22.人は皆、一度は恥を晒す

 私の周りには現在気まずい空気が漂っていた。

 カラオケに来て、それから曲を入れて、自分の番まで回ってきたところまでは良い。

 だが歌い終わるのと同時に誰も私と視線を合わせてくれなくなった。どうしていきなりこんな空気になってしまったのだろうか。


「あの、どうしたの? 二人とも」


 流石に耐えきれなくなって私から声を掛けると、恐る恐るといった感じで楓が拍手を始める。


「いやー、すごく綺麗な声でしたよ」


 楓に便乗して桜田もどこか気まずそうに言葉を発する。


「そうだな、声は綺麗だったと思うぞ」


 何故さっきから二人は私の声ばかりを褒めるのだろう。数多あまたある褒め言葉の中で二人とも同じ言葉をチョイスする。それもどこか遠慮しているなんて何かがおかしい。


「そう、ありがとう。二人とも何か気になるところとかあった?」

「き、気になるところですか? 私はその……あ、桜田はどうですか? 何かあります?」


 唐突に私から視線を逸らし桜田の方へと視線を移動させる楓、こんな反応をされれば何か隠していますと言っているようなものだ。

 楓にこれ以上聞いても無駄だろうと思い、今度は彼女の視線の先にいる桜田を見る。


「桜田君の方は何かある?」

「え、俺か? そうだな……」


 一瞬慌てた桜田はそれからチラッと楓の方を見て謎のアイコンタクトを取る。

 何をしているんだと疑問に思って見ていると、突然桜田からやや真剣な面持ちで声を掛けられた。


「有栖川、まず俺達が決して馬鹿にしているわけではないということを知っていて欲しい」

「いきなり何?」


 突然声を掛けられたと思ったら、重々しい空気を醸し出し始める桜田。

 果たして彼は何を語ろうとしているのか。固唾を飲んで見守っていると彼はゆっくりと口を開いた。


「率直に言うとだな。有栖川、お前は恐らく音痴と呼ばれる類いの人間だ」

「……音痴?」


 一瞬言われた言葉を理解出来ずに復唱すると、桜田は深々と頷く。


「そんなの嘘だよ。だって私は完璧美少女なんだから」


 そうだ、この私が音痴であるはずがない。運動も勉強も、容姿だってこんなに優れているこの私が。


「そ、そうだ、楓はこの前私の鼻歌を褒めてくれたよね?」

「は、はい!? 私ですか!?」

「そうだよ。覚えてない?」


 そう、あれは楓が無理やり私の弟子になってきた日のこと。彼女の犯罪的行為によって私の鼻歌は聞かれている。

 そのとき彼女の口から確かに聞いていましたと伝えられているし、あの日のことはきっと彼女も忘れていないはずだ。


「そうですね。覚えています」

「でしょ? だったらそのときなんて言ったのか分かるよね?」

「それは……とても声が綺麗でしたと言っていた記憶があります」


 あれ、おかしい。それだと今の言葉と何も変わらない。


「他に何か言ってなかったっけ?」

「他ですか? えーと、その……はい」


 私の問いかけに考える素振りを見せるが結局見つからなかったのか楓は最後何かを誤魔化すかのように笑顔を見せた。

 ということは本当にそうなの?

 私ってまさか音痴だったの?

 認めたくはないが私自身記憶を探っても、彼女がさっき言った言葉以外にそれらしきものは出てこない。


「有栖川、もう良いんだ。俺達は気にしないぞ」

「そ、そうですよ。例え音痴だったとしてもそれはそれで魅力になります。ギャップです、それで行きましょう」

「……音痴」


 面と向かって音痴と言われると何か心に来るものがある。そっか、私って音痴だったんだ。


「それにこれから練習していけばいいんだ。大丈夫だ、有栖川ならきっと上手くなる」

「私も微力ながら協力しますよ」


 ここまで言われてしまえば、もう認めるしかない。

 それに彼らだって私を馬鹿にするためではなく、今後私が出来る限り傷つかないように気を使って言ってくれただけなのだ。

 でもね、それでもね。いくら相手が気にしていないからと言ってもね。恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ。

 どうして私は今まで自信満々だったんだ。

 今の私はきっと顔が赤くなっているはずだ。鏡を見なくたって分かる。だって恥ずかしいんだからね。


「えーと、私お手洗い行ってくるね。じゃあそういうことだから」


 叫び出したくなる気持ちを押さえて、私は一目散に部屋を飛び出した。

 もしかしたら実際に叫んでいたのかもしれない。


「あぁああーっ!」


 今この時だけは外聞のことなんてどうでも良かった。何が完璧美少女だ。ろくに歌も歌えないなんてただの美少女じゃないか。


「お、おい! 有栖川!」


 後方から桜田の声が聞こえてくるが気にしてなんていられない。今の私は誰にも止められない。


「そっちはお手洗いじゃないぞ!」


 だが私の決意とは裏腹に桜田の声で足が止まってしまう。急激に熱くなっていく頬。それは先程の恥ずかしさと相まって今まで感じたことがないほど未知の温度になっていく。


「……って桜田、一体何を言ってやがるんですかっ! それだとまるで有栖川さんがお手洗いに行くために全力疾走してますって公言してるようなものじゃないですか!」

「何か問題なのか?」

「大、大、大問題ですよっ! ここはカラオケ店で他にもいっぱい人が来てるんです。そんなところで桜田はデリカシーのかけらもないことを叫んだんですよ? 桜田はお馬鹿さんです。まるで女の子の気持ちが分かってないです。よーく自分の胸に手を当てて考えてみてください。何をしなければいけないか分かりますよね?」

「……そうだな、すまん」

「謝る相手が違います!」


 後方から楓が激しめに桜田を注意する声が聞こえる。今の私は一体周りからどう思われているのだろう。

 お手洗いの場所を間違える馬鹿な女?

 それともお手洗いに奇声を上げながら駆け込む電波女?

 どちらにしても私にとってマイナスなことには変わりない。


 もういっそのこと殺して欲しかった。人前でこんなに恥を去らしたのだ。これから先、堂々と生きていく自信なんてもうない。


「あぁああーっ!」


 とにかく私は前へと走ることしか出来なかった。

 ただ闇雲に前へと走ることしか。

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