男が主人公の短編をいろいろ

朝倉神社

第1話 偶然も三回続けば必然だと、誰かが言った。

 仕事でポーランドに転勤になった僕は、休みの日を見つけると東欧の国々の旅をした。ヨーロッパというと日本と変わらない都会がイメージされるけれども、東欧の国々は西欧に比べ少しばかり発展が遅れている。キレイな町並みと、東南アジアのような物価の安さがあり、旅行をするにはとても楽しい国々だった。


 ハンガリーやブルガリア、ルーマニアという国々を旅した僕は、秋の始まりに短い休みを貰いお隣の国、ウクライナに行ってみることにした。東欧というよりもロシアに近いイメージのある国で、近くにありながら旅をするのが後回しになっていた。


 休暇の日数も少なかったこともあり、僕はポーランドのクラクフより、夜行列車でウクライナにあるリヴィヴという街を訪れていた。ウクライナの東に比べ、西側はハプスブルク・オーストリア領だったりした歴史的経緯もあるため、住んでいるクラクフに似た古都らしい町だった。


 最初の数日は、石畳に石造りの建物のある古い情緒ある町並みをゆっくりと散策していた。街中を走る電車に乗ってみたり、お土産物を扱った雑貨店をめぐり、市場を覗き、新しく作られたカフェでまったりと過ごした。


 泊まっているホステルのスタッフに勧められて、この日は少し遠出をしていた。クレーヴェンという町にある愛のトンネルと言う名の観光名所を目指したのだ。カップルで行くと永遠に結ばれるとかいう伝説のあるところで、二十代後半のおっさん一人で行くには少しばかり勇気のいる場所ではあるけども、スタッフに見せられた写真には興味をそそられた。


 僕には全く覚えはなかったけれども、日本のCMにも使われたこともあり、海外でもそれなりに知名度のある場所らしく、ウクライナ語の分からない外国人が、ローカルなバスに乗っていると行き先は其処しかないと思うのだろう、こちらからお願いをするまでもなく、停留所に差し掛かると「ここだよ」と教えられ、バスを下車した。


 降りた場所の周りには何もなく、完全に田舎の町という場所だった。ところどころに愛のトンネルの行き先を示すハートに矢の突き刺さった矢印があり、それを頼りに車通りも人の通りのない道をのんびりと歩く。


 秋の半ばに差し掛かるこの日は、少し冷たい空気が流れるけども快適な散歩日和だった。雲の少ない青空に、大きな太陽が輝いている。


 小さな商店に入り、ペットボトルの水を購入する。


 ポーランドも比較的物価が安いが、ウクライナはそれを上回って安い。ビンビール一本でも50円程度で購入できるのは、酒飲みにはたまらないだろう。あいにくと僕はお酒に弱かったので、あまり意味はないけども。


 線路を越えて、駐車場に行くと二軒ほどの露天のお土産物屋があり、右手に愛のトンネルの入り口が見えた。特に入場料を取られることもない自然に生まれた名所だ。


 入り口に差し掛かっただけで、僕は圧倒的な光景に息を飲み込んだ。


 茶色の冷たい鉄の道は遥か向こうまで、真っ直ぐに伸びていき赤や黄色に染まった木々が周りを彩っていた。風が吹くたびに、木々がざわめき、ひらりひらりと葉っぱが宙を舞う。


 枝葉の隙間からは日の光が抜けて、キラキラとした陽光が地面を照らしている。トンネルの奥は光が強く差込み、先が見えない真っ白なこの世の光景とは思えないほどの幻想的な光景に時間を忘れて魅入られていた。


 宿で教えてもらった情報によると、木々が枝を伸ばすところに、列車が通ることで枝がへし折られ自然のトンネルが出来上がったということだった。つまり、いまも定期的に列車がここを通っているらしい。


 僕が呆然としていると遠くから戻ってくるカップルが見えた。手を繋いで線路の道を歩いてくる二人というのは、ポストカードのようで実に絵になる。改めてここが恋人同士で訪れる場所だと分かり、少し気恥ずかしくなった。


 線路の道を歩くのは、昔の映画スタンドバイミーのようでなんとなく気分が盛り上がる。青春の一ページを描いたあの映画と、愛のトンネルとでは全然違うけれども、普段することのない非日常というのはそれだけで楽しい気分になるものだ。


 歩いているうちに、自然のトンネルはいろんな姿を見せてくれる。秋の紅葉ばかりではなく場所によっては、まだ緑の部分もあり、そこは全く別の世界だった。


 足を止め緑の織り成す美しい光景を鑑賞していると、足元に振動が伝わってきた。まさか、と思っていると前方から下部が赤く、全体的にはモスグリーンの色をした列車が近づいてきていた。トンネルを形成するほどに木々が回りに生い茂っているせいで、道はそもそも線路の幅しかなく逃げる場所はどこにもなかった。徐々に近づいてくる列車を見ながら、枝葉の隙間に身を滑り込ませると、手を伸ばせば届くほどの距離を列車が通り抜けていく。


