第三話 盗賊の足跡

 不覚だった、としか言いようがない。

 これほど厳重に戸締りがされていた部屋の中に人がいるのは想定外だった。仕事中に人に出会ってしまったショックからか、心臓の鼓動が止まらない。人と目があってしまった瞬間に、俺にとっては失敗と同義だった。


「泥棒さん……ですか?」


 その少女は弱弱しい声で俺に声をかける。


 まともな衣服を着用していないからか、四肢がむき出しになっている。火傷の痕もあれば大きなあざもあり、酷い虐待に合っていることが、頭の中で鮮明にイメージできるほどに全身が傷だらけだった。最近も暴行に合ったばかりなのだろう、太ももに切り傷をなぞるように大きなかさぶたがあった。


「……」


 俺はおもむろにこの部屋の中を隅々まで探索する。

 これほど厳重に仕込まれた部屋なのだ、もしかしたら壁の中に金の延べ棒が埋められている可能性すらある。俺は壁という壁を叩きながら耳をあて、材質が異なる壁がないかチェックをする。


「こ、ここには何もありませんよ……私しか、ありません……」


 黙々と作業をする俺を眺めながら、少女はつぶやく。調べたところ、確かにこの少女と拷問器具しかないようだ。残念ながら壁の中に異質なものが混じっていることは確認できなかった。


 つまり、非常に面倒な事態に陥ったということである。


 得るものは収穫することが出来ず、それだけではなくこの少女に顔を見られてしまった。少し盗みの痕跡を落としものしてしまったというレベルではない。思い切りこの少女の記憶の中に俺の性別、体格、服装などを知られてしまった。れっきとした証人を生んでしまったのである。


 俺は腰からナイフを取り出し、少女に近づく。


「……私を、殺すんですか?」


 ここでこの少女の口止めをするには、彼女を殺すのが最も手っ取り早い。


 脅して口止めをするというのも一案だが、確実性に欠ける。

 想像するにこの少女はここの公爵にいいように弄ばれているのだろう、盗みが発覚した反動でこの少女に八つ当たりでもすれば、この少女がうっかり俺について口走る可能性すらある。可能性を消すにはこの少女を消し去ったほうがいいに違いない。


 ナイフを取り出したものの、ゆくゆく考えてみたらナイフで刺し殺すと大量の血が出て後処理が面倒だ。

 盗み慣れているし、護身術もそこそこ身に着けているが、人を殺したことはまだない。そこらへんにぶら下がっている鞭でも使って絞殺したほうが証拠を最小限にすることが出来るのだろうか。そんな思考が頭の中をよぎる。


「……いいですよ、別に殺しても?」


 少女は全く怯えた様子を見せずに、微笑みながら俺にそう語る。

 笑った表情の目の奥は、空っぽだった。


「……どうせ、いつ殺されるかわかりませんでしたし」


 彼女の傷から、その言葉が嘘ではないことは何となく伝わっていた。首元にも締め付けられた跡がうっすら残っていた。

 この少女は俺が今やろうと思ったことを既に経験している。


 ナイフを握る手に汗がにじんだ。

 俺はふと、昔レミアンに送ってもらった言葉を思い出す。


 ――優しい盗賊、か。


 今の今まで俺はその言葉を頼りにもがいていた。


 俺は十分強くなった。

 どんなクエストでもこなせるようになった。金持ちから盗んだ品々はより必要としている人々へ渡した。


 でも、いまだに俺が「優しい盗賊」になれたのか、自分でも分からない。


 俺がレミアンだったら、どうするのか。

 傷ついた少女が目の前にいる子の状況で、俺のヒーローだったらどのような行動をとるのか。


「……いや、殺さない」


 ――答えは明白だった。


「……歩けるか?」


 俺は少女に手を差し伸べる。

 レミアンが、昔俺にそうしたように。


「……歩けます」


「……わかった。とりあえず、この靴下を履け」


 俺は革袋からスペアの靴下を少女に渡す。状況と匂いから察するに、この少女は相当不衛生な環境で過ごしてきたようだ。足の裏も汚れているし、このまま移動すれば痕跡が残り放題に違いない。


 少女はダボダボの黒い靴下を履くと、ゆっくりと立ち上がる。身長は俺の肩ぐらいまでしかなく、女性としても低いほうだろう。薄暗いランプの光でしっかり見えていないものの、まだ成人したてだろうか、外見は12歳ぐらいだ。


「俺はお前を誘拐する。……いいな?」


「……はい」


「……俺の後ろについてこい、音は絶対に立てるな。いいな?」


「……はい」


 これから行動を共にするとなると、せめてある程度の合意は事前にとっておいたほうがいい。

 誘拐をする相手に「誘拐するぞ」というのも改めて考えると変なことなのだが、そうも言っていられない。色々散策をしたせいで、この屋敷にも長居をしてしまった。そろそろ退散したほうがいいだろう。


 しばらく歩いていないのか、少女は歩きはぎこちなかった。

 俺は少女の速度に合わせるように先頭を歩き、何とか俺が侵入してきた二階の空室に到着する。俺が一人で駆け上がるよりも数倍、もしかしたら数十倍は遅い。正直、いつ誰かが現れないかハラハラドキドキしてはいたが、天は俺の味方をしてくれたようだった。


「しまった……」


 二階に来てふと気づく。考えてみれば、二人を想定して逃走経路を練っていなかった。


 俺一人であれば、ここから隣の木に一旦着地してから、もう一段階下へ降りれば地上に降りることができる。

 だが、そんなアクロバティックな動きが出来るのは、あくまでも俺だからだ。一般人が、それこそ階段を上るのがやっとな少女にそんなことが出来るわけがない。


 俺はしばし考えた結果、布袋から透明な薬品を取り出す。

 少女の後ろを向きながら、俺はマントで鼻を隠す。


「おい、お前……こっちへ来い」 


「はあ……はあ……わかりました……」


 あの部屋の中で相当長い間隔離されていたのだろう。階段を上がっただけで、息切れが激しくなっていた。

 少女が近づくと、俺はおもむろに少女に向かって振り向き、蓋を開けた薬品を鼻にあてた。


「え……うっ……なんで? ……ねむく……」


 公爵でさえ、この薬品で地ならしするほどのいびきをかいていたのだ。いたいけな少女に効かないわけがあるまい。

 睡眠薬で力が抜けた少女の体を支え、肩で担ぐように持ち上げる。見かけ通り、軽い。これであれば余裕で飛ぶことが出来る。


「すぴー……すぴー……すぴー……」


 俺は少女の体を担ぎ、音を立てずに窓の外へ飛び出す。

 月明かりが俺の姿を照らし、そっと地面に影を投影する。


 流石に人を担ぎながら有刺鉄線を飛び越えることが出来ないと判断した俺は、やむを得ず有刺鉄線を切ることにした。全力で引き延ばされた鉄線はゴムのようにちぎれ、「ギュイン!」という大きな音が鳴った。


「侵入者だ!! 侵入者が壁にいるぞ!!」


 警備員がそう叫ぶのが先か、俺が壁の外に出るのが先か、そんなの結果は見えている。

 庭園のお花を眺めながら散歩している奴らが、俺に間に合うわけがない。


 家へ走りながら、俺は眠る少女の横顔をチラッと見つめる。

 白い頬は歩き疲れたのか、赤く染まっていた。


「とうとう俺も誘拐犯だぜ……レミアンさん」


 誰も答えてくれないその声は、ゆっくりと夜中の空気に消えていった。

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