第22話 運命への抵抗

 援軍が隣町からやってきたのは、それからすぐだった。


「追ってください。顔はもう割れました。相手も馬ですが、もうすぐ陽も暮れる。とにかく隈無く、探してください」

「はっ!」


 スピードが肝心である。アイネは自警団と援軍に素早く指示を出した。総勢数百人の大捜索が始まった。


「ていうか、逃げきれるのかねあいつら」

「……恐らく、ここへ来た方法で逃げるつもりでしょう。『ワープ装置』がある筈。最低限、そこを抑えます」

「……なるほどな。アイネっち、大丈夫か?」

「はい?」


 アイネの顔を見る。明らかに疲れきっている。心労が大きい。自分の町に、予てより警戒していた敵が侵入し。義兄を斬られたのだ。


「病院行ってこいよ。あとはあたしに任せろ」

「……いえ。私も軍属ですし」

「無理すんな。あと、悪いがこれが何か分かるか?」


 シャルナは、緑色の液体の入った小瓶を見せた。去り際に、リンナが投げ付けてきたものである。


「……リンナが」

「ああ。なんとなくだが、『攻撃』って感じじゃなかった。毒、な訳ないよな」

「…………」


 それは。

 直感である。


「『命の霊薬』……」

「うん? なんだそりゃ」


 フェルシナで、シュクスらを助けたゲンドという老人が言っていた。ゼントを生き返らせるような口振りで。


「……『やるから許せ』って? 馬鹿にして」

「おい、アイネっち……?」


 それを握り締めて。

 アイネは、イサキの運ばれた病院へ向かった。


「(……死んだら『魔剣』の素体に……って今は流石に言えねえか)」


 将軍も空気を読める。


——


【今回は……多分、『勝った』。

 この、帝都近くの町にワープして。帝都に潜入して。皇帝だけを討つつもりだったのなら。それを防いだことになる。

 それに、結果的にイサキとシャルナさんのお陰で。

 あのシュクスに、『迷い』を植え付けることができた。

 果たして、自分のやっていることは正義なのか。それを考えさせられることができる筈。犯罪者という言葉は、見た目以上に効いている筈。リンデン——セリアネ姫への脅しも効果がある筈。

 だとすれば。

 私のやっていることは、少なからずこの世界に影響を及ぼせているということだ。

 正直、不安だった。何をどうしようと、『シュクスを中心とした物語のようなもの』の大筋は変えられず、結局は帝国が崩壊するような気も、少ししていたから。何せ確証が無かったから。私の賢者としての知識頼りなのはやっぱり不安定で信憑性に欠ける。自分でも思うんだから、他の将軍には疑われて当然だ。

 だけど。

 今回でやっと。

 シュクスを挫くことができそうで。

 ……それが、イサキの犠牲のお陰というのが、悔しいけれど】


——


「イサキはっ!?」

「待て落ち着けアイネ。取り敢えず、死にはしないってよ」

「…………!」


 病院へ飛び込んだアイネは、それを聞いてへなへなと座り込んだ。


「ほんと……?」

「ああ。見てこい。手術は終わってる。もう意識も戻ってる」

「……立てない」

「おいおい」


 唯一の兄だ。血縁は関係無い。家族だ。

 彼女の、『戦う理由』そのものである。例え、今は少し距離が離れていても。関係がギクシャクしていても。

 共に育ち。同じ釜の飯を食った家族だ。


「……アイネ」

「イサキ! 私はここだよ!」


 赤く染まった包帯をぐるぐるに巻いて。イサキはベッドに横たわっていた。


「……無事か」

「何言ってんのよ! 私よりイサキが」

「は。……そりゃ兄貴だからな。普段頭じゃ敵わねえんだ。ちょっとくらい格好付けさせてくれ」

「馬鹿……!」


 強く抱き締めたかったが。傷が開く。

 アイネは両手で、イサキの顔を包み込んで。

 泣きそうな瞳で、額を合わせた。


「アイネ……」

「将軍の戦闘に割って入るなんて。ほんと馬鹿なんだから」

「…………」


 イサキは、少しびっくりしていた。アイネから、ここまで心配されるとは思っていなかったのだ。きっと自分は、見下されているのだと思っていた。特別頭も良くない、冴えない兄を。妹より不出来な兄を。


