4 「うむ。その面が見たかった」

 それからしばらく。

 俺とシオンの会話数は明らかに減っていた。

 そりゃそうだろう。いくら幻だろうが、あんだけの事をしでかされた俺が「幻術なら仕方ないな」と簡単に容赦を与えると思わないで欲しい。


 会社から帰宅し、適当に買った弁当をテーブルに並べてさっさと風呂に入る。そして風呂から上がるとテーブルの上には空になった容器だけが残されており、シオンの姿はそこにはない。

 それを片付け、自分の分を食べて歯を磨いて用を足し、早々に寝る。翌朝起きるといい加減慣れた手付きで簡単な朝食と昼食の分まで作り置き、支度を済ませてさっさと会社へ赴く。というのが最近のルーチンだ。


 シオンと言えば最近はもっぱら奥の部屋に引き籠っており、時折物音こそ立てれど実際何をしているのかも分からん。あれだけやっていたゲームすら遊びに来ない。

 同じ屋根の下、当然鉢合わせる事もしばしばあるのだが、その時の会話すら必要最低限のものへ成り果てていた。互いに淡白な言葉を交わすのみである。仮面夫婦とはこういう感じなんだろうな。いや別に結婚してる訳じゃないけども。

 くだんの報復として、日々三食の量をかなり少なくしている。それにより魔力の回復がろくに出来なくなった事態に拗ねているのかもしれない。


 俺の素っ気ない仕草も多少は影響しているだろうが、そもそもあんな悪趣味な魔法を使った時点で論外なのだ。

 少なくともあいつが自ずから「あの時は済まなかった」と頭を下げにでも来ない限り、この態度が緩和されることは無いだろう。


 しかしそんな固かったはずの意思も、で腕を組みながら、帰宅する俺を待ち構えていた奴のドヤ顔によってあっさりと崩壊を迎えた。


「……は?」

「うむ。そのつらが見たかった」


 こちとら危うく手荷物を落としかけたのに、シオンはそれすら歓楽とばかりに鼻で笑っていた。


「いやいや、何で外に出れてんだよ。体調が悪くなるんじゃなかったのか?」

「ふっ、余が何時までも部屋に閉じ籠って拗ねていたなどと思うなよ」

「まじで拗ねてたのなお前」

「……ゴホン。まぁ入るがよい。

 余は今気分が良い。仕組みを語ってやろうではないか」

「入るも何も俺の賃貸だわ」


 すっかりいつもの調子に戻ってやがる。それに釣られたように、俺まで以前のノリを思い出してしまった。

 くそ、こんな事なら一発くらい引っぱたいておけば良かったと、室内に入りながら思う俺だった。


******


 部屋着に着替えた俺は、シオンに促されるままテーブルを挟んで腰を落ち着ける。せっかく取り戻したはずの我が座椅子を再び奪われてしまい、仕方なしに床に直接胡坐をかいていた。いい加減、新しい座布団か何かを買った方が良いのかもしれないな。


「で? どういう事だ?」

「そう急くな」


 テーブルの上には湯気の立った湯呑が二つ置かれており、シオンは手元にある方の一つ、そのふちを指でなぞっていた。

 すると半透明の糊のような物が、湯呑の縁上へ塗られている事に気付く。


「これは余の魔力で練り上げて創っただ」


 今度は湯呑の開口部を手の平で撫でると、その糊が広がって口全体を覆った。皿にラップをかけた時のような状態とでも言った方が分かり易いかもしれない。

 膜によって蓋をされた内部では湯気が逃げ場を失い、液面との合間を当ても無く漂っている。


「便利なもんだな」

「そう思うか? こう見えて何気に繊細な作業なのだが。

 まぁ貴様が指先に流れる血を用いて、これと同じ様に出来るならば話は別だがな」

「……そりゃ無理だ」


 俺の世界でそんな事が出来る人物は誰一人として居ないだろう。


「この膜は余特製のものでな。外部からのあらゆる悪影響を通さぬ。

 今回は貴様でも見えるよう可視化しておるが、本来は透明なものだ」


 今度は指先を頭上に持っていき、そこで宙を描く。直径1センチ程度でしかない膜がくるりと放出されたかと思えば、内部の隙間を埋めるように伸びていく。

 薄い皿にも例えられそうな膜の中心部をシオンがつつくと、一つの波紋が出来上がり、縁に向かって流れていった。波が縁に届きそうなタイミングになると、膜はその範囲を延長させていく。


