第2話 CIEL (堕天した神)

 現在のEARTHにおいて、酸素や食糧などの生命維持を司るものは、全て神々及び各システムが『生産』している。人類が長い年月と命を費やし、ようやく完成させた英知でも決して及ばない絶対的な力を前に、もはや人類には何の価値も無くなった。


 だが、争いに疲れ、自らの価値に疑問を抱いていた人類にとって、それは然したる問題ではなかった。むしろ、人類の命に何の価値も無くなったからこそ、人類は本当の意味で『自由』になったのだ。


「さあ、目覚めなさい」


 その男は、脳内に響く柔らかい声に導かれ、静かに目覚めた。


「うーん……」


 転生カプセルの窓から、自然豊かな風景と、優しく微笑みかける女が見える。


「ようこそ、新たな命。私はMARIAマリア。あなた方の誕生をサポートするシステムです。さあ、カプセルを開けて、外の世界へ」


 空気の抜けるような音とともにカプセルが開く。男は、人間としての第一歩を踏み出した。周囲は花に囲まれ、岩には苔がし、遠くからは水の音や鳥の鳴き声が聞こえる。


「フレームって、結構重いんだな」

「これがあなたの初期情報です。視界に映っているはずですので、目を通しておいてください」


 男の視界に自身の情報が映る。これはセクターταχύςタキュスの管理者AIONが創り出した技術のひとつだ。視覚を通して脳へ届いた映像に直接手を加えることで、従来のホログラム方式にあった、多数の情報が開かれることで生じる景観の乱れを解消することができる。


「へえー、俺の身長って173.15cmだったのか。で、体重は62.85kg……結構重いんだな」

「フレームの持久力と安定性を考慮した結果です。通常では理想体重に設定されていますが、変更も可能です」

「なるほど……まあ、その辺は気が向いたらでいいか」


 男は体を上下にゆすり、自身の肉体の重さを感じている。


「確認は済みましたか?」

「ああ、大丈夫だ。他にも何か大切なことはあるか?」

「はい。あなたは重要度の高い記憶を持っていません。すぐにインストールボックスを利用し、必要な記憶をインストールしてください。インストールボックスはここを出て左に設置してあります」


 MARIAが指す先には転送装置――ポータルがあった。これらが各セクターと繋がっているのだ。


「なお、インストールは任意ですが、重要度の高い記憶をインストールしないと日常生活に支障をきたす場合があります。インストールが不十分であると判断されれば、セクター管理者による処分を受けるので注意しましょう」

「へえ、俺……じゃなかった、神ってそんな権限も持ってたのか。まあ、どっちにしても行くセクターは決まってるけど!」


 男が地面に設置されたポータルに近づく。


「えっと、移動先は……これだな。じゃあ、行ってくるよ!」


 視界に表示される情報を頼りに、男はポータルを開いた。


「ふふ、お気をつけて――」


 MARIAは微笑み、小さく手を振った。 ふわっ。小さな風と共に転送が完了する。


              *   *   *


 近未来の街、セクターταχύς。機械文明と大自然の共生をテーマに、性別、種族関係なく、幅広い生体が配置されているセクターだ。人間にとって常に快適な気候が保たれており、気温が激しく乱れたり、風が吹き荒れたりすることはない。また、天気が変わるときには、天候管理システムにより通知されるようになっている。


「これが俺のセクターか。そういえば直接見るのは初めてだな」


 男は、左手首に標準装備されているバングル状のデバイスを操作し、このセクターの情報を視界に表示する。


≪セクター名:ταχύςタキュス 管理システム名:Luciferルシファー 管理者名:AIONアイオン


「まずは言われた通りにしてみるか」


 男は情報を閉じ、出口左に位置するインストールボックスへ入った。


「えーと、まずは……」


 男の視界に、重要度の高いインストール項目が一覧表示される。


「地球言語Packパック? ああ、EARTHが星だった頃から使われてる言語が全部入ってるのか。まあ大丈夫だろ。俺、神だし」


 男はそれを軽く受け流し、次の一覧へ移動した。


「他には、生命創造理論、秩序構成の理、大いなる真理論……」


 現在表示されているのは基礎学識のリスト。各分野の主な学問は、こうして脳に直接保存するのだ。


「ま、まあ、大丈夫だろ。俺、一応、神だし……さあ、さっそく街を探検しよう!」


 男は微かに感じた不安を閉じ込め、インストールボックスを出た。


 輪廻転生システムSAMSARAが完成した今、生命活動が終わっても記憶を引き継いだ状態で転生できるため、本来ならば過去のカリキュラムは不要である。しかし、稀に記憶の引継ぎを希望しない個体が現れるため、その需要に対応し、新たに設置されたシステムがこの『インストールボックス』だ。


