4章 夜明けの使者

消えぬ悪夢

 夢を見ていた。また、あの夢だった。

 隣の部屋からは、幼馴染の嬌声と、『そんなんじゃアレクに届かないぞ』という勇者マルスの煽り声。肉と肉の打ち付け合う音と、二人が快楽に興じる声を、ただ聴くしかないあの悪夢だ。


(ああ、またか……)


 久しぶりだな、と思いながらも、俺は心の中で溜め息を吐く。

 ララが仲間に加わってから、この夢を見たのは初めてだった。ラトレイアへの報復を終えて、ややしていたから、もう夢を見ないのではないか、夢を見なければ、もう報復もやめても良いのではないだろうか……そんな淡い希望を持っていたけれど、どうやらは、あの程度の報復では満足してくれないらしい。

 忘れるな、忘れるなと二人の声と肉の打ち付け合う音を解して、あの時の俺が語り掛けてくる。お前の味わった屈辱を思い出せ、と。

 勘弁してくれ、と独り言ちた。

 もう俺を解放してくれ。こんな夢を、いつまで見させられるんだ。もう、思い出したくないのに。この夢さえなければ、もっと別の生き方だって出来るのに。

 そんな風に考えていたけれど、どれだけその認識が甘かったかを思い知らされる。

 この夢を見ると、それだけで憎悪が湧いてくるのだ。マルスとシエル、聖女ラトレイア、賢者アルテナ、剣聖ルネリーデに対する憎悪と怨みが溢れ返ってくる。もっと綺麗な生き方をできると思っている自分を、この夢に否定されてしまう。俺の中には、これだけドス黒い感情があるのか、と嫌でも自覚させられるのだ。

 おそらく、この夢から解放されるには、勇者マルスから全てを奪い取るしかない。そう、全てだ。仲間も女も、地位も名誉も、全部──


「──レク様、アレク様!」


 肩を揺さぶられ、好きな人の声が聞こえてきた。

 瞳をゆっくり開けると、いつもの様に心配そうに俺を見るティリスの顔が視界に入ってくる。山羊の角と蝙蝠の翼を持つ銀髪の美少女・ティリス──上位魔神グレーターデーモンにして俺のサーヴァントだ。


「アレク様……大丈夫ですか?」

「ああ。久しぶりにあの夢、見てた」


 ティリスは困ったように眉根を寄せてから笑みを作って、何も言わずに俺の頭を自らの胸に抱えた。そして、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。


「大丈夫です、もう大丈夫ですから」

「ああ……ごめん」


 彼女の優しい香りに包まれるだけで、夢見の悪さから来る頭痛や、夢の中で蓄積された憎悪が和らいでいく。

 もし、彼女がいない時にこの夢を見ていれば、俺は一体どうなってしまうのだろうか。そんな不安にすら駆られてしまう。

 そしてそれと同時に、もっとしっかりしろよ俺、とも思うのだ。俺はテイマーで、上位魔神ティリス鬼族の姫ララのマスターでもある。こんな風に夢見が悪くて魘されていて、彼女にあやされていて良いわけがない。


「あれ、ララは?」


 馬車の中を見てみると、ララがいない。

 今夜はティリスが野営の見張りで、俺が眠る前はララが馬車の後方でいびきをかいて寝ていたのをわずかながら覚えている。


「見張りを代わってもらいました。今夜はずっと私が傍にいますから、アレク様は安心してゆっくり休んで下さい」


 言いながらティリスは、また優しく俺の頭を撫でる。そしてそのまま、彼女の胸に抱かれて横になるのだった。

 彼女の細い体に腕を回して、ぎゅっと抱き締めてその体に顔を埋める。情けなくて不甲斐ないなと思うのだけれど、この優しさに今は包まれていたかった。

 この夢を見た時だけは、強がれない。孤独感と自分の弱さと直で向き合う事になって、こうして自分を受け入れてくれる存在を認識していないと、不安で堪らなくなるのだ。


「情けないよな、俺。こうして甘えてばっかでさ。早く立ち直るから……もうちょっと待っててくれ」

「そんな事ありません。それに……私は、こうしてアレク様に甘えられるのが、凄く好きですから」


 私の楽しみを取らないで下さい、とティリスはくすっと笑った。


「全く……お前は俺を甘やかす天才だな」


 言うと、ティリスは満足そうにはにかんで、俺の髪にそっとキスをした。

 そういえば、ティリスとこうして抱き締め合うのは随分久しぶりだった。おそらくララは、そんな俺達に気を利かせて見張りを交代したのだろう。今日だけは二人の気持ちに甘えさせてもらって、彼女の胸の中で眠らせてもらおうと思った。


 今俺達は、ララを交えた3人で旅をしている。さすがに今まで通り、とはいかない。だが、ララが加わってからの旅は楽しい。ティリスといちゃつける時間は減ってしまったけれど、その分笑いが満ちているようにも思った。

 ララは子供のようにはしゃいで回り、道中で見掛けた小さな事でも喜んでいた。魚獲りや野生動物の狩り、洗濯なんかも喜んでやっている。ベルスーズの下にいた頃は、ずっと戦いや訓練続きでこうして自由に過ごした事がなかったそうだ。

 この2人といると、自分が穏やかになっていくのを感じた。

 孤独ではなくなったからかもしれない。なんだか、この2人とは家族のような一体感を持つようになったのだ。

 だからこそ、もうこのまま穏やかに生きれるなら、復讐とも無縁かと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。結局、俺はあの夢を見る事で、自らの復讐心とも向き合う事になるのだった。

 バンケットを発ってから、もう5日程が経過している。あと数日馬車を走らせれば、小さな農村に着くはずだ。そこがノイハイム地方の〝名もなき森〟に入る前の最後の村。その農村で食糧を調達してから、ほぼ未開拓地の〝名もなき森〟へと入る手筈になっている。

 もっと気持ちのいい状態で新天地開拓と行きたかったのだが、こればっかりは仕方がない。

 そして、俺達の遠く後方から馬蹄が響いていて、それがまた俺を不快にさせるのも、仕方のない事だった。

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