「ピザの生地みてぇ」

「くく、言い得て妙だな」


 思わず口を衝いて出た言葉にシオンも同意する。

 その合間にも人の身長ほどにまで伸びていた円形の膜は、そこでようやく動きを止めた。


「これで身を包む」


 すると膜が下っていき、シオンの頭頂部からつま先まで余す所なく張り付いていった。身体を包み込む被膜と化したそれは、まさに薄皮一枚といったところ。


「先程、余が外に居た状態がこれだな」

「呼吸とか大丈夫なのか? 見るからに密着してっけど」

「先にも言った通り、この膜はあくまでも余に対して害を成す要素を遮断するものである。ゆえに問題はない。

 ……まぁ、この状態まで練度を上げるには少々時間を食ったが」


 なるほど。こいつが数日間と引き籠っていた理由はこれだったのか。


「じゃあ時たま聞こえた呻き声というか、あの物音は」

「うむ、当初は加減が分からなくてな。何度か窒息しそうになっておった」

「事故物件にならんで良かったわ」

「それもこれも貴様がろくに飯を献上しなかったのが悪い」


 減らされたご飯のおかげで回復もままならない魔力でもって、如何にその膜を仕上げるか、シオンは独り試行錯誤の日々を送っていたそうな。


「って、俺は悪くねぇだろ。そもそも」

「やかましいわ戯け。余が窒息しかけているにも関わらず様子も見に来ないような奴に言われとうない」

「理不尽すぎる」


 そっぽを向かれる。

 どうあっても俺に非があると言いたいらしい。勝手に入ったら入ったであれこれ文句を言うくせに、これだから女ってヤツはよく分からん。


「それで? その膜のおかげで外に出られるようになったと?」

「うむ。正直なところ、何故なにゆえこの部屋から出ると余が苦しむのかは分かっておらぬ。

 ならば、この身を囲う壁を創れば良い。そうして出来たのが、この膜である」

「……理屈は分からんでもないが、そりゃチートってやつじゃあ」

? 何だそれは」


 さすがにチートという単語は理解していなかったようで、シオンは小首を傾げて聞き返してくる。


「いや、こっちの話だ。それさえあればずっと外に居られるのか?」

「これも魔法なのでな──障壁エナジーガードとでも名付けるか。今後は外出も、余の魔力が続く限りは可能となろう」


 何でもないとばかりに首を振って返すと、シオンはどこか嬉々とした様相でこれに答えた。


「クク。これで貴様に飯を与えられずとも食い物にあり付けるというもの」

「お前その金はどっから出すつもりだ」

「金? ……あぁ。ほれ、寄越すがいい」

「あげねぇよ世間知らずも大概にしとけ」


 当たり前のように差し出された手の平をツッコミがてら平手で引っ叩くが、叩いたはずのその手は微動だにせず、肉がぶつかり合う音すら聞こえない。

 まるで衝撃でも吸収されたように、俺の手元はシオンの小指球の寸前で止まってしまっていた。


「ふふん、余に手を上げる度胸は褒めてやろう。

 だが障壁エナジーガードを纏った今の余に対してはそれも無意味である」


 奇妙な感覚に若干の戸惑いを覚えていると、その様を見てシオンがほくそ笑む。

 あの幻術の時と同じような事を言われてしまい、何だか妙に腹が立った俺はおもむろに立ち上がり押入れの方へと向かう。


「バッドどこやったっけな」

「待てい」


 後方から何やら制止の声が届いたが、俺は構わずその中を漁り始めた。


「何だよ会社の草野球で使う棒切れを探してるだけだろ」

「ほう。それで何をするつもりだ」

