罪とタールは消えない

桜雪

第1話

 祈れば、救われる。そんな迷信を心に抱きかれこれ20年近く生きてきた。

「祈る」ためにわたしはわざわざ哲学科なんて野暮ったい学科にも入ったし

 歌えもしないのにコーラスサークルなんてものにも参加した。

 石畳の床に腰掛ける。

 何が変わったのだろう。

 ラッキーストライクの箱を手にし眺める。

 変わったのはこれくらいだろうか。

「お、お前も一服しにきたかんじ?今日はライター持ってきたか?」

 顔を覗き込むように彼は聞く。やけに馴れ馴れしい、

 単なるクラスメートでしかない彼。

 正直わたしは苦手だ。

「持ってきてるわけないじゃん、あんたと違ってこちとら死んでんだからさ」

 タバコの箱を隠すようにポケットにしまい、

 コンビニで買った安くて、甘ったるい期間限定の桃味の酎ハイをグイッと飲み干す。

 くだらない約束ごとを破ろうがなんだろうがどうだっていい。

 結局祈りさえすれば誰だって救われるんだから。

 彼は有無を聞かずに並んで座り出す。

「相変わらずだよなぁ、それでもお前キリスト教信者かよ」

「は?なんなの?」わたしは缶に口をつけながら横目で彼を睨む。

 やけに身体が熱く感じる。

「クリスチャンが絶対に避けるべきことは、酒に酔うこととそれに依存するようになること」彼はため息混じりにセブンスターを一本わたしに差し出す。「祈るだけじゃ救われないぞ、そんなんじゃ『ヤツら』とやってること変わんねーよ。」わたしはしぶしぶ彼の出しているセブンスターを手に取る。火をつけてもらう。吐く。重い。好きじゃない。

 フィルターの部分は赤く染まっていた。

「つーか、救われるってどういう意味なんだろうな」彼は空を見上げる。

「お前はどう解釈してる?救われるの意味」彼はわたしを見下げる。

「この結界から抜け出すって意味」わたしはふいと目線を逸らしコンクリートの道路を見つめる。「あたしは、人間ってモラトリアム集団だと思ってる。ほら、何処ぞの誰かさんが言ってたじゃん、人って字は互いに助け合ってこそ形成される文字だのなんだの。それらを封じ込めておくために、モラトリアム集団が『独りにならないように』、あたしたちには見えない結界があちらこちらに張り巡らされてる。その結界を抜け出す、つまりは救われる。」

 彼は噴き出した。「結界ねぇ…、お前ってなんか変わってるよな」

 飲み干した缶を握り潰す。「ま、あくまであたしの個人的解釈だから流してくれていいよ、否定されてたとて別に咎めはしないし」床に半分以上吸い残したままのセブンスターを擦り付ける。

「ぜんぶ空っぽになっちゃった。」わたしは肩をすくめ、かすかに笑う。

 彼はそれを見逃さない。

「自分から無にしたんだろ、ほら」彼はわたしにメビウスのタバコを勧める。

 紅い火がついた。口をつける。

 これくらいがちょうどいい。

 人も愛も、タバコのタールの重さも。


 白いタバコは火に圧倒され徐々に黒く焦げていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪とタールは消えない 桜雪 @REi-Ca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