第五話 傷の理由
「私は……公爵の娘です」
「ええ!? つまり貴族様ってこと?」
メッテはあからさまに驚く素振りを見せる。
俺も驚きで心が震えている。劣悪な環境で監禁されているのだから、それ相応の身分だと考えていたのだ。奴隷か、それとも家政婦か、はたまた娼婦か。まさか身内だとは思いもしない。
「家系図上はその通りですが、公爵にとって私は連れ子です……血は繋がっておりません。グランテ公爵……もとい私の父上は既に三度結婚しております。私は二人の夫人の娘です」
グランテ公爵の女癖の悪さは巷ではかなり噂されている。
金は腐るほどあるので結婚は出来るのだが、性癖が異常なだけに長続きする女性が一人もいないのだとか。現在も結婚はしているものの、公爵夫人が失踪同然でいなくなっており、表面上は夫人が公務で長旅に出ていることになっている。
「……母は貧しい踊り子の家系でした。私を妊娠しているときに父さんが事故で亡くなり、踊りだけで私を育ててくれました。踊り子は不安定な職業で仕事があるときもあれば、ない時もある職業です。お金がなくて、ご飯が食べられないときでも常ににこやかに微笑んでくれた。そんな優しい母でした」
セリーは母親を懐かしむように、柔らかい声で語る。
「ある日、グランテ公爵が母の舞台を見に来た時、母の美しさに一目ぼれしたそうです。公爵はありとあらゆる権力を使って私の母について調べ上げ、求婚しました。そして母は公爵が持っている財産に惹かれ、それを承諾したのです。……今でも母が『これで毎日ご飯が食べられるね。暖かいベッドで寝られるね』と言っていたあの笑顔は、忘れられません」
この社会での地位を上げたければ、方法は玉の輿しかない。
職業や地位は基本的に生まれたときから定められているが、結婚をした場合、女性は男性の職業についていくことになっている。セリーのケースであれば、踊り子として生まれた母が公爵と結婚することで踊り子の職業を捨て、公爵夫人へと転身したということだ。
逆に男性には職業を変える手段はないと言ってもいい。役所に届け出れば職業を変えられることにはなっているが、よっぽどのことがない限り受理されない。耳が聞こえなくなったら歌手をやめたい、ぐらいの深刻さがないと認めてくれない。
セリーは続ける。
「ただ、グランテ公爵は残虐な性癖の持ち主でした。女性を鞭で叩き、首を絞め、苦しむのを楽しむ人でした。人が苦しめば苦しむほど心が満たされる、異常な人間でした……そして、母は、ある日突然失踪しました。私にだけ『ごめんね』と書いた手紙を残して」
メッテは両手で口を押えながら、目に涙を浮かべていた。セリーの母が味わった苦悩を、鮮明にイメージしているのだろう。メッテの共感力は高い。つまり涙もろいということだ。
「母がいなくなった後、彼のおもちゃに選ばれたのは私でした……現在の夫人と再婚して大人しくなった時期もありましたが、またもや失踪すると私は監禁され、ぶたれる毎日が続いていました」
「それは……どれぐらい続いたんだ?」
「さあ……どれぐらいなのでしょう。ゼルさんであればわかると思いますが、あの部屋は太陽の日が差し込まないでしょう? どれぐらいの日が経ったか、私には分からないのです……とにかく、長かったのだけは覚えています」
あの空間の中にずっといたら体内時計でさえくるってしまいそうだ。時計もなければ太陽もない。
ただの弱いランプと自分を痛めつける拷問器具だけがそこにあったのだから。セリーから聞いた状況だと公爵から親切にされる覚えもないし、食事も決まった時間にとれたとは限らない。何度寝て起きたのか、ただそれを数えるだけの日々だったのだろう。
「酷すぎる……!」
メッテは涙を浮かべながら、そうつぶやく。
それほどまでメッテが話に共感できるということは、恐らくセリーが話していることは紛れもない事実、または事実に等しい物語だ。盗賊は立場柄、人に騙されることが多く、嘘を見抜くことは小さいころから徹底的に学ばされる。
何をどのように嘘ついているかまでは知る由もないが、不自然な発言であれば大体感じ取ることが出来る。しかも、この直感に関しては俺よりもメッテのほうが高い。女性ならではのカンといったところだろうか。
「……いえ、今になっては過去の話ですから、ゼルさんに誘拐してもらいましたし……」
セリーは少し不安そうに見えた。
俺も状況に後押しされた感じでセリーを誘拐したものの、これからセリーをどうすればいいのか決めかねていた。
「……俺はお前を誘拐したが、これからどうするかはお前の自由だ……帰りたければ、帰ればいい」
