第五話 契約書の在処

 俺たちは睡眠中の警備員に更に深い眠りについてもらうよう、睡眠薬を警備服にしみ込ませる。

 気化した睡眠薬が呼吸するたびに吸い込まれるので、当分これで起きることはない。起きそうになった瞬間に脳がお休み状態になるので、この警備員は当分の間いい夢を見ることが出来るだろう。


 警備員が睡眠についたことを確認すると、俺たちは少し離れた塀の一角にしゃがみこむ。


 以前は塀をそのまま飛び越えていたが、今では塀の上に張り巡らされている有刺鉄線に電流が流れている。この電流は警報にもつながっており、電流が何らかの理由で途切れると屋敷中に響き渡る警報が鳴る仕組みになっている。相当高電圧の電流が流れているようで、一度試しに鳥の死骸を投げつけてみたところ、見事焼き鳥になった。


 それに加えて、騒音と聞き間違えるほどの警報が屋敷中に鳴り響き、焼き鳥を確認するために警備員が集まってくる始末だ。恐らく電流が途切れたことを察知して警報が鳴る仕組みになっているのだろう。俺は依然同様塀の上からよじ登ることを断念せざるを得なかった。


「セリー、スコップを出してここの土を出すのを手伝ってくれ」


「は、はい!」


 上からいけないのであれば、下からくぐるしかない。

 幸いにもここの塀は平らにした地面の上にレンガをそのまま積み立てる形で作られていた。塀の下には何も埋められておらず、人一人が塀を潜り抜ける規模も穴を作るのに、それほど深く掘る必要はなかった。あくまでも塀の下に隙間を作るだけの作業、俺一人で数十分あれば十分だった。


 隙間を布でなどで隠して、簡易的に穴をふさぐ方法を模索したのだが、この穴を使って屋敷から脱出すると、屋敷側の穴をどうしてもふさぐことが出来ない。やむを得ないが、利用するたびに埋め立てて、掘り返すということを繰り返している。

 ただ、一度掘った土は柔らかくなっており、それほど作業に時間を費やすことはない。ましてや今日はセリーもいるので、より早く塀の穴を作り出すことが可能だ。


「ゼルさん、穴貫通しました」


「……俺からいこう」


 俺は匍匐前進するように塀に空いた隙間を潜り抜ける。塀が丁度俺の背中をかするぐらいの穴であり、セリーほどの体格であれば、余裕ですり抜けられるだろう。

 塀を潜り抜けると、俺は周囲を確認した。ここ数日の調査で警備員の位置はほぼほぼ把握していたため、屋敷の四隅に当たるここが死角になっていることは知っていた。しかし、念には念を重ねるため、潜り抜けた瞬間に俺は四方を確認する。


 問題ないことを確認した上で、俺は塀の下の穴から顔をのぞかせ、セリーにこっちへ来るように合図をする。セリーは難なく塀を潜り抜け、屋敷に侵入することに成功した。


「裏口まで走るぞ、音を立てるな」


「はい、大丈夫です」


 この家の窓は全て小窓に取り換えられてしまったので、窓から侵入することが出来なくなった。正攻法で行くしかないだろう。俺たちは使用人が使用する裏口から入ることにした。塀の周囲はかなり警備が頑丈になったが、ここの鍵はまだ旧型であり、針金さえあれば数分で開けることが出来る。

 実戦経験を積ませるためにも本当であればセリーにここの開錠を任せたいものだが、今日はそんなことをしているゆとりはない。失敗したら取り返しがつかないし、ここは速度重視だ。俺は以前侵入するときに作っておいた針金を取り出し、鍵穴に差し込むと、カチッという音が鳴る。


 鍵が開いた音で反応した警備員がいないか周囲に目配せをした後、俺たちは裏口から屋敷の中に侵入することが出来た。

 裏口からは使用人たちの倉庫と台所が玄関だ。隣の別室には使用人たちの部屋があり、大きな音を立てるとバレてしまうだろう。俺たちは音を立てずに素早く通り抜ける。


 俺はグランテ夫人の部屋へ向かうと手で合図をする。

 セリーも意図を理解したように人差し指と親指で丸を作っていた。


 グランテ夫人の部屋の前へ着くと、俺はセリーに待機するよう合図を出す。

 間取りは確認し、中も軽く覗いてはいたが、今まで部屋の中へは侵入していない。重要なものが置かれているのであれば、何かしらの罠が仕掛けられているはずだ。俺は細心の注意を払って忍び込むことにした。


 俺はゆっくり扉を開けると、辺りを細かく確認をする。広い部屋のはずなのだが、一見物置ではないかと錯覚するほど物の多さに圧倒される。服や宝飾品だけではなく、工具や雑貨など、とりあえず様々なものが積み上げられていた。

 罠に警戒するように、俺は部屋の中に入っていく。ドアにワイヤーが張られていないか、敷かれた絨毯に不自然なふくらみはないか、部屋中に変な匂いが充満していないか、自分の五感と経験を使って怪しいところを徹底的に洗い出していく。


