第二話 盗賊のヒーロー
ボロボロの身なりは見るからにセイズの住人ではないと分かった。
短髪でひげを生やし、腰には長剣をぶら下げ、大きめの布袋を肩に担いでいる。左右のポケットには吸いかけのタバコが入っており、お世辞にも清潔感があるとは言えないが、異様に威圧感のあるオーラを醸し出している。
中年オヤジが声を荒らげる。
「なんだ、てめえは!! こいつの仲間か!!」
こんな荒れた状況を目の前に中年オヤジの怒号にも平然としたその冒険者は、全く怖びれた表情を見せない。
修羅場に慣れているのか、動揺すらなかった。
「あん? 俺はこんな小僧知らねえよ。単なる通りすがりの冒険者だ。迷子になってこんなところに入っちまった。何やってんだお前ら?」
「……けっ、だったら早くここを通りな。変なこと言いふらすんじゃねえぞ、おっさん」
中年オヤジは親指で路地の向こう側を指差す。
冒険者に介入せずに、ここから立ち去れという合図だ。
「おっさんにおっさんって呼ばれたかねえな、俺はあんたらに質問してんだ、答えてくんねえか? あんたらこんなちっちぇえ小僧虐めて何してんだよ?」
しかし、冒険者は一歩も引かなかった。
あくまでもこの状況に足を突っ込む気満々だった。
冒険者のその反応に動揺を見せたのは中年オヤジの方だった。商人は卓上での言い争いには慣れているかもしれないが、実際に拳と拳のやり取りが発生する修羅場には慣れていないのだろう。
俺は中年オヤジの暴力が止まり、ホッとしつつ、呼吸を整える。
朦朧とする意識が鮮明になるよう、なんとか意識を集中させていく。
「ごちゃごちゃうるせえ通りすがりだな、おい!! そんなに聞きたいなら教えてやるよ!!」
中年オヤジはボロボロな俺を指差し、冒険者に状況を説明する。俺は何とか意識は回復しつつあるが、体の自由を取り戻せるほど力が入らない。
俺は取り巻き二人の腕にぶら下がったまま、だらしない姿をさらしていた。
「こいつはな、盗賊なんだよ!! 俺の店の売り上げを盗みやがった。だからこうやって社会の厳しさを教えてやってんだよ!!」
中年オヤジは俺が地面に落とした袋を拾い上げ、冒険者に突きつけるように見せる。
思い切り揺らされた布袋は硬貨がぶつかり合ういい音がした。
「なるほどな、この小僧が発端ってことか……」
冒険者は目を閉じながら、考え込む。
「……全く悪いことをしでかしたもんだな。そりゃちょっと叱ってやんないとダメだ」
中年オヤジの言い分に納得したかのように、冒険者はゆっくりと何度も頷く。
ああ、この人もダメなのか。俺は落胆を隠せなかった。
いつもこうなのだ。どうせこの冒険者も俺を置いて、去ってしまうに違いない。全てが俺の自業自得だと、そう判断する。
「……グスッ……グスッ……ウゥッ……!」
顔が涙で濡れていく。
なんで誰も俺のことを理解してくれないんだ。
生きるために一生懸命仕事をして、家族を養うことがそんなに悪いことなのか。人間だって、生きるために牛や豚を殺してるじゃないか。生きるために全力になって、何が悪いと言うんだ。
「……でも、おっさん。こりゃやりすぎだ」
俺の気持ちを察したかどうかはさておき、冒険者は発言を続けた。
予想もしなかった発言に俺はふと、冒険者を見上げるように顔を上げる。
「……なんだと?」
冒険者はしゃがみ込むと俺の顔と全身をじっと眺める。
俺の視界はかすかにぼやけていたが、普通の冒険者とは違う、形容しづらい格式高さを感じた。
「見た感じ歯も折れてるし、肋骨も折れてる。脳震盪も起こしてるから、今こいつは意識が朦朧としているはずだ……俺と目線を合わせているように見えて、視界はボヤッとしているだろう」
医療従事者なのではないかと錯覚するほど適切な分析だった。
これほどまでの暴力を受けたことがない俺は、半ばこのまま死ぬのではないかと思ったが、この冒険者が中年オヤジの制止してくれているお陰で、なんとか死ぬことは免れられそうである。
「いいんだよ、盗賊なんて!! 別に俺がこの盗賊を殺したところで誰も俺を罰しないしな!! 正当防衛とか言っときゃ裁判になってもちょろいもんだ……盗賊なんて汚れた職業、この世から消えちまったほうがいいんだよ!!」
中年オヤジは冒険者が俺を気にかけたのが気に食わないようだった。
冒険者は俺の傷痕にポーションをぶちまける。
即効性のあるポーションが俺の傷跡に広がると、傷は瞬く間に塞がり、痣もみるみる消えていった。これほどまで効果のあるポーションを俺は見たことも使ったこともなかった。一般的に流通しているポーションとは異なるようだった。
「あん? おっさん、本気でそんなこと思ってんの? あんた商人に生まれたから商人やってるだけなんだろ? こいつも盗賊の家に生まれたから盗賊になってるだけだぜ。なんで商人の方が偉くなるんだ?」
冒険者は俺の体調がある程度改善されたことを確認すると、立ち上がり、中年オヤジに向かって訴える。
まさか反論されると思っていなかったのだろう。
商人は少し後退りながら、答える。