俺は判断をセリーに投げることにした。自分のことを最も知っているのは自分だ。
自分にとって最も好ましいと思える選択肢は自分しか選ぶことはできない。ここで俺が勝手に方向性を決めてしまうのも彼女にとってベストではないかもしれない。であればセリーにその選択権をゆだねたほうが良いだろう
「今戻ったら、恐らく本当に殺されてしまうでしょう……父上はプライドの高い方です。もし私が外にいることがバレ、そして私の状況を世間に話しているかもしれないと彼が感じたら、恐らく私を何かしらの方法で殺すでしょう……」
セリーの発言に俺たちは無言になる。
世間での公爵の噂とセリーの物語からするに、その推測に説得力があることを俺たちは知っていた。
メッテの母親、つまり公爵の前妻も世間ではもしかしたら既に暗殺されているのではないかという噂すら出ている。あくまでも噂の域を超えないし、根拠があるわけではないが、公爵がそう言ったことをやりかねない人間であるというのが世間の評価である。
「……ゼル、ちょっといい」
メッテは立ち上がると俺に下の階に来るように促す。恐らく俺と同じ疑問を抱えているのだろう。
俺たちの声が聞こえないように部屋の扉を閉めると、俺たちは階段を下って食卓机に向かいあうように座った。まだ部屋にもっていっていない盗賊道具が机の上に散乱している。
「……あの子どうする?」
メッテは単刀直入に本題に入るようだ。
「……分からないな」
「私の家に連れて行ってもいいけど……」
悩んだ様子でメッテは左下を向きながら、そう呟く。
「……いや、それはやめておこう」
俺はその顔の意味を知っている。
メッテがこんな表情をするのは、大抵本心じゃないことを言っているときだ。
メッテはここに来るのでさえ親に反対されている。
ましてや俺が拾ってきた少女の面倒を見るなど、メッテにとって相当難易度が高いお願いになるだろう。しかも、セリーがグランテ公爵に邪険に扱われていたとはいえ、誘拐された貴族の娘をかくまうことになる。いくら盗賊でも社会で権力を持っている貴族に目を付けられたくはあるまい。
「……ねえ、ゼル。ここに住ませようよ」
「ここで……か」
心の中ではそれしか選択肢がないのが分かっていた。
だが、俺も貴族に変に目を付けられたくないという気持ちはメッテと同じだった。盗賊としてはそこそこ腕が立つかもしれないが、貴族を敵に回して損はしても、得をすることはまるでない。
奴隷や家政婦などであれば適当に住み込みの仕事にぶち込めばいいが、流石に貴族となると難しい。
仕事をするとき、その仕事に合った身分になっているか役所に行って証明する必要があるのだが、貴族であると判明すれば誰も雇ってくれない。雇用主からすれば当たり前だ。貴族相手に掃除しろ、なんて指示を出せるわけがない。ましてや貴族の中でもグランテ家は強大だ。
「ゼルの考えていること、何となくわかるよ……でも、ゼルは必要なもの以外盗まないって知ってるから。ふふ、ヒーローさんならどうするんだろうね」
4年前のドラゴンとの闘いで生還したときに、メッテにはレミアンのことは語らざるを得なかった。
クエスト難易度Aに一人で乗り込んでいったのだ、何事もなければ死んでいただろう。メッテに嘘をついてもどうせバレる。であれば洗いざらい話したほうがいいと判断し、その当時は話したのだが。
「……ああ、わかった、わかった」
その代償として、俺が迷ったときに「レミアンならどうするか」という問いを突き付けられる。
俺自身も迷ったとき指標にしているが、人にそれを迫れられるのは何か癪である。
「大丈夫、いつも通り私がお世話しに来るから、ゼルには負担欠けないと思うし……あ、でも、あの子に変なことだけはしないこと!!」
「しないに決まってるだろ……」
誘拐はしたが決して性的に自分のものにしたいと思っているわけではない。
まだ正確な年齢は聞いていないものの、容姿も幼く見えるので、個人的には新しく妹が出来たような感覚である。妹なんて二十年間生きてきて持ったことがないのでどう対応すればいいのか分からない。とはいえ、そうも言っていられない。
メッテは本題を十分話すことが出来たといわんばかりの笑顔でにやけながら、階段を上っていく。
「じゃあ、とりあえずセリーちゃんに伝えてこようか!」
セリーちゃん……か。どうやら妹が出来たのはメッテのようだ。
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