第129話
ルネリーデが抵抗する力を失うまで、そう時間はかからなかった。
彼女は現在、大の字で横たわっていた。右手は千切れ、両足を爪で貫かれて、もはや剣を握るどころか立ち上がる事も出来なくなっていた。しかし、この様な状態になっても、ルネリーデが死を恐れたり、躊躇したりする事はなかった。
聖女は目を背け、鬼族の姫は歯を噛み締めながらその状況を見守っている。
ララにとって、ルネリーデは以前一騎討ちを一度したきりの関係のはずだ。その時も、鬼族の姫の圧勝だった。
しかし、彼女にとっての剣聖とは、ある意味好敵手だったのかもしれない。おそらく、彼女はあの戦いが楽しかったのだ。
あの戦いは、魔法や特殊能力を用いるティリスとの戦いとは異なり、純粋な武と武のぶつかり合いだった。
戦いの最中、ララとルネリーデは何かを語り合っていた。おそらく、彼女は友情に近い何かを感じていたのだ。
でなければ、ルネリーデの必殺技を真似るわけなどない。彼女にとって、剣聖ルネリーデは特別だったのだ。
「ばっか野郎……!」
ララの悔しそうな声が漏れた。
アレクとティリスは、ただその戦いの最後を見届けるだけだった。
──でも、もうこの戦いは……。
ルネリーデに反撃の余力はなく、虫の息状態だ。放っておいても、息を引き取るだろう。もはや最後の一撃を待つだけの時間だった。
ルネリーデがここで死ねば、アレクの復讐も不完全なものとなる。いや、もはや勇者マルスへの復讐などどうでもよかった。
彼の気持ちとしては、ただルネリーデを助けたかった。しかし、それはララだけでなく、ルネリーデ本人の想いをも踏みにじる事になる。アレクにその決断ができるはずがなかった。
竜人の爪が、振り上げられた。この爪が振り下ろされた時に、この戦いは終わる。
アレクとて剣聖は知らぬ仲ではない。知っている者が目の前で殺されるのを見るのは辛く、目を逸らした。
その瞬間だった。
「あっ!」
ララが小さく声を上げた。
「どうしたの……?」
ラトレイアは不安げに顔を上げて、ララを見ている。
そのララはというと、真剣な眼差しでルネリーデを凝視していた。
それは、先程までの悔恨の表情ではない。何かを見逃すまいとする眼差しだ。
──どうした?
アレクもルネリーデへと視線を戻すと、これまで諦めた様に笑っていた彼女の瞳から涙が溢れていたのだ。
しかも、何かを言っている。声は出ていないが、唇が動いていた。
「ねえ、何か言ってるわよ、ルネリーデ!」
ラトレイアが声を上げるが、ララは口に人差し指を当てて、凝視する。続いて、アレク達もルネリーデの唇を注視した。
彼女の唇はこう動いていた。
『た す け て く れ』
助けてくれ──その言葉を確認した瞬間、アレクが声を掛けるまでもなく、ララが飛び出していた。そして、爪を振り上げていた竜人に飛び蹴りを食らわせ、ルネリーデを守る様に竜人達との間に仁王立っていた。
アレク達三人は顔を見合わせ同時に口角を上げると、ララに続く様にして崖下へと舞い降りた。
「ララ、その蜥蜴二体の相手をしてくれ。その間にティリスはあの親玉臭い女を。手加減はしなくていい」
アレクの言葉に、彼女達はそれぞれ「あいよ」「わかりました」と応えた。
ララは竜人族を睨みつけ、ティリスは不敵な笑みを浮かべて女を眺めていた。
あいつらならば大丈夫だろう──そう思ってアレクはそのままルネリーデの元まで歩み寄り、その頬に触れた。辛うじて息はあるが、もう事切れる寸前だ。
──間に合った、か。無理しやがって。
アレクは小さく息を吐くと、彼女の目元の涙を拭った。この様な悔恨の涙は、剣聖には不要だ。
彼女は何かを言おうと口を動かしているが、もう唇すらまともに動かせない様だ。文字通り彼女は最後の力を振り絞って、誰かに助けを求めたのである。
──よくやったよ。その足掻きがお前を救ったんだ。
アレクは後ろを振り向き、涙を浮かべる青髪の聖女の方を向いた。
「ラトレイア、治せるか? かなり重傷だけど……」
「当たり前じゃない。私を誰だと思ってるの?」
ラトレイアは自らの頬の涙を拭い、得意げな笑みを浮かべていた。
ルネリーデを助けられる事に安堵しているのだろう。彼女は剣聖を数少ない友人の様に思っていたので、心から喜んでいる様だった。
「だそうだ、ルネリーデ。って、おい。生きてっか?」
意識を失いそうな剣聖に、アレクは慌てて問い掛ける。
ルネリーデは何とか首を動かして彼の言葉に応えているので、ほっと安堵の息を漏らした。治療を始める前に事切れられては意味がない。例え〝ルンベルクの奇跡〟でも、死者を蘇らせる事はできないのだ。
「安心しろ、お前をこんなところで死なせやしないさ」
アレクの言葉と同時に、ラトレイアの<治癒魔法>による治療が始まった。
聖女は「もう大丈夫」と言わんばかりに、こくりとアレクに対して頷いて見せた。事切れる前に<治癒魔法>を掛ける事が出来れば、絶命は免れる。
ルネリーデも安心したのか、柔らかい笑みを浮かべながら、眠りに落ちたのだった。
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