「ちょっとノックをね。都合良くサンドバックがあるし」

「もはや隠す気もないな貴様」


 右こぶしの恨み、晴らさずにはいられまい。

 と、散々探すフリをして俺は押入れの戸を静かに閉めた。


「まぁ冗談はさておき」


 再びテーブルの席に座って自分の方に置かれた湯呑を拾い、温くなった茶を飲み込んだ。


「お茶うめぇ」

「何がしたかったのだ貴様は……」

「俺だってたまにはボケたい時があるんだよ」


 ただシオンの反応が淡白過ぎて面白味に欠けるのが辛いところだった。


******


 閑話休題。

 時刻は夕方から夜に差し掛かる頃合いである。

 俺は障壁エナジーガードを纏ったシオンを引き連れ、アパートの外に赴いていた。今回の被膜は半透明ではなく完全に透明なもので、パッと見ても何かがシオンの身体に付着しているとは誰も思わないだろう。


 シオンの服装はパンツルックなカジュアルスタイル。どうも暗色系が好きなようで、上下のどちらもダークな配色だ。白っぽい髪にやや違和感を覚えるが、それを後ろ手に結えばさも仕事が出来そうな女性にも成り得そうだ。ちなみにいつかの白ワンピースは着てる姿を見る方が稀だったりする。

 対する俺はスウェットのズボンにTシャツ、サンダルと非常にラフなもの。

 道すがら、通り過ぎる連中が性別を問わず振り返るのはそんな俺ではなく、間違いなく隣のシオンに向けてのものだった。

 身長こそ人並であれ、アイドルや女優顔負けの風貌なのだから気持ちは分かる。

 そんなこいつが実は別世界から来た魔王だなんて、果たしてこの世の誰が気付いてやれるだろうか。


「本当に余が選んでもよいのか?」

「おう。こうして外に出れたんだ、今日くらい好きにさせてやるさ」


 度々向けられる視線を気にするでもなく、シオンは期待に少々上ずった声を発する。

 何だかんだで甘ちゃんな俺は、改めてこの世界を歩けるようになったこいつの記念にと、食べ物を選ばせてやる事にしていた。


「たーだーし限度はあるぞ。

 何度も言ったが、最低でも福沢さん一枚程度には抑えろよ」

「ふむ。そんな紙切れにどれほどの価値があるのやも知らんが、まぁ良いだろう」


 コンビニやレストランで済ませば手っ取り早いのだが、折角なので散策がてらシオンの好きなように買い食いでも店のはしごでも、予算内であれば何でもさせてやる予定だ。

 つまみ食いしながらであれば、魔力の補給もに出来るだろう。


 シオンにとって全ての景色が新鮮なのか、辺りを見回しては何度も足を止め、十人十色の流れに鼻を鳴らしたり、「あの箱は何だ。何故箱が動いておる」と自動車に向かって言ってみたり、「あの三色の光に何の意味があるのだ」と信号機に対して疑問を投げかけたりとやたらに忙しない。


「散々テレビやゲームで見てきただろうに」

「それはそうなのだが。こう間近で見るとついな」

「そんなもんかね」


 俺からすれば当たり前の光景でも、シオンにとっては何度見ても奇奇怪怪な風景のようだ。


「お前の世界はこっちと比べてどう違うんだ?」

「少なくとも、この様な文明は存在しておらん」


 強いて言えばシオンがやっていたゲームの内、中世の時代を背景としたRPGやそれに準ずる題材のものが近いらしい。

 車も無ければ信号機も然り。道もアスファルトで舗装されてなければ、街もここまで凄然と並んでいないそうな。こちらの世界と類似する点を例えれば、山際にあるような田舎景色に、石畳やレンガで造られた建造物が主な街並みだそう。