 このシステムのおかげで、かつて他種族との隔たりであった『言語の壁』は無くなった。いわば、全世界の言語が世界共通の言語となったのだ。これにより人類の自己表現の幅は大きく広がった。


「ん? 思ったより自然が少ないな。数値上では結構多かったはずなんだけど……」


 男が周囲を見渡しながらゆっくりと歩き始めると、ちょうど、通りから出てきた女と目が合った。


「……」

「なんだ?」


 女がこちらへ近づき、何かを言っている。


「あなた、転生したて?」


 女の口からは確かに人間の言語が発せられている。しかし男にはその音が何なのか認識できなかった。


「うわ、何を言ってるのか全く分からない……まずいぞ」

「言語Packのデータ、壊れてるんじゃない?」


 言語が通じていないと察したのか、女は頭部の入力端子を指差す。


「うん、やっぱり駄目だな」


 男は速やかにインストールボックスへと戻る。


「はあ……まさか人間の言語がこんなに複雑だなんて」

「あら、おかえりなさい」


 先ほどの女が再び声をかけてきた。


「おお、今度はちゃんと聞こえるぞ。さっきは悪かったな」

「いいのよ。そのくらい、よくあることだし。少しお話ししましょ? 『新しい人』なんて久しぶりだし」

「新しい? まあ、いいけど」


 そう言って、男は近くのベンチに座る。女も後を付いてゆき、隣に座った。


「あなた、お名前は?」

「俺は、ええと……CIELシエルだ! Le-Cielル・シエルのCIELな」

「まあ、『空』だなんて、素敵ね。私は珊瑚さんご。転生は7回したわ」


 よろしくね、とアイコンタクトをする珊瑚。


「珊瑚か。珍しい名前だな」

「人間的な名前には飽きちゃってね。最近、流行りなのよ。ところであなた、なぜ記憶をDeleteデリートしたの?」

「Delete?」

「だって、言語Packが消えるとしたら……って、分かるわけないか。全部Deleteして、新しくなったんだもんね」

「そ、そうだな」


 CIELはあえて明言を避けた。


「はあ。私も、次は記憶をDeleteしようかな」

「なんでだ?」


 爽やかな風が吹き、珊瑚の髪を揺らす。背後に植えてある樹木が、さやさやと鳴った。


「最近、疑問に思ってるの。この世界が完成してから、私たちの肉体はいつでも交換できる入れ物になった。そのおかげで、人種差別や、見た目のコンプレックスに悩む必要も無くなったわ。でも――これで、本当に良かったのかしら。私たちはもっと別の方法で、この問題を解決すべきだったんじゃないかしら」


 珊瑚は続ける。


「初めての人にこんな話するなんて変よね。でも、怖いの。感情は管理システムによって『サポート』されているし、記憶はデータとしてインストールするだけ。だったら、『私』はどこに居るの? 記憶、意識、感覚。どこからどこまでが『私』なの? どうすれば私は私でいられるのか、ずっと不安で……」


 その問いに、CIELは答えることができなかった。


「困らせちゃってごめんなさい。この話はもう終わりね。ところで、あなたは、何か目的はあるの?」

「え、そ、そうだな……俺は、特別な人を探してるんだ。特別というか、神でも知らないような珍しい人、だな」

「そうねえ。神でも知らない、ってほどではないけど……それなら、Xを探してみたら?」

「X?」


 眉を上げるCIEL。


「うん。私は噂でしか聞いたことないけどね。SAMSARAで転生するときに、フレームのタイプの設定で、Xっていう選択不可能になってる項目があるでしょ? あのXの、唯一の適合者だって言われてるの」

「へえ……そのXっていうのは、どこに居るんだ?」

「それが、普段はこの世にはいないらしいの。私たちが認識できない領域に居て、言語Packにない言葉を使っているんだって。面白いね」


 ふふ、と小さく笑う珊瑚。


「都市伝説っていうやつか。本当に実在するのかな?」

「さあ。でも昔はよく、Xを見たっていう人が居たわよ? あれは確か、セクターEquesエクエスだったかしら。Xはなぜかそのセクターにだけ現れてたから、みんな噂してたのよ。『Xは、実はEquesの管理者なんじゃないか』ってね」


 また風が吹く。さっきよりも強い風だ。


「まあ、試しに行ってみたらいいんじゃない? 時間はいくらでもあるんだからさ。じゃあ、私は帰るね!」

「おう、助かったよ」


 またね、と軽く手を振り、珊瑚は立ち去った。


「セクターEquesか。あそこ、管理者なんて居たかな……?」


 CIELは空を見上げる。雲はいつもより、早く動いていた――

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