第36話 本気の瞳

【アイネ様は、不思議な方だと思う。

 でも、人から好かれる人柄をしているとも思う。

 真面目で、利他的だ。それに、我々使用人にも気を遣ってくださる。

 お優しい方。屋敷の者はもう全員が虜だ。

 命を賭けて守りたいと思っているのは、ラットリンやゼフュールだけじゃない。


 私は、貧民街の生まれだ。5人の使用人の中で唯一。帝国の独裁体制下での『苦汁の嘗め方』を知っている。

 親の縁故で、ある貴族に奉公に出されたのが10歳の時。そこでメイドとしての仕事と、戦闘技術を修得した。

 人間には、階級がある。そしてそれは、簡単には覆らない。そう教わった。私は下の身分に過ぎず、上の貴族様には逆らえない。

 だけど、それは間違いだった。

 ご主人様が『殺して良い』と言った者は、貴族だろうがなんだろうが、私より『下』になる。事実、私に対抗できる者は居なかった。貴族など、趣味レベルでしか剣術を嗜んでいない程度だった。本気で殺す為に磨いた私の剣は、誰にも防げなかった。

 それだけじゃない。

 化粧をして、服を整えれば。私は貧民メイドから『貴族令嬢』になることもできた。そう思わせて油断させて、寝室をどれだけ赤く染めてきたか。男は簡単に騙される。

 因果が回って、ご主人様が焼かれた。私は路頭に迷うことになった。

 そこで、新たな屋敷のメイド募集を見付けた。なんでも新しく軍師になった女性の屋敷が建てられるらしいと。

 軍に入る女性なんか居ない。まともに戦えば男に勝てないからだ。だから、男の警戒の外から隙を突くやり方を私は学んできた。

 正直、国とか戦争とか、本当に興味が無い。私はとにかく働いて、家族に仕送りができれば良い。それか、とっとと貴族かどこかに嫁いで楽に暮らせば良い。女は皆そうだと思っていた。

 どんな方だろうと思った。女性をご主人様に迎えるのは初めてだ。寝室に呼ばれることが無い分気が楽だろうとは思っていた。

 この『男』の時代に。真っ向から『国』『戦争』『政治』『経済』に突っ込んでいく女性。

 アイネ様は私と同じで。故郷の為にそれを行っていた。

 でもそれだけじゃない。私よりずっと凄い。

 誰もが諦めていた、帝国の独裁政治を変えようとしているのだ。それはこの旅で分かった。リンデン領主と、今日のアクシア女王との会談で。

 誰にでもできることじゃない。そもそも口にするだけで反逆と疑われても仕方がない。だけど。

 皇帝陛下からの信頼は厚い。今回の使節も陛下直々の勅命だ。


 それを、応援しようと思うのは。

 そんな彼女に仕えて光栄だと感じるのは。

 そんな彼女を妨害する者を許さないとするのは。


 至極当然だと思う。


 理由はいくつかあるけれど。

 アイネ様は、なんだか。

 健気に頑張っていて、守ってあげたくなるんだ。失礼ながら】


——


「アイネさん」

「女王っ」


 翌日。

 ホテルから出ると、待っていたかのようにソラが居た。昨日と同じく嬉しそうに微笑みながら、アイネの元へ駆け寄る。


「よく眠れましたか?」

「はい。アクシアの寝室も寝具も、とても気持ち良かったです」

「それは良かった」

「それで……普通に出歩かれて良いのですか」

「ふふ。ええ。私の国ですし。危険なんてありませんから。……バァはうるさいけれど」


 自国に危険は無い。

 それが、どれほど『異常』なのかアイネには分かる。どんな王でも、政敵が居ないことはありえない。国民の信頼が『100』である王はありえないからだ。


「『ラウムの王杖』のお礼をしていなかったと思って。今日はアイネさんにプレゼントを差し上げたいのです」

「……お礼、ですか」


 だが、この少女は。

 全く、何の警戒もしていない。まるでそこらの町娘だ。王女であればお転婆で済むこともあろうが、彼女は一国の王である。


「私はどちらにも肩を貸しません。しかし、『アイネさん』個人には、いくらでも協力したいのです」

「……あの杖に、そんなに価値が?」

「ふふ。いえいえ、それもそうですけど。私はアイネさんが好きなので」

「!」


 一国の。他国の王に好かれる感覚は、アイネはぴんと来なかった。屈託の無い笑顔を見せるこの少女が、女王とは。未だに信じられない気持ちが勝る。


「こちらへ。宮殿に、商人を呼んでいるんです」

「?」


 アイネとフィシアは、再び宮殿へ招かれる。


——


「あの杖は、ラウム族がこの星に来る前から、王の証として祀られていた神具です」

「5000年前よりも、前ですか」

「ええ。それよりも1万年も前だそうです」

「!」

「その辺りはもう、私にも分かりません。ですが、この世の何より貴重な物のひとつであるのは確実です。終末の時に無くなってしまったと思っていましたが、まさかずっと保管していただいていたとは」


