第五話 盗賊の弱さ

 洞窟は町の北東に馬車で半日ほど離れた場所にあった。


 洞窟の近くは鉱業が盛んで、人通りも多く、この討伐クエストを依頼したのも鉱業をするにあたって支障が出るかららしい。昔からずっと掲示板には張ってはいたものの、誰も受理する人がおらず、その修平で鉱業に勤しむ人々はその洞窟を避けるような形で鉱物を発掘していたのだとか。


 御者によれば魔獣はここら一帯の長らしく、魔獣が討伐されれば必然的にここら周辺の獣たちも散るに違いないという。酒場の連中に俺の成果を見せつけるには丁度いい。魔獣の首でも持って帰って俺に酒をぶっかけたあの細い商人の度肝を抜いてやる。


 洞窟までの道はきれいに整地されていた。これも洞窟の採掘を試みたが、断念したときの名残らしい。

 こちらとしては洞窟の前まで馬車が入ってこれるだけありがたい。その分歩かなくていいし、変に道に迷うこともない。


「……へっ、意外とちょろいな」


 洞窟の中は流石に整地されておらず、照らす松明もない。盗賊で徹底的に暗視を教え込まれたので、真っ暗でない限り辺りの地形ぐらいは把握できる。多少ぼやけてはいるが、石ころに躓いて魔獣に気づかれるなんてこともない。


 ターゲット以外の魔獣と遭遇することはなく、早速ターゲットの魔獣とご対面だ。

 なんだ、俺でも意外とやれるじゃないか。何を今まで恐れていたのだか。


 とはいえ、俺は正々堂々魔獣と戦うつもりはない。

 そもそもターゲットである大型のドラゴンに俺のナイフが刺さるわけもない。ドラゴンの鱗は質が悪いものでさえ鎧や盾の素材になったりしているのだ、盗賊のナイフを安々と突き通してくれるはずもないのである。


「さて、っと……これで大丈夫だな」


 睡眠中のドラゴンの鼻先にそっと毒薬を忍ばせる。


 この毒薬はどんな魔獣でも呼吸器官を麻痺させ、死に至らしめる作用を持っている。もちろん一般的に薬剤商店で売っているものではない。母さんに教えてもらった、盗賊家秘伝の猛毒といったところである。

 毒は体が大きければ大きいほど、呼吸がゆっくりであればゆっくりであるほど巡りが遅いという。特別毒の純度が高い薬品を作ってきたものの、人間五人ほどであれば丸呑みできてしまいそうな大きさのドラゴンだ。死ぬとしても即死とまではいかないだろう。


 俺はドラゴンの様態を岩の陰に隠れながら、遠くで観察していた。


「……グルルゥ……!」


 毒に気づいた様子のドラゴンが目を覚ます。

 いけ、そのままくたばってしまえ、俺は心の中でそう叫んでいた。


「……グルルルウオオオオオオオオオオオオオオンンン!!」


 ドラゴンは雄たけびを上げると、しっぽを振り回しあたりの岩を破壊する。

 このドラゴンが特別暴れっぽいという話は聞いたことがなかったが、毒をすった影響なのか気性が荒くなっているようだった。あたりかまわずドラゴンは動き回る。洞窟の壁に体当たりをしたり、しっぽを振り回して岩を粉々にしたりしていた。


 毒が体に充満すると、当たり前だが体は拒絶反応を起こす。

 俺はこのドラゴンのあばれ具合が、その拒絶反応だと考えていた。しかし、いくら待ってもドラゴンが死ぬ気配をみせなかった。


 すると、突然ドラゴンは俺の隠れていた岩を睨みつけ、全速力で突進してきた。

 咄嗟に俺は逃げようと試みるが、全力で走るドラゴンのスピードに俺の助走が間に合うわけはずもない。


「う、ウワアアアアアアアアアア!!」


 岩が砕けると同時に俺は体ごと吹き飛ばされ、地面にたたきつけられる。

 

「ウオオオオオオオオオオオンンン!!」


 ドラゴンは全く衰えた様子も見えず、洞窟に響き渡るようにうなった。

 俺はふとドラゴンの鼻先に置いた毒の瓶を見る。確かにあのドラゴンは俺が作った毒をすったはずだ。普通の魔獣であればこれほど元気でいられるはずがない。


 俺はふと、気づく。


「も、もしかして、た、耐性があるのか!?」


 不覚だった。ほとんどの魔獣に毒が聞くからといって全ての魔獣に効くわけではない。

 耐性を持っていればいくら猛毒を吸ったからといって、何のダメージも受けない。俺たちが空気を吸ってダメージを受けないように、このドラゴンは毒を吸っても痛くもかゆくもないのである。


 難易度Aのクエストはそんなに甘くはなかった。


「う、うわあああああああああああ!!」


「グオオオオオオ!!」


 ドラゴンは俺という侵入者を見ると、俺に向かって突進してくる。

 俺は全力で走るが、暗視で地形がぼやけたまま走るのには慣れていなかった。何度もくじけそうになり、走る速度が下がる度にドラゴンが近づいてくるように感じる。振り向いたら前を見て走ることが出来ない。俺は一心不乱に出口に向かって走る。


 出口の光が見える。暗視をしなくても十分回りを把握できるような明るさになる。


「あっ……!!」


 ふと安心した、――その時だった。


 俺は大きな岩に脛をぶつけると、地面に頭から突っ伏する。

 ドラゴンの影が俺を覆いかぶさっていること察する。ようやく振り向いた俺は、俺の身長の五倍はあるであろう巨大なドラゴンに足で踏みつぶされそうになっていた。


 ああ、俺はこれで死ぬのか。


 ドラゴンに踏まれて死ぬなんて、酒場の連中が聞いたらまた笑いものになるに違いない。

 そう想像すると、ふと涙が出てきた。悔しくて、悔しくて、俺は歯を食いしばっていた。


 ドラゴンの足が近づく。


 商人に殴られた時と同じだ。

 また俺は、同じ失敗を繰り返してしまった。


 ――俺と接触する瞬間だった。


「……ドラゴンスラスト」


 聞き覚えのある声が俺の耳に入る。

 ドラゴンの血がシャワーのように俺にしたたり落ちる。獣の匂いが全身に染み付くのがわかる。


 今までのドラゴンの咆哮が聞こえなくなり、ドラゴンの体が地面にたたきつけられる。ドラゴンの首がドスンと落下し、生暖かい血が洞窟を湿らせた。俺は驚きのあまりうつぶせのまま動くことが出来なかった。かなり強烈に脛を岩にぶつけたからか、足のしびれがとれていなかった。


 ふと、俺に一つの手が差し伸べられる。

 火傷や切り傷、全ての傷がそこには浮き出ていた。


「おう、小僧……またあったな。ここで何してんだ? あぶねえだろうが」

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