曇れるセカイのハレマ

remono

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 そのセカイは雲に覆われていた。星のあちらこちらに建てられた天高くそびえる巨塔から立ち上る霞がセカイから陽光を奪っていた。生きとし生けるものは皆それを当然のことと受け止めて、日々を送って何事も成すことなく死んでいった。




 一つの言い伝えがあった。誰が言い出したか知らないがこんな言い伝えが。




 あの塔を登った先にハレマが見える。それはまるで天国のようだと。それは曇れる空の下で平凡に過ごす彼の胸に刺さった。棘のようにずっと胸に刺さっていた。




 彼は曇れるセカイを憎んでいた。どこか息苦しいと感じていた。だから塔に足を踏み入れることにためらいはなかった。大人の古ぼけたささやきなど気にも留めなかった。その雲無しには生き物は今や生きてはいけないなどと言う言葉などは。




 全然、まったく意に介さなかった。塔に登った他の人と同じように丹念な準備をし、塔に入り、雲の上を目指して螺旋階段を上り始めた。




 けれど。




 塔に登った彼はすぐに二人の神様に出会ってしまった。




 一人はすでに事切れていて、もうひとりは影しか見えなかった。影はおののく彼の前に、そっと少女の遺体を横たえた。息絶えた少女は何も語ることはなかったけれど、そこには手記があった。言葉があった。




 それが、神様だった。なぜなら彼に一つの啓示をくれたからだ。




 塔は登るものではない。壊すものだと。




 彼はそれを知り、塔を登るのを止めた。地上に戻り、みんなにその話を広め始めた。神の啓示によってもたらされた言葉として、人びとに伝え始めた。




 彼は神の存在を信じていたわけではなかった。けれど息絶えた少女とそれを抱えて階段を不器用に降りてきた人影は、神に近しいものだと、直感していた。




 話を聞いてみんなは鼻で笑った。あんな巨大なものが壊れるわけがないと。あんな数あるものが崩せるはずはないと。そしてこのセカイにはハレマが見えることはないと。だから彼一人で始めた。つるはしを持って、一人で。




 彼にとって、その事業は“それでも”やらなくてはならないことだった。一人では無理でも。遠く果てない道でも。つるはしの第一撃を、塔に向けて振り下ろした。




 何度か振り下ろしただけでつるはしの柄はあっさりと壊れた。彼はそれを修繕して使い続けた。なぜなら新しいものを手に入れる術がなかったからだった。何度壊しては直し、使い続けた。何十回も何百回も。




 やがてコツというものがわかってきたようだった。作業はゆっくり、本当にゆっくり進んでいった。技術の発展もあった。爆弾だ。彼はその威力を試したがっている職人にこうささやいた。




「あの塔が壊せるくらい強い威力のものなら、きっとその爆弾は売れるでしょう」




 こうして彼は後援者を得た。恋人も――その職人の娘だったけれど――得た。やがては後継者も。彼の家族は大家族になった。一族みんなで仲良く手分けして塔を壊し続けた。爆弾は塔という良い実験台を得て改良を重ね、次第次第に強力なものになっていった。




 爆弾の事業は成功し、彼等一族は小金持ちになった。もう一人後援者になった商人は信じられないほどの大金持ちに。もちろん、そんなことは彼は全然意に介さなかった。




 商人はあくどく、欲に塗れた人だったけれど彼等一族に取って良いところもあった。彼等の行為をセカイ中に教えて回ってくれたのだ。そうして何人かの賛同者を見つけてくれた。彼と彼の一族は、その人たちと一緒に塔の解体を行うようになった。




 いつしか彼等も彼の家族同然になった。




 けれどもまだ一つの塔も壊すことは出来なかった。




「これは大事業だな」




 仕事の合間にみんなで言い合った。だが楽しくもあった。作業は少しずつ進んでいることはわかったから。仲間も少しずつ増えていることもわかったから。ただ塔が巨大すぎただけだ。昔の人は良くこんなものをセカイ中に何百も作り上げたものだと言い合った。けれどいまやそれを壊すのだから世話はない。人間の業に呆れもしたし、それも言い合った。