 どれだけ貴重で価値があっても、アイネにとってはただの杖だ。武器にもならないなら必要ない。これでアクシアと友好関係を築けるならば安い。恐らくバルト皇帝もそう思っているだろう。


「こちらです」

「!」


 案内されたのは講堂であった。昨日とは違い、壇上にはシートが敷かれており。

 その上に、何本もの武器が並べられてあった。


「武器、ですか」

「全て『魔剣』です」

「えっ!」


 剣も。槍も。矛も、鎚もある。様々な種類の武器。これら全てが、『魔剣』であると言うのだ。


「勿論、適性が無ければ使えませんが、これ以外にも沢山用意させています。気に入ったものがあれば、連れていってください」

「…………!」


 帝国には。

 全部合わせても、10本も無い。魔剣というものは人の命を使うもので、非常に危険で貴重だ。敵の手に渡る危険性もあるために、使用の許可があるのも将軍以上。つまり七将軍と大将軍、皇帝で、合わせて9本が限度だ。シャルナなどの例外や、将軍が許可した場合など特別措置は適宜存在するが。

 だが、今ここに並べられているだけでも。30本をゆうに越えている。


「各魔剣の詳細や能力が知りたければ、商人と技術者がこちらに居ます。また、試し斬りの際はお声かけください。屋内では危険なものもありますので」


 魔剣を、やると。言っているのだ。この女王は。

 ひと度握れば100人力。ひと度振るえば一騎当千。

 国を傾ける武力の極致。最強の兵器である魔剣を。


「…………私は」


 アイネは、考える。魔剣について。武器について。それを所持するということについて。

 斜め後ろに控えるフィシアは、彼女の言葉に傾注する。


「以前にも一度、将軍に『魔剣を作れ』と言われたことがあります。それは、私が魔剣使いであるシュクスの対策をするために軍師となったから、対抗手段を用意する必要があるとの考えだったのだと思っています」


 シャルナだ。あの時は彼女が遊び半分で言っているのだと思ったが。よくよく考えれば、アイネの立場と業務を鑑みれば魔剣を持っていてもおかしくはない。寧ろ必要であるとすら思える。


「シュクスに対抗する手段は、確かに必要だと思います。私兵を募集するにしても、魔剣使いが相手だと誰も集まらないのも分かります」


 アイネの考えは。


「……でも私は、『私が武器を持ってはいけない』と考えています」

「!」


 ソラとフィシアが、ぴくりと反応した。


「私が武器を持てば。それを、シュクスが見たら。『貴方を傷付けるつもりです』と言っているようなものだと受け取られるでしょう。そうなれば、彼も私を斬る決心をしてしまう。……私は、戦争などしたくありません」


 以前は。どんな手を使ってもシュクスを殺そうとしていた。今も、やむを得なければ仕方ないとは思っている。だが、自分からわざわざその理由を作るのは違う。


「自衛の手段は必要です。だけど、私は武器を持つつもりはありません。私はあくまで軍師ですから。頭と言葉で、敵を止めます。……それに、そもそも武器なんか扱えませんし、今から鍛えてもシュクスには決して届きませんから」

「かしこまりました」

「!」


 アイネが去ろうとした瞬間。

 フィシアが、一歩前へ出た。


「このレイピアなどは私のような女の細腕でも扱えそうですが。どのような能力でしょうか」

「フィシア?」


 そして、剣をひとつ手に取って。技術者へ詳細を確認し始める。

 アイネはびっくりしてしまう。


「かしこまりました。アイネ様。——『その役』、このフィシアにお任せくださいませんか」

「!」


 ソラも同じく。従者がここで発言するとは思っていなかった。


「フィシアは、アイネ様をお守りしたいのです。そして、それは普通の剣ではできないと来た。……この機会を。私に、くださいませんか」

「……フィシア」


 その瞳は、有無を言わせない決意を映していた。静かに燃える火があった。


「アイネ様」

「…………分かったわ。昨夜も、その話をしたしね」

「ありがとうございます!」


 この瞬間。

 フィシアはアイネの従者であり、護衛となった。

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