指先を伸ばし、そのまま両眉の間に触れてきた。


「お、おぉ……?」

「時間になりましたら、改めて起こしに参ります。良い夢を」


 途端に全身がふわりと浮遊するような違和感、加えて意識ごと持っていかれそうな多幸感が睡魔と共に、身体の内側から湧き出てくる。瞼を閉じる度、自分がどこに居るかの判別すら付かなくなっていた。


 気付けば布団に横たわっており、誰かが、俺の身体に何か掛けてくれている。

 いや、そうじゃない。何かを考え、言おうとしていたはずだったんだが、それは一体、なんだったか。


 朦朧とする意識の片隅で何かの物音がしたかと同時に、ついぞ抗い難い眠気に負けてしまった俺は、両の瞼を降ろしたのだった。

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