 移動手段に関しては魔法が使える者は空を飛んだり、こいつみたく転移で移動をし、使えない者は動物を用いたそれが主たる方法だと言う。


「馬とかいんの?」

「馬? あぁ、あれに近い生物は居るな」


 さすがに名称は異なるらしいが、見た目の造りは似ているとの事。


「そういえばこちらの世界でもスライムがで出ていたのは、さしもの余でも驚いたぞ」

「まじか。すげぇなスライム」


 某RPGよろしく、ジャンルを問わず似たり寄ったりな姿でその名を博する雑魚モンスター、スライム。世界を超えてなお同一名称とは恐れ入る。


「他の魔物もそうであったな。

 ……魔王たる余の姿が、あの様に醜悪な出で立ちであるのは少々癇に障ったが」


 かと思えばモンスターのたぐいに限り、不思議と名を同じとする物が多いらしい。


「まぁ余の世界でのスライムは、一般的に雑魚とは呼べぬ生命体ではある。

 何せ人間如きであれば一瞬で全身くまなく溶かしてしまう程の、酸の塊なのだから」

「まじか。スライムこえぇな……」


 ファンタジーはかくも非情なものらしい。シオンの世界で暮らす人間達の苦労が思い浮かびそうだ。


「とはいえ所詮身体の作りは液体だからな。余にしてみれば炎で蒸発させてしまえば良いだけの雑魚とは言えよう」

「そりゃ魔王にしてみりゃ大方は雑魚になるんだろうよ」

「クク、余の強さが分かったであろう? 崇めてもよいぞ」

「スライムと張り合われてもなぁ」


 とはいえ俺の世界でのスライムは、やはりスライムなのだ。シオンの言葉をパクる訳でもないが、実物を見ない事には判断のしようもない。


「不遜な奴め。いずれ余が元の世界に戻る時が来たら、貴様を連れ去りその身の脆弱さを思い知らせてくれよう」

「言うは易しってな。俺をどうこうする前にちゃんと戻る手段を模索しとけ」

「……貴様は本当に可愛げの無い奴だな」

「お前にゃ負けるよ」

「ぐぬぬ」


 そんな世間話を交わしていると、シオンは並び立つ建物の一階に店を構えるクレープ屋に目を付けた。


「甘い香りがする」


 生地の匂いに釣られてそこに立ち寄ったシオンは、ガラスケースの中にある色取り取りのフルーツや生クリームによって盛り付けられたサンプルを、興味津々といった面持ちで眺めている。


「……ふむ。おい、そこな人間よ」

「……あっ、はい。お決まりでしょうか?」


 妙な呼ばれ方に反応がワンテンポ遅れた店員は、こちらを見ずに目下のサンプルから目を離さずにいた当人へと営業スマイルを浮かべる。


「全部貰おう」

「……はい?」

「聞こえんのか。全て寄越すがいい」

「はいストーップ店員さんちょっとごめんよー」


 ガラスケースの中身を指先でずらりと示したシオンの首根っこを掴み、強制的に店から引き離す。困惑する店員に軽く手を振って応え、店の向かいに設置されている長椅子にシオンを座らせた。


「お前何考えてんの馬鹿なの?」

「貴様、魔王である余を引きるとは死にたいらしいな」

「そりゃ初っ端から福沢さん使い切ろうとしてたら引き摺りもするわ」


 昨今のクレープは種類が実に豊富である。


「むぅ。そんなにあの食い物は高価なのか?」

「メニュー表に書いてあったろ、一つ五百円前後だよ。

 それが十何種もあればさすがの諭吉さんだって瀕死になるぞ」


 そもそも全部を食べようとしている事案についてはもはや何も言うまい。こいつの場合、食べ物さえあれば魔力を生み出す永久機関を自前で作るんだからな。


「せめて二、三個くらいにしとけ。でなきゃ他の食い物にあり付けなくなるぞ?」

「何だと……あの人間め、余を謀るつもりであったか」

「全部とか言ってたのはどこのどいつだ」


 食欲が生まれてから、どうにも人間味が増した気がしなくもない魔王であった。

 結局シオンは俺に促されるまま、ストロベリーにチョコバナナにフルーツミックスという無難な三種を購入。

 それらを器用に持ち運ぶシオンは再び長椅子へと腰かけ、華やかなクレープの見た目に何ら反応することなく、その先を一口。


んふぁいうまいな……!」


 見ているだけで胸焼けを起こしそうなボリュームではあるが、シオンはそんな事もお構いなしに次々にクレープを頬張っていく。その後指先に付着したクリームを綺麗に舐めとるまで、ものの数分足らずという結末に終わった。


