9人目の客人

 ひそやかにノックされた木造の重厚な扉。


 僕が応じると、老いた男がよちよちと入ってきた。


「すみません、今晩泊めて頂けませんか?」


 片足を引き摺っているのに杖を持っていない男に、それでも僕には、何も言うことはない。


「お茶はいかがですか?」


 その僕の言葉を了承の意と捉えたのか、

パッと顔を無邪気に輝かせた男は、嬉しそうに首を縦に振り、素直に席へと座る。


(いつもこうなら助かるのですが)

 そう苦虫を噛み潰して、僕は準備にとりかかる。


 チクタク、チクタク、と時計の音だけ響く部屋。


「あなたはここに住んでらっしゃるのですか」

 何かに急き立てられるように、沈黙を埋めようとする男に、僕は緩やかに応じる。


「はい。結構居心地が良いものですよ」


 にっこりと模範的な笑みで答える。


 さらに男は隙間を埋める。


「さみしくはないのですか?」


 首を横に軽やかに振って、ティーセットを男の前に並べながら、

何気ない世間話を続けた。


「あなたのように、度々迷う方がいらっしゃいますから」


 能面のような笑みに、男が思わず椅子を引く。

 椅子と床が擦れ合う耳障りな音が響いても、男の隙間は埋まらないようだった。


「どうぞ、冷めないうちに、お召し上がりください」


 恐る恐るティーカップを口へ触れさせ、無音で流し込む男。


「おや、さすが、とても優美なお召し上がり方ですね」

 途端にむせ返る男。

 何か変なことを言ってしまったのか、と不思議に思いながら、自分のティーカップを口へとはこぶ。


 勿論、男のように、とても優美に。


 男は持っていた清潔な布巾で何とか場を取り直し、もう一度カップを口にはこんだ。




「!?」


 また噴き出す男に、僕は呆れた。

 顔で、またですか、と呟く。


 その合間に、鈍い音が響いた。


 慌てた様子の男は、今度は何故か口を拭かずに床へと目を向け、

すぐさま這いつくばる。


 目当ての物、口から吐き出した物、

ティーカップの中に入っていた物を、天からの恵みだと言わんばかりの表情で、見つめた。


「それが必要なのは、誰ですかね」


 紅茶を口にはこぶ時と同じくらい、それを開けた男に、言葉を吐き入れる。


「あなた1人なら、それで十分でしょう」


 後には、倒された椅子と、男の持ち物が残った。

 

 優雅に、その落とし物、汚れた手袋を拾い上げる。

 


 そしていつも通りに、窓の外へ投げた。


 遠くから、悔しそうな獣の唸り声が雨にのせられ、響いていた。

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