「そ、そいつはな、存在自体が悪なんだよ!! こいつがいない方が社会が良くなるに決まってるだろうが!!」
はっはっは、と冒険者はこの路地全体に響き渡るぐらいの音量で笑う。
ツボにはまったかのようにしばらく笑うと、持ち直したかのように中年オヤジと目線を合わせる。
「……はあ……いや、違うな。俺にとっちゃ、おっさん。あんたみたいに小僧を嬲り殺そうとしている輩の方が危険に見えるぜ」
俺は不覚にも、ふふっと笑ってしまった。
「こ、こいつ。言わせておけばあああああ!!」
逆ギレした中年オヤジは俺の体を飛び越し、重量級の拳をあげながら冒険者に飛びかかる。取り巻きの二人も驚いた様子で、口をポカンと開きながら突っ立っていた。
「……おっと、穏やかじゃないな、おっさん。――もっと全力だそうぜ?」
冒険者は中年オヤジの体をひらりと交わすと、上腕を掴み、そのまま容赦なく地面に叩きつける。まさかあっさり回避されると思っていなかった中年オヤジはそのまま石畳に仰向けになる。
「……グハァ!! こ、腰がああああ!!」
「さっさと失せてくれ、おっさん。俺の通り道塞いでんじゃねえよ」
冒険者は鋭い目つきで横たわった中年オヤジの顔を睨みつける。
「……お、覚えてろよ!! 貴様の顔覚えたからな!!」
情けない商人は額に汗を浮かべながら、急いで立ち上がると取り巻きと一緒に一目散に去っていく。
支えていた取り巻きから離された俺は地面に手をつくように倒れこむ。
「はいはい、俺のファンが増えて光栄だよ」
中年オヤジが腰を支えながら全力疾走していくその姿は滑稽であり、ざまあみろ、と内心呟いていた。
冒険者は俺のそばに来ると、傷の様子を確認する。
「……おい、小僧、大丈夫か?」
「……だ、大丈夫……です。ありがとうございます」
冒険者が中年オヤジをたしなめてくれていたおかげで、意識もほぼもとに戻っていた。傷もポーションによって塞がっており、出血もかなり抑えられていたと思う。なんとか冒険者と会話できるぐらいには、回復していた。
「冒険者さんは……なんで、僕を助けてくれたんですか?」
俺は素朴な疑問を冒険者に投げかける。
冒険者は頬を赤らめ、恥ずかしながら答える。
「まあ、俺も家柄でもめたことがあったからよ。お前さんの気持ちはよくわかるんだ……それに俺は冒険者って名前じゃねえ。レミアンって呼んでくれ」
「レミアンさん……」
「ああ、そうだ」
俺の頬に流れた涙から何か感じるものがあったのか、レミアンは俺の頭を撫でる。
人から殴られたり、蹴られたりすることはあるものの、これほど優しく頭を撫でられるのは、親以外だと初めてかもしれない。
「……お前は盗賊に生まれたの……大変だったよな……苦労したよな……」
レミアンが発するその発言は重く、俺の気持ちの全て、ましてやそれ以上のことを理解しているのだと感じた。
優しく微笑むレミアンは俺の苦労を全て包み込んでくれる、そんな気がしてならなかった。
「……誰からも差別されて、殴られて……信用できる人はどうせ家族ぐらいしかいなかったんだろう? 今まで寂しかったよな……」
ああ、この人は全て分かっているのだ。
この血筋によって職業が決まる社会がどれだけ俺を苦しめているのか。そしてどれほどの血と涙を流してきたのか。どれほど心が砕ける思いをしたのか。この人は全てお見通しなのだ。
「……俺は、悪い人間なんでしょうか……? 俺は、この社会にいらない人間なんでしょうか……? 俺は……俺は……!」
発言すればするたびに抑えていた感情が溢れ出す。
でもいいのだ。この人は溢れる前の俺の感情を知っている。そう感じさせる何かがあった。
「……そんなことはない。お前は、必要とされているはずだ」
「そんな、そんなこと、誰も……!」
誰も、そう誰も。俺を必要だと言ってくれる人はいなかった。
みんな俺を排除しようと躍起になっていた。
「盗賊として、人を助けられる男になればいい。ーーお前の使命は、優しい盗賊になることだ」
そう言うと、レミアンはポーションを俺のそばに置く。
「皮膚の傷はポーションでほとんど治ってる。でも内臓にも傷が入ってるかもしれねえ……ちょっと落ち着いたら、そのポーションを一気飲みしろ。吐きそうになるほど苦いけどな……じゃあな」
レミアンは振り向き、俺に後ろ姿を見せる。大きく筋肉質な背中は今まで数多くの戦いをくぐり抜けてきた戦士のそれだった。
颯爽と立ち去ろうとするレミアンに、俺は勇気を振り絞って話しかける。
「れ、レミアンさん。俺、ヘンゼル、です! 俺の名前です! また会える時には、絶対優しい盗賊になって見せます!」
レミアンは振り向かなかったが、歩きながら右手をあげる。
どうやら俺の言葉は耳に届いたようだ。左右に揺れる黒いマントは俺の憧れとなり、その強さは俺が追うべき目標となった。
俺の、俺だけの、ただ一人のヒーローが生まれた瞬間だった。
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