「……お前はもう少し味わって食べるという情緒を覚えた方が良いな」

「口に入ればみな同じ事であろう」

「生産者の方々に謝れこのやろう」

「いちいち五月蠅い奴め。そんな事より次に行くぞ」


 しかめっ面で俺の言葉を受け流したシオンは、長椅子の横に備え付けてあったゴミ箱にクレープの包装紙を投げ捨てて立ち上がる。


「もう日も暮れておる。早く行かねば」

「はいはい」


 空は既に暗く、道路に沿って並び立つ街灯もようやくといった塩梅に本日の仕事を開始する。見ればクレープ屋も店仕舞いを始めており、やがて店員の手によってシャッターが閉じられていった。

 この時間になれば店前における買い食いも難しくなるか。せめて休日に予定を立てるべきだったかもしれない。

 ただこちらの思惑を他所にシオンの足取りは大して変わらず、街灯や店舗の光によって照らされる歩道を進みながら周囲を窺っていた。


 時間帯的には夕食時。

 クレープやアイス等のデザート系の店舗こそ閉め始めたが、それと入れ替わりに鼻孔をくすぐられる香ばしい匂いが目立つようになる。

 人々が一日を労いに行く居酒屋を始め、様々なチェーン店が各々のアピールポイントを香りにして辺りに漂わせていた。


「おい、これはどういう意味だ?」


 そんな中シオンが目に付けたのは『制限時間内に完食出来たら無料!』と記されたポップに、巨大なラーメンと、逞しい腕を胸元で組んでいる店主の写真が添えられた看板であった。

 見た感じスープが何ベースなのか、麺の太さすらも判断が付かないほど野菜やチャーシューが載せられまくっている。というか器のデカさが尋常じゃなかった。これはもうタライなのでは?

 何だか嫌な予感を覚えながらも、一応シオンに説明は試みた。


「──という訳だ。この手の文言の付いたもんは大抵店の宣伝の為にあるメニューであって、普通は一人で食い切れる量じゃないんだよ」

「……何故だ? 簡単ではないか。要は残さず食えばいいのだろう?

 クク、タダ飯ほど旨いものはないぞ」

「どこで覚えたそんな言葉」

「では行くぞ」

「聞いちゃいねぇ」


 「簡単とか言えるのはお前だけだからなー」という俺の返事を背に、シオンはその看板が掲げられたラーメン店へ堂々たる装いで入って行った。

 すまん店主よ。材料費は今日の売り上げから捻出してくれ。


 そして小一時間後。節食から解放されたシオンの暴食っぷりは、こいつを一躍時の人へと押し上げていた。

 例の巨大なラーメンが完食されたのは言うまでもなく、それを二杯三杯と注文した上で、いずれも汁まで飲み干していくシオンの胃袋はもはや大食いタレントの域を悠に超えている。

 追い打ちをかけるように四杯目を頼もうとした所で店主がギブアップしてしまい、その様に店内でシオンの食いっぷりを呆然と眺めていた客達が喝采を上げた。


「……加減しろ馬鹿……」

「何だもう打ち止めか」


 一杯で制止しておけば良かったものの、次第に盛り上がっていく店内の雰囲気に圧されてしまい、つい止め時を見失った俺の失態から招いた事態がこれである。

 見た目通りお腹すら膨れていないシオンは、けろっとした表情で半泣き状態の店主を一瞥し、椅子から立ち上がった。


「ククク。どうだ、民衆が余を崇めておる」

「冗談言ってないでとっとと退散するぞ」


 さすがに目立ち過ぎた。SNSで拡散でもされたか、その姿をひと目見るべく集まったであろう人々が群がって来ている。

 周りから囃し立てられる状況に、さも満足そうな笑みを浮かべるシオンの手を取り、囲いをかき分けるように店を後にした。


「こんだけ注目を浴びちゃ、今日はもう無理そうだなぁ……」

「何をほざく。余は次の大食いをしている店を探すのだ」

「味占めてんじゃねぇよ。これ以上悪目立ちする前に帰んぞ」


 半ば強制的に帰路へとつく合間、シオンからずっと睨まれつつ小言まで受ける羽目になってしまった。

 次に予定を立てる時は、今度は大食い系禁止という制限も付け加えなければなるまい。それまでに噂も落ち着いてくれたら助かるのだが。


 変に目立つからなぁ、こいつ。

 せめてその髪を染めろと言ったら……きっと怒るな。うん。

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