 列車の通るガタンガタンという音に混じって、枝を折るパキっという音が聞こえてくる。


 不思議な感覚に胸が熱くなる。自然と人工物がここまで、美しく調和することなどあるのだろうかと思う。通り過ぎていく玩具のような列車と、緑と赤と黄色が織り成すハーモニーに息をすることも忘れて立ち尽くす。


 これほどの光景なのに、なぜこんなに観光客が少ないのだろうかと思う。

 もちろん、ここが辺鄙な場所にあるのは確かだろうけども、たぶん名前の所為だろう。


 愛のトンネルなんて、名前を付けられたら僕のような独り身じゃどう考えても行き辛い。どうせならジブリの森とでも改名してくれれば良いのにと思った。宮崎駿先生の映画は世界中で大ヒットしているし、緑の作り出すトンネルはメイが通り抜けたトンネルみたいでそれらしいじゃないかと思った。


 僕はトンネルを半分ほど歩いたところで帰ることにした。

 戻る途中、数組のカップルに、家族連れもいた。そして、僕と同じように独りで観光に来たらしい同じ年くらいの女性とすれ違った。


 独り身同士の暗黙の了解でもあるのか、お互いに目を合わせることなく通り過ぎる。そのとき、ふわりとここにはない花の香りが鼻孔をくすぐった。


 振り返った僕が目にするのは、大きくウェーブする金髪を歩くたびに揺らす女性の後姿だ。ここで話しかけるのはご法度だろうし、海外赴任をしていてもまだまだ語学力に不安のある僕にそんな勇気はなかった。思わず伸ばしかけた手を引っ込め、何事もなかったことのように歩き続けた。


 リヴィヴまで戻った僕は、夕食を取るためにレストランに来ていた。中世ヨーロッパを彷彿とさせる、石造りのまるでお城の中のような雰囲気のお店で昼間に撮った写真を見ながら名物のポークリブが来るのを待っていた。地ビールもあるらしいけども、僕が頼んだはスパークリングウォーターだ。


 旅行をするときは、その場所の名物を食べるに限る。

 本当はビールも飲めたら良いのにと思うけども、飲めないものは仕方がない。昼間の写真を眺めながら、キレイだなと思いつつ、あの場所で感じた感動とは別物だなと瞼を閉じてゆっくりと思い出す。写真から入ってくるのは、視覚情報に限られる。でも、足を運んで、その場所に降り立てば、五感すべてに訴えてくるものがある。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。それらすべてがあるからこその、あの景色なのだと思う。


 だから、僕は旅行が好きだ。


 しばらくするとウクライナ美人の店員さんが、ポークリブを運んできてくれた。目の前で切り分けてくれるサービスつきだ。ボリューミーな肉だが、それでいてかなり安い。味も絶品だった。肉は柔らかく旨みの詰まったジューシーなステーキに舌鼓を打った。


 ゆっくりと時間をかけて味わった僕は、会計を済ませてお店を出た。

 そのとき、入れ替わるように一人の女性が横を通り過ぎた。ふわりと漂ってきた花の香りに後ろを振り返ると、金髪の女性がドアの向こうに消えていった。


 昼間と同じ人?


 脳裏にふと浮かぶけれども、一人ぼっち同士、顔を見ないようにしていた所為で、女性の顔に見覚えがなかった。ただ、記憶の中の香りと同じだったと思う。なんとなく残念な気持ちにもなるけれど、旅をしていれば、出会いもまた過ぎ去っていく景色の一つだ。


 そういうこともあるだろうと思いながら、ホステルに帰りベッドに入った。


 翌朝、残った最後の休日をどうしようかと思いながらホステルの朝食を食べていた。トーストにスクランブルエッグにウィンナー、さらにはフルーツにヨーグルトと無料でついている朝食にしては中々豪勢だった。ホステルの一角には、様々な観光地のパンフレットがおいてあったので、いくつかを手に取りパラパラと捲る。


 ドロフォヴィチというところに、石造りのヨーロッパ世界において珍しい木造の教会があるらしい。それほど遠くないし、行ってみようかと思いながら紅茶を一口含んだ。


 そのとき、背後を誰かが通りぬけ、遅れて花の香りが僕の頭を殴りつけた。振り返った僕が見たのは金色の後頭部。確かなことは分からないけども、僕にはある人の言葉が脳裏を駆け抜けた。


 偶然も三回続けば必然だと。


 同じ場所に観光に来ているのだから、そんな偶然はよくある話だと頭の片隅では分かっていた。でも、僕は勢いよく席を立つと、花の香りを追いかけていた。

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