Episode01/離脱
再び幽体離脱するため、僕はトイレで用を足したあと布団で横になった。
掛け布団はかけない。なるべく幽体離脱したさきで現実の感触が想起してこないようにするためだ。そして、一番金縛りが来やすい仰向けで瞼を閉じる。足は肩幅まで開け、手も軽く開く。手のひらは上を向ける。ヨガでいう死人の姿勢という奴だ。
右手、左手、右足、左足、頭ーーといった感じに力を込めては脱力するという簡易的な弛緩を繰り返し、全身を脱力させていく。慣れればわざわざ力を込めずとも脱力することができるようになる。
『どの方法でやるの?』
いつもの……今のところ一番やりやすい方法でやることにする。
脳裏で返事する。瑠奈は僕の脳内を読むことができる。というより、タルパと現実で会話をするのに、わざわざ口に出すひとはほとんどいない。実際に口に出したら変人や病人に勘違いされてしまうからだ。タルパを持つ者はそれぐらい心得ている。
『わかった。じゃあ待機しとくね』
瑠奈はそう言うと、僕の隣に寝転がる。
……どうやって待機しているのかがわからない。向こうに行くと毎回すぐ近場に瑠奈は待機していてくれるし、向こうの何処で目が覚めても、いつもみたいに真横にいてくれる。どう移動しているのだろう?
と、いけないいけない。
僕は呼吸に合わせて数をかぞえ始めた。
鼻から息を吸う、で脳裏でいーとまでかぞえる。鼻から息を出すので、ちと一と数えるのを完成させる。これをひたすら二、三、四と繰り返していく。
続けるうちに違う考えが脳裏を過る。からだが痒くなり掻く。などをしていたら、今数えている数字を忘れてしまった。
だが、これこそが数かぞえ法の大切な要素だ。
今数えている数を忘れてしまうということは、それだけ意識レベルーー意識の覚醒度が下がっていっているということの証左に過ぎない。100数えられなくなり、次に80、50、20も数えられず忘れてしまうようになると、あと一歩となる。
幽体離脱にはさまざまな方法があるが、いずれも意識レベルを落としていき、夢と現実の狭間、肉体は眠っていて意識だけ起きている状態を目指すことに相違ない。
やがて、全身にゾワゾワした感覚が走り体が揺れている気配がした。これが俗に言う前兆というやつだ。人によって前兆はさまざまだが、体が揺れる、幻聴が聴こえる、ゾワゾワした不快感が全身を襲う等がポピュラーな物である。
このまま待てば、次に来るのはいよいよ金縛りだ。
急にキーンといった耳鳴りが始まり、全身のゾワゾワ感が強まり、身動きが取れなくなる。息をしている感覚を失い辛い。だが、肉体から抜けるまで瞼を開こうとはしない。以前、瞼を開けてしまったとき、天井から恨めしそうな顔をした女の生首がこちらを睨んでいるのを見てしまったからだ。
金縛り最中は既に周囲の光景は夢の中。つまり、生首も単なる夢の光景、幻覚なのは理解しているが、寝る直前に見た部屋が夢の中にも現れるため、部屋の光景がリアル過ぎて、実際に部屋に生首が浮かんでいると錯覚してしまうほど恐ろしかった。だから、あまり見たいものではない。
早くこの不快感から抜け出したい一心で、真横に体を転がす。肉体から幽体を離す技、ローリングと呼ばれるメジャーな……ローリ……ロー……。
抜け出せない!
体が全く動かない!
「しょうがないなぁ。はい、引っ張るから起き上がって」
瑠奈の声がしたと思ったら、手を引っ張られた。少しずつ肉体から夢の体……幽体が解離していく。
おおっ!
瑠奈にはまだこんな活用法があったとは!
「……」
おお、体が抜け出してきた抜け出してきた。もっと強く引っ張ってくれぃ。
「……」
どうした?
瑠奈が頑張らないで誰が頑張るんだ?
「……うざ」
途端に手を離され、幽体が肉体に戻ってしまう。
ちょっとー!?