「い……っ」

「あっ。ごめん……っ」

「その辺にしといてやれアイネ。手術は終わったばかり。しばらくは絶対安静だ」

「……先生」


 医師がやってくる。アイネも子供の頃からお世話になっている壮年の医師だ。


「先生、これ、分かりますか」

「なんだ?」


 アイネは医師に小瓶を見せた。直感的に『命の霊薬』だと思ったが、別の物である可能性は当然ある。誤ってイサキに投与して悪影響を及ぼせば取り返しが付かない。


「……悪いが、これだけじゃ何かは分からんぞ。緑の液体のようだが……」

「私は、『命の霊薬』だと思いました」

「…………それの存在を、何故お前が知ってるんだ」


 世界を支配せんとする大国ガルデニア帝国の将軍であり、暗部にも通ずるシャルナをして分からなかったのだ。だが、この医師は知っている風だった。


「『命の霊薬』とは、殆ど伝説の薬だ。医師の勉強中に何度か本には出てくるが、そんなものは無いと教わる。何故なら存在するならば。それひとつあれば『医療』は必要なくなるからだ」

「え」

「怪我を治すどころではない。あらゆる病気を治し、失った腕すら生やし。果ては死人をも生き返らせる。『あり得ない薬』だ」

「…………」


 だが。実際に。

 ゼントは、生き返っていた。確実に、首と胴体が離れた筈だ。アイネは自身の目で見て確認している。


「…………」


 と、その時。病室の窓から虫が迷い混んできた。アイネは虫が椅子の背に止まったところではたき落とし、踏み潰した。


「アイネ? 何を」

「試します」


 確実に死んだ、羽虫。頭も身体も潰れ、触覚は千切れている。

 そこに、小瓶を開けて、1滴垂らしてみた。

 すると。


「わ」


 思わず声が出た。液体に浸された虫の死骸は、みるみる膨らんでいき。

 飛び上がった。


「な……!!」


 元気に飛び回り、また窓から出ていった。医師もこれには驚き、がたりと椅子を軋ませる。


「本物か……! そんな馬鹿な!」


 そしてアイネから小瓶をぶんどり、窓からの夕陽に照らして注意深く観察する。


「い。『命の霊薬』だと……!?」

「それ、敵が去り際に残して行ったんです。多分、市民を傷付けたから。お詫びのつもりで」

「……こんな貴重なものをか!?」

「奴らはいくつも持っているんだと思います。以前に会った時に死んだ筈の仲間が生きて今日現れました」

「…………!」


 開いた口が塞がらないといった風で、医師は驚きを隠せない。


「イサキ」

「……待て」

「?」


 震える医師の手から、小瓶を返してもらって。アイネはベッドへと近付く。

 だがイサキは待ったをかけた。


「そんな貴重な物を、俺に使うなよ」

「あのね。そんな死にかけのボロボロで何言ってんのよ。早く元気になって、父さんを手伝わないと」

「……駄目だ。俺は死なないだろ。置いとけ」

「馬鹿……。虚勢は良いから」

「違う」

「?」


 イサキは、アイネよりは不出来だが。

 決して、頭が悪い訳ではない。自己中心的でもない。格好付けたがりでは、あるかもしれないが。


「『それ』はお前が、帝都に持ち帰って。『研究』するべきだろ」

「!」


 今の会話を聞いて。少なくとも『その小瓶』がどれだけ貴重なのか分かる程度には。


「これまで未発見の薬で、すげー効果なんだろ? じゃあ、俺に使って終わりじゃ駄目だろ。研究して量産して、流通させられれば」

「…………!!」

「喜ぶ人がどれだけ居るか。だろ? アイネ」


 息を切らせながら語るイサキ。まだまだ苦しい筈だ。痛い筈だ。思い切り斬られたのだから。


「……分かった」


 アイネは、今、優先順位を考えられていなかったと反省した。帝国を、良くするのだ。社会を良くするのだ。世界を良くするのだ。

 町を皆を、家族を守るために。


「じゃあ、イサキはもう寝なさいね。私は——」

「…………アイネ」

「!」


 退室しようとしたが。最後に小さい声が聞こえて。

 振り返ると、もうイサキは眠っていた。


「……イサキは、この半年。お前が町を出てからどれだけ心配していたと思う」

「……!」


 医師が呟く。アイネは、ベッドまで戻ってきて。

 椅子を近くに寄せて。


「……そう、だよね。ごめんね。ありがとう。かっこよかったよ」


 イサキの手を握った。


「お兄ちゃん」

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