 なんのためにこんなことをしているのか。彼に問いかけたものがいる。彼の答えはこうだった。




「ただハレマが見たくて。ヒザシをみんなと共有したくて」




 彼には実際それがどんなものかはわからなかった。けれどこの雲で覆われた大地の下で生き続けるのは息苦しいとずっとずっと感じていた。この雲の天蓋がこの星から取り除かれたら、きっとみんな幸せだろうと願っていた。




 それからだいぶ時間が経った。塔は一本も壊れなかった。




「少し疲れた。休んで良いかな」




 そう言って彼は永遠の眠りに落ちた。彼は結局ハレマもヒザシを彼は自分の目で見ることは叶わなかった。




 最初の塔が壊れたのは、その彼から数えて三代先のことだった。そしてその頃には塔のあちこちで同じような解体工事が始まっていた。彼が始めた教義にも似た行為は、ゆっくりとセカイに広まりつつあった。




 塔を壊せばハレマが見える。ヒザシが差し込む。そしてアオゾラが見え、タイヨウが輝く。




 祈るように彼の意志を継ぐものは塔を壊す。塔にとっては迷惑なことだったろう。けれども壊す。解体する。




 神の似姿も作られた。少女の姿をした神の似姿。この教えを天から地にもたらした存在。そして天に帰って行ったその付き人。きっと二人は天国の住人だろうと、人びとは囁いた。そして彼女たちをモチーフに、神話が形作られた。




 神の似姿は美しく、そして神話もまた多くの人の興をそそり、いままで塔の解体に興味の無かった人びとを引きつけるには十分すぎる役目を果たした。さらに多くの人がその神の似姿や神話の魅力に取り憑かれ、塔の解体に参加した。




 いつしか塔の解体はセカイ中のはやりになった。事業になった。セカイのあちこちで塔を壊すつるはしの音や爆弾の音が聞こえ始めた。それでも塔を壊すのには長い長い時間がかかった。




 それでも人は歩みを止めず、長い時間、本当に長い時間をかけて塔が何十本も何百本も壊れ、星を覆う雲は次第に薄くなり、そしてやがて一筋の光が地上に差し込んだ。それがハレマだった。ヒザシだった。




 ハレマを見た人びとはすべての仕事の手を休め、それを仰ぎ見た。ヒザシを浴びた人はその力強さに驚きもした。希望の笑顔が皆からこぼれる。それは新たなる時代の幕開けでもあった。塔を解体する作業にも拍車がかかった。ヒザシを浴びた人達は生き生きしたように新たな発明を生み出し、技術を発展させた。




 やがてハレマは広がり、ヒザシがセカイの至る所で差すようになった。アオゾラが見え、タイヨウはその力を取り戻した。塔はどんどん壊れていった。




 そんな中、一つの言葉があった。




“おめでとう”




 とある塔に記録されていた言葉だった。だからそれを聞いた人はこう返した。塔の意識と呼べるものは遠い昔に解けてしまっていたけど。




「ありがとう。いままで私たちを守ってくれて」




 天へ向けて言葉を放つ。きっと届くことはない言葉を。だけど“それでも”を信じて言葉を放つ。放ち続ける。




 言葉は祈りへ。そして祝祭へと。塔の存在が忘れられても、祈りと祭りだけは続いていく。塔を壊す一族のこともやがて神話の中の存在として忘れ去られた。残ったのは祈りと祝祭と神の似姿だけ。




 祈りは今も続いている。定義も忘れられた祝祭も。神の似姿も今も描き続けられている。今や、セカイはハレマに満ちていた。そのハレマの下で人も動物も植物も、力強く生きている。




 それが人と機械が織りなした奇蹟であることを知るものは少ない。

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