34人目の客人

「入れて! 入れてったら!!」

 いきなりドンドンと激しく叩かれる扉。僕は扉を心配になりつつ丁寧に開ける。

 キィーという不気味な音が、手入れされているはずの扉から響く。


「なんですぐ開けてくれないの!?」


 僕は笑う気力すら惜しいとばかりに無表情を貫き、扉を指差す。

 なによ! ちゃんと口で言って! と喚き立てる低俗なものに、僕はその子供が哀れになった。


「扉のどこに鍵をかけるところがあるのですか?」


 女の子は後ろを振り向いて、扉を色々な角度から調べる。

 本当に鍵などかかっていなかったとわかると、僕に向き直った。


「申し訳ありませんでした」


 しっかりとした謝罪を聞いて、僕は驚いてしまった。慌てて取り繕う。


「僕はこの小屋の主です。名前はありませんので、好きに呼んでいただければ幸いです」


 んー、と真面目に脳をフル回転させて女の子は僕の名前を考える。その隙に、僕はお茶会の準備に勤しんだ。

 紅茶を目の前に差し出すと同時に、女の子は目を宝石のように輝かせた。

 その期待が込められた顔を僕に向けて、沈黙を作る。だが、目が雄弁すぎて、僕は少し微笑み、どうぞ、と言ってやる。


 少女は、いただきます、ときちんと手を合わせて、僕がOKだと首を縦に振ると、上品に、上質に、食べ始めた。

 マナーも完璧で、見ていて幸せな気分になれるようなその子に、僕は余計なことまで話してあげたくなった。


「慌てていらっしゃいましたが、何があったのです?」

 問うと、少女は美しい口と眉毛、目を雄弁に使い、嫌悪を示す。


「使用人が私を殺そうとしているから、早く逃げなさい、とお母さんに言われて、無我夢中で走っていたら、この見たこともない広大な森に辿り着いたの」

 私の家の近くに森なんてないのに……とまた不安そうにキラキラとした水を瞳に握らせ、呟いた。


「ここは不思議な国ですから」


「アリスの世界ね!?」


 大興奮して手のつけられないほど暴れ回り、元気を振りまくようにして部屋で回る。

 僕は慌てて部屋を広くした。


「あら?何か私、踊り上手になったのかしら!!」

 いつもは壁にぶつかってしまうのよ、と破顔して、回る回る。回りすぎて、派手に倒れた。

「ちょっとあなた。大丈夫ですか」

 思わず近づくと、その子は淑女に相応しくない心の底から湧き出る笑みを見せて、素早く立ち上がった。そして急に、スカートの下の部分を裂いた。僕が呆然とするのを横目に、悪戯っぽく笑って、少女はその部分を放り投げ、残った無残なスカートを粗雑にズボンの形になるよう、力を入れて引き絞った。もう一度回り始めようとする。


「ちょっと!お待ちください!」

 これ以上小屋を破壊されては堪らない僕は威圧的な声を出す。だが、少女はケラケラと裏表のない声で笑ってみせる。

 仕方なしに、僕は少女の手をとって、引き寄せる。

 驚く少女に大人の意地を見せようと、僕は彼女に気を配りつつ、部屋を縦横無尽にスルスルと回っていった。

「わぁぁ!」

 少女の感嘆の声が心地よく部屋に響く。まるで音楽が流れているように、口笛を吹き始めた。そのメロディーにのせて回って、戻って、抱き上げて、回る。

どちらの体力が先に無くなるかな、と僕が考えていると、少女の脚が滑った。

 慌てずにふわりと支えてやると、少女は目を回していた。

(やりすぎたか)

 僕は怒られるのを覚悟して少女の様子を見てみようと、近づく。


「あなたすごいのね!!」

 途端に跳ね起きる少女の頭に、僕の顎がヒットする。

 2人で悶絶していると、勝手に笑いがこみ上げてきた。

くつくつと2人で笑いを堪えるが、だんだん大きくなっていく。

(こんなに楽しいのは何年ぶりだろう)


 ぱっと蝋燭の明かりが、消えた。


 キャア、と僕を信じきった声で腕を絡ませる彼女に、嬉しさを感じつつ、僕は能面の仮面を付け直した。


(そうだ。僕は、もう、ダメなんだった)


 明かりが勝手につくと、不安を浮かべている少女が間近に見えた。

 はっと恥ずかしそうに距離をとる彼女に、僕は言った。


「紅茶冷めてしまいましたね。もう一杯淹れてきましょうか?」


(それでも、この想いは手放したくない)


 勢いよくうなずいた彼女の顔に咲く華を見て、僕は微笑んで、静かな奥に消えた。

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