「……セリー、なるべく絨毯の足の跡に沿って歩くようにしてくれ。恐らく警報を鳴らすための電線が張り巡らされている」


「は、はい」


 俺は絨毯に踏まれている部分と踏まれていない部分があることに気づく。

 様々なものがあちらこちらに散らばっているため、絨毯の色彩が埋もれているが、よく見ると足跡がうっすらと描かれている。ここにあるものを取ったり、掃除したりなど、使用人がこの部屋に入ることはあるだろう。使用人の仕事に支障を及ぼさない程度に、通り道は確保してあったのだ。


「……でも、こんなに身動きがどれないんじゃ、ろくに物色できませんね……契約書もどこにあるか分からないですし……」


 セリーは半ばあきらめた様子を見せる。

 ただ、俺にとって、この境遇は幸運だった。


「セリー、お前はしょんぼりしているようだが、お前の推測通り契約書はこの部屋にある……しかも場所もわかった」


「……えっ?」


 俺は部屋の隅に置かれた化粧台を指す。

 横長の台に大きな鏡が壁に貼り付けられており、台には複数の引き出しがある。貴族のご夫人となればその引き出しの中に様々な化粧品や宝飾品を入れているのだろうが、どんなに物が敷き詰められていようと、契約書一枚隠すには造作もないだろう。


「契約書はあそこの引き出しの中だ……もっと詳細に言えば、化粧台の椅子が置いてあるところの左端の引き出しに契約書が入っている」


 使用人が利用する道は化粧台まで繋がっておらず、化粧台まで行くにはどうしても電線が敷かれた絨毯の上を歩かなければならなかった。俺がジャンプしてもギリギリ届くかどうかの距離だ。


「ど、どうしてわかるんですか?」


「ああ、分かる。簡単な推測だ」


 これからの行動を理解してもらうためには、俺の考えに納得してもらう必要がある。

 あまり時間はないが、セリーに簡単に説明することにした。


「この部屋は見渡す限りもので溢れている。一見無造作に置かれているように見えるが、それは間違いだ」


「どういうことですか?」


 俺は絨毯の足跡を指さす。小窓から降り注ぐ月明かりが頼りなので、正直視界はあまり良くない。

 だが、暗闇の中で南京錠を針金で開ける訓練を徹底的にしたセリーには、これほどの暗闇は明るいぐらいだった。そもそも窓のない部屋で長い間拘束されていたのだ。周囲を少しの光で見渡すことぐらいセリーにはたやすいだろう。


「この絨毯の足跡だが、しっかりここにある全ての物を手に取ることが出来るように張り巡らされている。恐らくここの品々は使用人も使うんだろうな……ただ、例外がある。それが、あの化粧台だ」


 あの化粧台に繋がる道だけ分断され、そして大量に積み上げられた雑貨が壁となっている。

 俺たちはもちろん、使用人ですらあの化粧台にだけは触れることが出来ない。警報覚悟で突っ切るしかないが、使用人にそれをするメリットはない。


「あの化粧台の椅子もよく見ると化粧台とワイヤーで繋がっているだろう。あれは罠だ。どんな罠は実際にかかってみないと分からないが、大切なものを守るための最後の砦だし、警報が鳴るだけじゃすまないだろう。そうだな……俺だったら痺れ薬か睡眠薬が噴出するような仕掛けぐらいは作るかもしれない」


「なるほど……」


 セリーは頷くが、完全にしたとはいえないようだった。


「大切なものがあの化粧台に入っているのはわかりました……けれど、なぜ契約書がそこに入っているといえるのでしょうか?」


「それは……」


 確かにセリーが言う通り、これら全ては大事なものを守るための仕掛けではあるが、その大事なものが契約書であるとは限らない。もしかしたら他の書類かもしれないし、高価な宝飾品かもしれないし、思い出の品かもしれない。最も最後のやつに関してはグランテ公爵の人柄上考えにくいだろうが。


「――勘、だな」


「勘……?」


「ああ、長年培ってきた盗賊の経験から来る、勘だ」


 化粧台の中を見ていないのに、俺には確信があった。そこに俺たちが探しているものがあるのだと、導いてくれている気がした。論理的には説明できない直感が、俺のすべきことを教えてくれた。


「そうですか……」


 俺は勘以外にこれを形容する言葉が見当たらず、咄嗟にそう言ってしまったことを後悔する。

 これでセリーが納得しなかったら、仕方がない。一旦あの化粧台の調査を諦めて、他に探せるところを探しに行くしかない。流石に一晩でこの屋敷を探しつくせるとは思っていないが、複数晩にかけて訪れれば何とかなるだろう。


 俺の心配とは裏腹に、セリーは笑顔を見せた。


「なら、安心ですね! 私、ゼルさんの直感を信用します……これからどうすればいいですか?」


 セリーは非論理的で、全く説得力のない俺の直感を信じてくれた。盗賊としての俺の評価なのか、それとも普段培ってきた信頼関係なのか、何がセリーをそこまで俺の言葉をすんなりと受け入れさせるのかは分からない。

 ただ、今俺が知ったのは、メッテだけではなく、セリーも同様に、俺のやることに――理想に、手を差し伸べてくれるということだった。


「ああ、こうなったら、方法は一つしかない」


 あそこに欲しいものがあることは確信している。

 この部屋中に張り巡らされた罠をかいくぐるのはほぼ不可能だろう。


 ならば、道はおのずと定められたも同然だ。


「――罠を発生させる」

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