「だってまったく努力してないんだもん」
焦った僕は、再び真横に回転しようとする。
一、二、三度目でようやく肉体から幽体が抜け出せた。
まだ視界は暗い。離脱した直後は視界が暗闇に閉じられていることが多く、周りの光景がぼやけて見える。
肉体に見えないなにかで引っ張られる感覚が付きまとう。
狭い視界のなか、僕は部屋の扉まで慌ただしく駆け寄り、扉を大きく開けて部屋から飛び出した。
離脱した直後は肉体に引き寄せられるため、なるべく急いでその重力に抗い肉体から離れることが必要になるのだ。
ようやく重力から解放された僕は一息つく。
「酷いじゃないか、なんで離すんだよ」
のこのこ部屋から歩いて出てきた瑠奈に文句を言った。
「いや、わたしが引っ張るのはいいとして、自分でも抜けようと努力してよ。引っ張られるのを見ながら、おー抜けてる抜けてるって、頑張ってるこっちがアホらしくなるよ」
瑠奈は不機嫌そうな表情を浮かべる。
たしかにそうなんだけど、あそこまで肉体から抜け出せていたんだし、べつに引っ張り出したあとで文句を言ってもいいじゃないか。
「失礼します」
と、いきなりリビングに見知らぬメイド服を着たポニーテールの女性が現れた。
「だ、だれ? あ、パートナー?」
唐突に知らないひとが現れ、しどろもどろになりながら問いただす。
「パートナーとは? どうぞこちらへ」
「こちらへって言われても……」
夢の世界なだけあって、突拍子もないことが起こるのはいつものことだが、家を出るまえに他人が出現したのは初めてだ。
「まあまあいいじゃん。お姉さんかわいいね!」
瑠奈はノリノリでメイドさんに歩み寄り肩などをタッチしたり、体を軽く触ったりする。レズにつくった覚えはないはずなのに、瑠奈はいつの間にか無類の女好きになっていた。どうしてこうなった?
「まあ、やることないし……」
目が覚めないように、壁を触りながらメイドさんの後に着いていく。油断すると目覚めてしまう。それほど不安定なのが、僕の幽体離脱。まだまだ訓練が足りないなぁ。
メイドさんは無言で玄関を開けると、隣のーー現実だと親戚兼大家さんが住む部屋の扉を開けた。
内装は現実の親戚の家と同じだ。
「そこで座ってお待ちください」
瑠奈と対角線上になるようにソファーに座り、メイドさんが来るのを待つ。あまり座っていると夢になるか覚醒が近づくから嫌なんだけど……。
「あのメイドさん、わたしに気があるのかなぁ?」
瑠奈は僕の悩みなど考えてすらいないようで、ルンルンとしながら笑顔でーーいや、厭らしい笑みを顔に浮かべながら呟く。
「いや、僕の方を見ていた。だから、気があるとしたら僕だ」
「いやいや、自分の顔鏡で見なよ? あり得ないって」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
なんだ、この会話?
しばらくすると、メイドさんはオレンジ色のゼリーらしき物体を二つ、お盆に乗せてキッチンから現れた。
「どうぞ」
それを僕と瑠奈の前に置く。
えっと……。
「どうぞ」
「は、はい」
「いただきまーす! あーんっ…………」瑠奈は早速ゼリーを口に入れると、そのままの状態で固まった。「…………」そして、視線をこちらに向ける。
食べてみろってことなのかもしれない。
仕方なく、机にいつの間にか置いてあったスプーンでゼリーを掬い食べてみた。
「……」
うっす……!
味がほとんどしないレベルで薄い!
これは幽体離脱だからなのか、このひとのゼリーだからなのか、物を食べるということをいままでしてこなかったからわからない!
「いかがでしょうか?」
「……やたら、その……ヘルシーですね」
メイドさんに訊かれ、僕はそう答えることしかできなかった。
結局、ずっと椅子に座っていたせいなのか、直後に現実へと返ることになるのであった。
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