第121話
草原の中で敷物に横たわり、身を寄せ合う男女がいた。
もはや太陽は完全に沈み、少し肌寒くなってきた頃合いだ。
男は若干の肌寒さを感じ、彼の腕の中で眠る銀髪の少女をぐっと抱き寄せる。彼らは敷物と食べ物以外の物を持ってきておらず、毛布代わりにできるのは少女が着ていた黒いローブだけだった。夜風を凌ぐにはやや頼りない。
銀髪の少女は男よりも寒さに耐性があるのか、すやすやと幸せそうな顔で眠っていた。男はその寝顔を見るだけで幸福感に満たされ、体が少し温まるのを感じた。
男は少女の頭に生えた山羊の角を撫でて、その髪にそっと口付けをする。すると、少女が擽ったそうに体を捩らせ、ぴくぴくっと背中に生える蝙蝠の翼を動かした。そして、ゆっくりと瞼が開かれ、宝玉の様に美しい紫紺の瞳が姿を見せる。
「アレク様……?」
女が愛する者の名を呼んだ。
アレクと呼ばれた男は、「起こしてごめん」と応えながら、その白く美しい肌をもう一度ぎゅっと抱き寄せる。
「あ、寒いですか?」
少女は男の体が少し冷えている事に気付き、そう訊いた。
「ああ、ちょっとだけな。まさか夜までこんなところにいるとは思ってなかったからな」
しかも素っ裸で、と付け加えると、「それもそうですね」と少女はくすりと笑みを返す。
「それなら……これでどうでしょう?」
少女は言いながら、自らの大きな翼をアレクの背中に回して包み込んだ。両腕でもしっかりと彼を抱き寄せて、肌をぴたりとくっつける。
少女の体温が彼の冷えた肌に伝わってきて、触れている部分だけが熱を帯びていた。彼女の体温を更に感じたくなったアレクは、より一層彼女を強く抱き締める。
少女の名はティリス。
「ありがとう、温かいよ」
アレクはティリスに礼を言うと、唇を寄せた。
昼間から何度重ねたかわからないその唇に、
口付けを終えて顔を離すと、ティリスが唐突にくすっと笑った。
「どうした?」
「いえ、夜の草原でこうしていると、何だか初めて会った日みたいだなって……懐かしくなっちゃいました」
どうやら銀髪の少女は昔を思い返していたらしい。
昔と言っても、まだ数か月前の話だ。しかし、彼らはその期間に数多もの出来事を乗り越えて、関係を深めてきた。体感としては、もっと昔の事の様にも思える。
「言われてみればそうだなぁ」
弱きテイマーは星空を見上げて、苦笑した。
彼はその時、勇者マルスのパーティーから追放された直後であった。当時付き合っていた恋人・シエルを勇者マルスに奪われ、男としての尊厳を踏み潰されて絶望に暮れていた時だった。
この魔族の少女は、そんなアレクの前に降り立って、彼を救ってくれたのである。
尤も、救われたのは少女も同じだった。アレクのサーヴァントとなり、彼に名を与えられなければ、彼女自身も生きてはいけなかった。
そんな絶望の中で彼らは出会い、恋をするに至ったのである。
しかし、彼らはただ出会っただけではない。ティリスにとって、アレクは失ってしまった義兄の生まれ変わりでもあった。義兄は自らの死を予期し、禁呪とされていた転生魔法を自らに掛けていたのである。
その事を知ったアレクは自らの存在に疑問を抱き、ティリスに本当に好かれているのかさえもわからなくなっていた。彼女が自分ではなく、その義兄の事を想っているのではないか、と疑念を抱いていたのだ。
「色々あったよな」
二人で旅をして、鬼族と戦い、聖女への報復を経て、〝
「はい……色々ありました」
有翼の少女は微笑んで、アレクの首元に自らの顔を埋めた。彼はそんな少女を愛おしく思い、もう一度抱き締める。
今、アレクは自らの存在について全て知っている。自らが彼女の義兄の生まれ変わりである事も、その義兄の最期も知っていた。
また、その義兄の生まれ変わりであるものの、魂や思想そのものはアレク自身によって形成されたもので、義兄とは別人格である事も理解している。そして、先程ティリスの想いを知り、二人はより愛を深め合うに至った。
彼らはようやく壁を乗り越えたのである。
「あ、そうだ。ちょっと左手貸して」
アレクは近くにあった細い草を千切ってティリスの手を取ると、彼女の薬指の根本にその草を巻き付けて輪を作った。そして、きゅっと輪を締めて結ぶと、そのままゆっくりとその輪を指から抜く。
「それは何ですか?」
自らの指から作り出された草の輪を見て、ティリスは不思議そうに首を傾げた。
「ああ……えっと、薬指のサイズを調べたくてさ」
「薬指ですか。何故でしょう?」
きょとんとするティリスを見て、アレクは苦笑を浮かべた。
どうやら、魔族には指輪に関する慣習がないらしい。男が恋人の薬指のサイズを知りたがる事がどういった事か、全く解っていないのだ。
「えっと……指輪を送ろうかと思ってさ」
「指輪? 私にですか?」
指輪は付けた事がありません、とティリスは自分の手を見て言った。
「ああ、もちろん。お前に受け取って欲しいからさ」
「アレク様からの贈り物なら、何だって嬉しいですっ」
有翼の少女は頬を緩ませて、もう一度アレクの首に抱き着いた。
──やれやれ。意味が伝わってない、か。
弱き者は恋人の反応を見て、微苦笑を浮かべた。
指輪を受け取って欲しい──アレクとて、この言葉を言うのに緊張を要しなかったわけではない。男としては、かなりの勇気を要する言葉だ。
しかし、この言葉の重みを知らぬ少女は、ただにこにこと微笑んでいるだけだった。おそらく、今回の贈り物にも以前与えた飴玉と同じ程度の意味しかないと思っているのだろう。
──文化や種族が違うと、こういう時に大変だな。
ただ、ティリスは以前アレクの妻の役を演じるというだけで喜んでいた。おそらくこの指輪の意味を知れば、涙して歓喜するだろう。
アレクは歓喜する彼女の姿を思い浮かべながら、その銀髪にそっと口付けた。
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